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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (落葉松短歌会 遠江短歌大会)

落葉松短歌会 遠江短歌大会 雪腸は大正十二年七月に瀬川草外・宇波耕作(浜松師範学校教諭)・永田武之・,を結成し、落葉松短歌会と名づけた。,ついで翌十三年十一月三日遠江短歌大会(弁天島白砂亭)を開催し気勢をあげた。,出席者二十三名に達し、浜松地方での最初の短歌大会であった。このとき柳本城西も招かれて出席している。,『谷島屋タイムス』も短歌作品の発表場でもあった(中谷福男「谷島屋タイムスとその歌人群」『麦第五輯』)。 / 落葉松短歌会 遠江短歌大会
浜松市史 三 (浜松最初の近代短歌会)

浜松最初の近代短歌会 【柳本城西】短歌には柳本城西(満之助、明治十二年愛知県豊橋生、医師、昭和三十九年二月没,犬蓼短歌会を明治四十一年六月に浜名郡篠原村(当市篠原町)に創立している。,この短歌会は豊橋で左千夫系の無花果歌会(のちに豊橋短歌会と改称)をおこした城西が、日露戦争後に篠原村で,医業のかたわらに創めた月例の互選歌会で、浜松地方における最初の近代短歌会であった。,【犬蓼】けだし犬蓼短歌会の全盛時代であった。 / 浜松最初の近代短歌会
浜松市史 三 ([加藤雪腸の短歌運動])

[加藤雪腸の短歌運動] 柳本城西が浜松の短歌壇にほとんど関係なく独自の道を歩いたのに反し、烈しい短歌運動,を行ない浜松の短歌壇に大きな影響を与えた人に、正岡子規(しき)の門人加藤雪腸(せっちょう)がある。 / [加藤雪腸の短歌運動]
浜松市史 三 (左千夫来浜)

左千夫来浜 【三十六年】前述の国学者たちはいずれも短歌をたしなんだが、近代短歌を学んだものに山下愛花,きかへる石間つはぶき千代ふとも守りけむ人に又もあはめやも」(「西遊日抄」『馬酔木第一巻第八輯』)などの短歌,しかし浜松に近代短歌が行なわれるまでには、柳本城西(後述、第四章第七節第四項)の出現を待たねばならなかった
浜松市史 三 (加藤雪腸と浜松歌壇)

加藤雪腸と浜松歌壇 かねて師子規にならって短歌を志していた雪腸が、作歌に入ったのは浜松在住七年目の明治四十四年,この雪腸が本格的に短歌を志すのは大正十一年からであった。,【木犀歌会】当時浜松には短歌会として木犀歌会(大正十一年結成、まんだら社、大正十二年五月解散)があった
浜松市史 三 (水甕派)

昭和四十九年一月没、七十五歳、歌集『坂道』)・平松東城・斎田玉葉などが顔をみせはじめ、水甕(みすがめ)派の短歌,兒山信一(当市三組町生、『明治大正短歌評釈』の著者、三十二歳没)も水甕派の歌人であった。
浜松市史 五 ([歌誌の消長と歌人たち])

の手による『犬蓼』は、前年の昭和三十八年九月号(五百九十七号)が最後であるが、同三十九年八月に、犬蓼短歌会会員,『翔る』】  なお、山田は平成八年一月短歌結社・翔短歌会(後に翔る短歌会と改称)を創立、同三月短歌誌,現代歌壇へいわば彗星(すいせい)のように現れ消えていったのであるが、その短歌作品は不滅の光を放っている,彼の歌に触れることなく現代短歌が語られることはない。,『岩波現代短歌辞典』で、三枝浩樹は村木について次のように解説している。     
浜松市史 四 (川上嘉市)

その文章、短歌、絵画のどれをとっても素人の域をはるかに超えた一流の芸術作品となっている。,だが自分の考へ付いたのは、短歌は作者の感動を三十一文字に纏めて、己の感動をそのまゝ、読者に伝へ得れば、,この後、彼は佐佐木信綱の『心の花』に加わり、斎藤瀏の『短歌人』にも入会する。,次の作品(『操人形』)などに彼の短歌観がよく表れている。,岩崎は、実業界に身を置きつつ、佐藤佐太郎の門下として短歌の道にも励んでいる。
浜松市史 三 (歌人の往来)

けだし大正期における浜松短歌運動の全盛時代で、そのあいだ絶えず指導的地位にあった雪腸が、十四年俳句運動
浜松市史 ニ (石塚竜麿)

古今六帖の研究には『校註古今六帖』があり、歌論の研究には『真葛葉』においての短歌の倒置法に着眼した歌格研究,また万葉研究には『万葉集標注』『万葉集中種々考』があり、歌集『槇舎集』には短歌五百二十六首が撰ばれ、『
浜松市史 五 ([市立高校文芸部の活躍])

内容を見ると、40号ということで記念号となっており、小説、詩、俳句・短歌、随筆・評論、小品、感想文のほか,小説、俳句、アフォリズム、短歌、漢詩、随筆・他の六つのジャンルに分けられ、十一名の寄稿がある。
浜松市史 ニ (小栗広伴)

遺稿集としては『栄樹園家集』があり、短歌七千六百首その他がおさめられている。
浜松市史 四 (柳本城西)

浜松地方の近代文学の足跡をたどるとき、詩や俳句と比較して短歌の世界は一見地味な印象を受ける。,しかし、残された幾つかの史料を通してそこには確かな近代短歌の流れが脈々として続いていたことが知られる。,この年の八月、犬蓼短歌会会員により柳本城西追悼号が発行され、『犬蓼』は五十六年(五百九十八号)の歴史を
浜松市史 三 (アララギ派 あかしや)

雪腸に知られ、中谷福男とともに『犬蓼』系の短歌誌の『あかしや』を大正十四年八月発刊(翌大正十五年八月で
浜松市史 三 (目次)

                   三〇七        国学           漢学           短歌,昭和期の文学                五七七        いろいろの文芸誌    第四項 短歌,                    五七九        柳本城西と犬蓼短歌会           ,加藤雪腸の短歌運動           短歌の諸流派    第五項 俳句                    
浜松市史 ニ (方朗と忠邦)

【二条日記 臣下庵詠草】著書には前記『二条日記』三巻のほか、『臣下庵詠草』七冊があり、これには短歌七千三百八首
浜松市史 三 (文芸誌)

十一年の九月号をみると、小説を松本長十郎・時克比古・竹中八重子(同人)、短歌を中谷福男(谷島屋店員)・
浜松市史 三 (浜松時代)

女学校へ入学すると学芸部委員にあげられ、教師高田真雄の短歌誌『白萩』に加入したり、しばしば校長田辺友三郎
浜松市史 三 (雪腸と浜松文化)

そして常に浜松俳壇短歌壇の指導的地位にあった。
浜松市史 一 (長期の三河滞留)

この歌の作者である奥麿や黒人は、『万葉集』ではそれぞれ十数首の短歌を残している相当の歌人であって、詔に
浜松市史 四 (『労苑』)

  創作=勝見次郎、気賀百合子   随筆=山根七郎治、高橋俊雄 詩=後藤一夫、小池鈴江   短歌
浜松市史 四 (『川上嘉市著作集』)

『川上嘉市著作集』 川上嘉市については、すでに第一項の短歌のところで取り上げた。,そこに記したとおり、彼は実業人であり政治家であり、また絵画と文章や短歌にも秀でた文化人であり、誠に多才,  【似顔集】  第九巻・第十巻は短歌集で、これについては先に記した通りである(第一項参照
浜松市史 四 (『浜松市民文芸』)

詩 =後藤一夫(浜松市教育委員会)、菅沼五十一(静岡文芸選者)、小池鈴江(中部日本詩人連盟)   短歌
浜松市史 三 (翼賛文化協会 文学報国会)

光明静夫・石井寛(当市鴨江町)が編集、創作を気賀由利子・竹山亥三美、詩を浦和淳・後藤一夫、短歌を松原旭
浜松市史 五 ([川柳誌の創刊])

[川柳誌の創刊] 【『川柳いしころ』】  短詩形文学としての川柳は、短歌・俳句に比べるとやや地味な
浜松市史 三 (雪腸と浜松俳壇)

雪腸は単に俳句の先覚者としてのみならず短歌の革新運動にも口火をきり、短詩型文学を通じて絶えずその指導的地位
浜松市史 五 ([浜松文芸館の開館])

以上の活動のほかに、短歌・俳句の入門講座、また、著名な講師による講演会を開催しており、さらに、年一回発行
浜松市史 五 ([文芸作品の自費出版])

には娘時代、結婚後、出征時代、夫の戦死、家族、知人のこと、そして四十三年の比島巡拝団参加のときに詠んだ短歌
細江町史 通史編下 (細江町史 通史編 下 目次)

326 4 漢詩・偈 327 5 音楽 327 6 茶道 327 7 華道 328 8 短歌
佐鳴の風:わが町文化誌 (浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)

佐鳴台公民館「わが町文化誌」編集委員 ・資料の提供その他色々な面で協力してくださった方々 ・短歌
浜松市史 四 (目次)

                 八一五        文芸雑誌        詩        俳句        短歌
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