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浜松市史 ニ
(秋葉講)
秋葉
講
秋葉
講
秋葉
山は火防の霊場としてあまねく知られた。,【
秋葉
鳥居】浜松では
秋葉
街道が東海道と交差する田町の角に、
秋葉
大権現の大鳥居があった。,この鳥居は、嘉永五年田町の町民が
秋葉
山の神恩に報いるため建設したもので、はじめは木造であったが、のち「,また小松村(浜北市小松)には、文政五年(一八二二)に建てられたという
秋葉
鳥居がある。,【接待茶屋】三方原台地の北端、
秋葉
街道筋の二軒屋(当市都田町)には、接待茶屋や旅籠屋、餅・甘酒などを売 /
秋葉
講
浜松市史 ニ
(秋葉社)
秋葉
社
秋葉
社(当市三組町)由緒によると、叶坊浄全(かのうぼうじょうぜん)が家康の命により、犬居
秋葉
社,
秋葉
神社(大正時代)(浜松市三組町) /
秋葉
社
浜松市史 三
(遠州秋葉山炎上)
遠州
秋葉
山炎上 さて、こうして迎えた昭和十八年三月には火伏の神として崇められた遠州
秋葉
山が火災で焼失 / 遠州
秋葉
山炎上
浜松市史 四
(三方原用水 秋葉ダム)
三方原用水
秋葉
ダム この開発計画は、戦後、浜松市が発展していく上で大いに貢献することになる。,しかし、この計画の実現により、
秋葉
ダムから農業用水・工業用水・上水道用水が取水されることになった。 / 三方原用水
秋葉
ダム
浜松市史 ニ
(火の神)
火の神 火の神 【
秋葉
信仰】火伏の神とし犬居
秋葉
山が信仰された (高柳光寿「
秋葉
山神仏分離事件調書」,そのために
秋葉
講があったことは後述する。,浜松付近では、道路の辻に常夜灯として「
秋葉
さま」をまつる部落が多かった。,【
秋葉
灯籠】これを
秋葉
灯籠といい、その世話は住民の輪番制とするしきたりであった。,
秋葉
灯籠(浜北市宮口)
浜松市史 ニ
(管粥神事)
管粥神事
秋葉
社(当市三組町
秋葉
神社。前述) 正月二十八日。,この
秋葉
の祭と鴨江観音の彼岸・竜禅寺観音の祭礼は、浜松に育った人々にとってもっとも親しみの深い祭であった
浜松市史 四
([近隣の行楽地])
[近隣の行楽地] 【岩水寺 中田島 佐鳴湖観光協会
秋葉
詣で 天竜下り 天竜観光協会 北遠振興会】,戦前、遠州電気鉄道が大いに宣伝していた
秋葉
山詣でや天竜下りは戦争で中断されたが、二十五年七月二十三日には,静岡新聞社主催の
秋葉
詣でと天竜下りの旅が催され、浜松―
秋葉
山―雲名と回り、雲名からは豪快な天竜下りを行,途中には鮎釣の険、千草の七つ釜、横山橋下の奔流、相津地先の七曲がり、船明弁天岩など、佐久間・
秋葉
などの
浜松市史 三
(年中行事)
【
秋葉
神社祭典】正月 元日(官民合同新年祝賀会) 五日(消防組出初式、浜松駅前広場) 八日(聯隊観兵式,、和地山歩兵第六十七聯隊練兵場) 二十八日(
秋葉
神社大祭と
秋葉
市(いち)、三組) 【春彼岸】三月,県居神社大祭、伊場) 【酉の市】十一月 酉の市(法雲寺、旭町) 【火祭】十二月 十五日(
秋葉
神社火祭
浜松市史 三
(浜商の父)
浜商の父 【
秋葉
の森】三十六年十月に三組町(
秋葉
神社北)に新校舎が落成し移転した。,
秋葉
神社の森を背景に閑静で勉学に恵まれた環境であった。上棟の日には市中を提灯行列したという。
浜松市史 ニ
(浜松の主要交通路)
井平村へ弐拾五丁、的場・黒田村・山吉田・大野を経て鳳来寺薬師堂まで都合、道法、浜松より拾弐里九丁 【
秋葉
道,】一
秋葉
山御堂までの道法 浜松より光明山御堂まで道法六里拾八丁、光明山より犬居まで壱里弐拾五丁、,犬居より
秋葉
山御堂まで壱里、都合、道法、浜松より九里九丁 一浜松より富士山下大宮まで道法三拾五里三拾丁,【
秋葉
街道】つぎに
秋葉
講で参詣者の多い
秋葉
山参詣道筋については、連尺町追手札之辻から神明(しんめい)町,まで道法九里七丁」 この
秋葉
街道は、さらに伸びて遠・信の国境青崩峠を越え信濃国に通じていた。
浜松市史 ニ
(家康の駿河甲斐等の経営成る)
【
秋葉
社】この起請文は
秋葉
社(当市三組町)に奉納されたという(『浜松御在城記』)。
浜松市史 三
(神社の復活)
【三社神社 分器稲荷 金山神社】
秋葉
神社(三組町)に合祀された三社神社(鹿谷町)や分器稲荷(田町)、また,また社格も松尾神社(元魚町、大正五年昇格)・
秋葉
神社(大正十五年)・西神明神社(篠原村篠原、昭和六年)
浜松市史 三
(神社仏閣)
【
秋葉
社】
秋葉
大明神は高町にあって正月二十八日、十一月十六日の祭祀は詣人おびただしい。,田町から池町へ入るところに銅の
秋葉
大明神の華表がある。
浜松市史 ニ
(侍屋敷)
秋葉
町(あきはまち)
秋葉
社の門前町(現在の三組町)。 ,半頭町(はんこうまち)
秋葉
町から鴨江寺へいく道筋で中間屋敷(ちゅうげんやしき)があった。
浜松市史 五
([教化活動の現れ])
【
秋葉
神社】 昭和六十二年一月二十九日付記事として、三組町の
秋葉
神社で、管粥(くだがゆ)祭・焼納祭,神仏習合の歴史と伝統を背景にして、
秋葉
信仰を奉ずる遠州地方の重要な習俗行事であり、火防の神・
秋葉
三尺坊大権現,を祀る信仰拠点として浜松市内には三分院(
秋葉
神社・三組町、舘山寺・舘山寺町、保泉寺・篠原町)がある。
浜松市史 三
(有賀豊秋 中村大館)
橋本茂登治(上前島、明治四十一年没、六十六歳、
秋葉
神社宮司)は豊秋の門弟、
秋葉
神社詞掌であった。
浜松市史 ニ
(家臣団の配置)
』)が、作左曲輪に本多作左衛門重次の屋敷が、同曲輪の下り谷(近藤谷ともいう)には近藤石見守(康用)、
秋葉
権現,(当市三組町
秋葉
神社)の社地には山家三方衆、鴨江観音堂(当市鴨江)の北築地跡には鵜殿兵庫頭(本興寺過去帳
春野町史 通史編 上巻
(春野町史 通史編 上巻 目次)
北遠地方における庄園の形成 170 第四節 地域の信仰 174 一 神々の信仰 174 二
秋葉
山,普及 602 第四節 茶生産の発展と茶一件 606 第五章 信仰と文化 611 第一節
秋葉
山,と
秋葉
信仰 611 一 近世の
秋葉
山 611 二
秋葉
信仰 618 三
秋葉
山道 637 第二節
浜松市史 ニ
(東明守誓)
東明守誓 東明守哲は高塚村高蔵寺の啓岩や奥山蔵書院の竜水に学び、奥山方広寺北西の富幕山や
秋葉
山に禅を
浜松市史 三
(旧士族町)
旧士族町 旧侍屋敷町の高町(一二一戸のうち士族九四戸)にも傘職(四戸)居酒屋などが住み、
秋葉
(一四戸
浜松市史 ニ
(お札降り)
有玉村では深夜樹木の枝とか垣の上などに
秋葉
・伊勢・津島・熱田さまなどのお札が降った。,では赤い手拭をかむり異様な身なりをしてにわか踊りをする者があるし、女は相撲取のような髪を結って浜松の
秋葉
社
浜松市史 ニ
(高町地域)
城郭の西南部、高町方面からその南につらなる
秋葉
(町あきは)・半頭町(はんこう)(いずれも現在の三組町)
浜松市史 ニ
(半僧坊と三尺坊)
半僧坊と三尺坊 ちなみに浜松地方では方広寺(臨済宗、引佐郡引佐町)の半僧坊、
秋葉
寺(曹洞宗、周智郡春野町
浜松市史 三
(八十二区 戸長制)
このとき浜松宿は第六十九区に属し、戸籍事務のみを行なう戸長副戸長が置かれ、
秋葉
町外三十か町村からなっていた
浜松市史 一
(北方の地質)
【井伊谷 久根鉱山 峰之沢鉱山
秋葉
山】浜名湖の北では、古生層にはさまれた石灰岩が盛んに採掘されている,天竜川のすぐ東では赤石裂線のために岩層の並び方がみだれ、
秋葉
山付近でジュラ紀の鳥ノ巣石灰岩を含む地層が,とくに大井川中流の家山と天竜川中流左岸の
秋葉
山との間では、適従谷と、それにはさまれて生じた屋根の列との
浜松市史 ニ
(正光寺竜道貫)
寺子に積志村上前島(当市大島町)の橋本茂登治(犬居村
秋葉
神社宮司)がある(『浜名郡積志村村誌』)。
浜松市史 ニ
(従軍許可)
従軍許可 【三月】三月十五日大総督府下参謀西郷吉之助は大久保初太郎と木部次郎(浜松
秋葉
社神主)に、甲州
浜松市史 三
(小野江善六)
【田町の
秋葉
鳥居と報徳】文久二年田町が設けた
秋葉
鳥居(『浜松市史二』参照)を青銅巻にするために町民が拠出
浜松市史 ニ
(蝶夢の来遊)
安永九年(一七八〇)四月、
秋葉
山(周智郡)に参拝した蝶夢は、二十四日浜松の城下に泊り、翌日浜松の永田白輅
浜松市史 ニ
(藩の武芸者)
を教えた者には、袋町(いまの松城町・紺屋町)に小林平之進、七軒町(いまの菅原町の一部)に天野大治郎、
秋葉
社社前,【峠権左衛門】峠権左衛門(諱忠重)は天明・寛政(一七八一-一八〇〇)ごろ浜松の
秋葉
社前に道場を開き、峠流
浜松市史 一
(遠江の真言宗寺院)
遠江の真言宗寺院 【鴨江寺 頭陀寺 竜禅寺】奈良時代の創建と伝えられる
秋葉
(しゅうよう)寺(周智郡春野町
浜松市史 五
([三方原用水の完成])
これにより佐久間ダム、
秋葉
ダムの電源開発が行われ、それぞれ昭和三十一年と三十三年に完成した。,これによると三方原用水は
秋葉
ダムから取水、毎秒一六・七一トン(一日最百四十四万三千トン)の水が天竜市・,
秋葉
ダムの取り入れ口の水門が開くと、二十二キロ離れた三方原台地に向かって待望の水が流れていった。
浜松市史 五
(三方原地区土地改良事業)
昭和三十三年七月、天竜東三河特定地域総合開発計画の一環として
秋葉
ダムが完成、同三十五年天竜川(
秋葉
ダム,事業名 事業の概要 国営三方原用水事業 工期 昭和35年~昭和45年 取水口
秋葉
浜松市史 ニ
(町民の生活)
【
秋葉
祭】享保年間の鴨江観音堂や普済寺の釈迦堂立替の地築には町々ではいろいろの趣向をこらして参加しているし,、
秋葉
祭(当市三組町
秋葉
神社)は貞享二年(一六八五)の記録があり「此まつりは浜松町在々共ニおびたゞしく
浜松市史 四
([社殿再建築の動き])
昭和二十三年・
秋葉
神社(三組町)鳥居再建、同二十五年・
秋葉
神社社務所再建、白山神社(高林町)社殿再建、,同二十六年・鹿島神社(海老塚町)社殿再建、同二十七年・
秋葉
神社社殿再建、若宮神社(大工町)社殿再建、同二十八年
浜松市史 ニ
(曹洞宗)
なお、曹洞宗の比丘尼寺として瑞泉庵(高町、
秋葉
社付近、廃寺)があった。
浜松市史 ニ
(家康の浜松移城)
家康の浜松移城 元亀元年(一五七〇)七月に、家康は
秋葉
山叶坊光播を使者として上杉輝虎に浜松城図を贈って
積志の流れ今むかし:わが町文化誌
(浜松市立積志公民館『積志の流れ今むかし:わが町文化誌』 目次)
55 清掃工場と有玉緑地 56 未来の積志 57 第2章 くらし 63 1、信仰行事 64
秋葉
信仰,の起源と灯篭 64
秋葉
道 66 庚申信仰と庚申講 68 庚申塔 70 お日待ち 71 2、
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
二十四か町 【町割 御役町 無役町 職人町】 12 (三)七地域に配備された武家屋敷 14 【
秋葉
町,の奥平信昌
秋葉
神社 三組町】 17 (四)地の利を得た寺社の配備 18 四 新しい浜松の始まり,平田踏切】 145 【堀留ポッポ道】 147 二 伝統芸能 148 (一)祭り 【管粥祭り
秋葉
神社,【少年消防クラブ(BFC)】 180 五 環境 開発・保存 180 (一)開発された山々 【
秋葉
,【鴨江北町】 267 【栄町】 269 【中山町 清水谷 徳川家康 伝説】 270 【三組町
秋葉
町
浜松市史 三
(岡部政美)
神社取締役を命ぜられ、八月浜松五社神社、それより小国神社・砥鹿(とが)神社をへて二十三年より三十一年まで
秋葉
神社
浜松市史 ニ
(信玄の進軍)
信玄の進軍 十二月二十二日信玄は、合代島のすぐ下の神増(かんぞう)のあたりで天竜川の本流を渡り、
秋葉
街道
浜松市史 三
(浜松の祭)
の市と数多いが、ことに鴨江観音堂の春秋二回の彼岸会(ひがんえ)、龍禅寺観音堂の手筒花火(八月九日)、
秋葉
神社
浜松市史 三
(浜松人の協力)
木村安次郎・間渕重太郎・内山嘉吉・大庭作平・近藤弥市・中島登・三方原士族正木八十郎等)が多く、学校創立後も
秋葉
浜松市史 三
(二俣線開通と西鹿島駅 遠州鉄道株式会社)
戦局が進展した十八年十一月には他の交通機関五社(浜松自動車・遠州
秋葉
自動車・掛塚自動車・遠州乗合自動車
浜松市史 ニ
(天保四年 天保五年)
その五月には有玉下村市場の
秋葉
灯籠に、恒武村仁右衛門が笠井丸一屋惣太郎・松屋徳三郎・上石田村彦左衛門・
浜松市史 三
(浜松の仮戸長と管轄地)
一梅谷甚三郎 八百五十八軒
秋葉
町・清水町・利(とぎ)町・本魚町・紺屋町・大工町・大堀新地・猿屋町・愛宕町
浜松市史 三
(侍屋敷 町人町)
また平民が半ば以上を占めているのは繁華街に近接する後道・大堀新地・鴨江小路と
秋葉
町などであった。
浜松市史 一
(流水量)
【佐久間ダム
秋葉
ダム】この水がかつては榑木の筏流しに用いられ、満水しては川留となって東海道の通行を妨,げ、洪水となっては堤防を破り田畑などに被害をおよぼしていたのであるが、いまは佐久間や
秋葉
で堰止められて
浜松市史 ニ
(雪荷派)
浄躬は浜松高町(現、三組町)
秋葉
社の別当で、雪荷派の伝統をうけつぎ、文政・天保年間にあたって浜松地方に
浜松市史 ニ
(七月)
虫送り この月のうち二夜三夜、竹幹を束ねた長松明(たいまつ)を携えて、これに
秋葉
社の火を借りて移し
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