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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (浜松病院医会)

福島豊策  【福島豊策】明治十五年七月県費削減措置により、静岡県医学界の先端を行く存在であった浜松病院,も、県立から郡立となり、明治十二年から第二代院長となっていた福島豊策がひきつづき院長となった(天保九年佐賀蓮池藩士族
浜松市史 三 (山葉寅楠)

【福島豊策】その山葉寅楠が、はしなくも楽器製作に己れの進む道を発見し、浜松を生涯の地とするようになったのは,、福島豊策との出会いであった。    ,当時浜松の有力者樋口林治郎(県会議員)や木村庫太郎から元城小学校のオルガンの修理について相談をうけていた福島豊策,【河合喜三郎】寅楠が福島豊策の後援を得て、浜松池町の小杉屋という錺職(かざりしょく)の河合喜三郎(大正五年十月没
浜松市史 四 ([浜松信行社の人々])

[浜松信行社の人々] 【大野木吉兵衛 報徳仕法 浜松信行社 福嶋豊策 遠江二葉会 袴田五平】  遠州,医師福嶋豊策によって浜松に導入された(明治三十二年一月)。  ,福嶋豊策は肥前国出身で、浜松病院長(明治十二年~二十年)を辞して後道に開業し、講演や印刷物施行に拠って,同三十三年に日本形染が設立され、同三十四年に遠江織物同業組合結成があって、近代商工都市に変貌する時期に、福嶋豊策,大野木吉兵衛は浜松信行社の隆盛と展開をみる上で、特に福嶋豊策の後継者高村栄蔵と袴田五平について詳細に論
浜松市史 三 (信行社)

信行社(しんぎょうしゃ) 心学布教の団体で、明治三十二年一月に守本恵観にあい、その教えに心服した福島豊策
浜松市史 三 (町政批判派 町会議員分裂)

ここにおいて太田用成・小野江善八・福島豊策・金井善江・乗松保吉・本多五十司・田畑庄吉らの調停となり、ようやく
浜松市史 四 ([西遠医会から遠江医学会へ])

遠江医学会へ] 【遠江医学会】  明治十四年二月二十日、西遠医会が発足し、会長には浜松病院院長の福嶋豊策
浜松市史 三 (写真・図版目次)

                           一五〇 太田用成                          一五八 福島豊策
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

斎藤謙三文庫 越川七郎】 64 五 医  学 66 【太田用成 県立浜松病院 七科約説】 66 【福島豊策
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