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浜松市史 ニ
(竜禅寺の絵馬)
竜禅寺
の絵馬 また
竜禅寺
本堂にも算法・金的中・巡礼・武者絵をはじめ寺の全景を描いた大小数十枚の絵馬がならんでいた /
竜禅寺
の絵馬
浜松市史 ニ
(糀と竜禅寺村)
糀と
竜禅寺
村 【糀専売権の紛争】糀 糀は古くから
竜禅寺
村(当市
龍禅寺
町)において、糀屋十六人(時に十七人,当国引佐郡金指村 詫人 利 吉 親類隣家惣代 利右衛門
竜禅寺
村糀屋衆中 / 糀と
竜禅寺
村
浜松市史 五
([龍禅寺境内の開放])
[
龍禅寺
境内の開放] 浜松城下を歌う近世俗謡に「遠州浜松広いやうで狭い、横に車が二挺立たぬ」という狭隘,【
龍禅寺
】 昭和四十五年八月二日付の『静岡新聞』は、右の駅南第六工区に南接する
龍禅寺
町の自治会が、,
龍禅寺
(高野山真言宗)境内の参道を子供広場にするというのである。 ,
龍禅寺
町はその名が示すように古刹の門前町由来を冠した町名である。,この
龍禅寺
大前智良住職は七年前、境内の一部に遊具を整え、子供広場を提供していた。 / [
龍禅寺
境内の開放]
浜松市史 一
(頭陀寺薬師如来像 竜禅寺千手観音像)
頭陀寺薬師如来像
竜禅寺
千手観音像 この二点のほか、『静岡県史』第三巻には都盛(現頭陀寺町)の頭陀寺本堂,の本尊である薬師如来坐像(一木造、平安中期)・同じく本堂安置の不動明王立像(一木造)や、
竜禅寺
町の
竜禅寺
千手観音像 / 頭陀寺薬師如来像
竜禅寺
千手観音像
浜松市史 ニ
(近衛前久浜松に逃れる)
十一月十二日、前久は甲州在陣中の榊原康政に書状をおくり家康への斡旋を依頼している(『
竜禅寺
文書』)。,【
竜禅寺
】前久は
竜禅寺
(当市
龍禅寺
町)に滞在したという(『遠江国風土記伝』)。
浜松市史 三
(白脇村)
白脇村 白脇村は町村制施行によって瓜内・白羽・中田島・楊子・三島・寺脇・福塚・寺島・
龍禅寺
の九か村を,馬込川の北部の大字浜松寺島(地積三五町歩、現在の寺島町)・浜松八幡地(地積二九町歩、現在の砂山町)・
龍禅寺
,(地積二八町歩、現在の
龍禅寺
町)が浜松町へ編入された(当時地積九四町歩、戸数二六九、人口一二三七)。
浜松市史 三
(屠畜場)
屠畜場 屠畜場 明治四十二年大字
龍禅寺
(
龍禅寺
町)に設置された。
浜松市史 ニ
(家康の決意)
近衛前久書状(浜松市
龍禅寺
町
竜禅寺
旧蔵)
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
. 6 中沢和田線 中沢・和田 16 Ⅱ. 1. 3 鍛冶元浜線 鍛冶・元浜 20 Ⅰ. 1. 6
龍禅寺
中,ノ町線
龍禅寺
・中野町 36 Ⅱ. 1. 4 板屋蜆塚線 板屋・入野 20 Ⅰ. 1. 7
龍禅寺
可美線,
龍禅寺
・可美 36 Ⅱ. 1. 5 中島三島線 中島・三島 20 Ⅰ. 3. 2 板屋中ノ町線 板屋,松江・
龍禅寺
16 Ⅱ. 1.12 三島若林線 三島・可美 20 Ⅱ. 2. 2 平田飯田線 平田・,飯田 16 Ⅱ. 1.13 入野可美線 入野・可美 20 Ⅰ. 3.10
龍禅寺
森田線
龍禅寺
・森田
浜松市史 ニ
(金原清興)
【近郊の歌会】この歌会の人々は時おり万斛・神立・
竜禅寺
・入野(以上現在浜松市)など、浜松の近郊におもむいて,【
竜禅寺
】さらに享保十二年二月十五日には、
竜禅寺
境内に会合、和歌は九人が各々五首ずつ、詩は一篇ずつ作るという,出席者は国頭(志水)・方塾・紅波・真拆・慈法・実栄・浜純・久章・光治・鶴汀・無舌・竹渓らである(
竜禅寺
雅会記
浜松市史 ニ
(地蔵院貫志)
地蔵院貫志 また天保年間(一八三〇-一八四三)には
竜禅寺
塔頭(たっちゅう)地蔵院(当市
龍禅寺
町)の貫志和尚
浜松市史 一
(遠江の真言宗寺院)
遠江の真言宗寺院 【鴨江寺 頭陀寺
竜禅寺
】奈良時代の創建と伝えられる秋葉(しゅうよう)寺(周智郡春野町,などをはじめとして、鎌倉時代にすでに建立されていた市内の鴨江(かもえ)寺(戦災焼失)・頭陀(ずだ)寺(同上)・
竜禅寺
浜松市史 三
(堀川鼠来)
方同居)・元魚町(明治十年、三〇番屋敷)・白山下(明治十二年、二五番地、本称寺長屋)と転々とし、後に
龍禅寺
村,した『鼠来発句集』(明治二十一年刊)があり、句碑「まとうつや秋をさたむる夜の雨」(明治十九年建立)が
龍禅寺
境内,鼠来句碑(
龍禅寺
境内) 俳譜は庶民の娯楽として、村祭などの献納句会にも応募するものが多く、和歌
浜松市史 三
(神社仏閣)
【
龍禅寺
】
龍禅寺
観世音は
龍禅寺
村にあって毎月十八日は参詣人が多い。
浜松市史 三
(堅実な歩み)
340 連尺町 遠江銀行 400 田町 倉松銀行 165 塩町 芳川銀行 300 田町
龍禅寺
銀行,40
龍禅寺
町
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
(三)神々のいとなみ 【災害 諏訪明神 明神野】 14 (四)仏のいとなみ 【観音菩薩
龍禅寺
,のひろまり 【禅宗 華蔵義曇 普済寺十三派 寺島 砂山新豊院】 18 (三)生産物のひろまり 【
龍禅寺
,のすがた 35 (一)東海道線の開通 【浜松駅】 35 (二)その頃(明治・大正)の道路 【
龍禅寺
,【校歌 児童数の推移 思い出の
竜禅寺
婦人学級】 145 (三)高砂小学校 【校歌 児童数の,【
竜禅寺
町 坂上田村麻呂】 213 (二)仁王門と閻魔堂 【
龍禅寺
戦災焼失】 214
浜松市史 三
(新川馬込川出水)
新川馬込川出水 昭和十年九月四日 降雨量二百四十七ミリ、浸水地域は砂山・寺島・
龍禅寺
・北寺島・海老塚,・浅田・野口・下池川・菅原・東伊場等三十二か町、五千余戸が浸水し、高砂・
龍禅寺
の二小学校と浜松工業学校
浜松市史 ニ
(寺社領の村)
【
竜禅寺
】―
竜禅寺
(りゅうぜんじ)村の旧称は市場村で、天正以後寺号を村名とし百石はすべて
竜禅寺
の封戸である,
竜禅寺
村の者は浜松城下において三品のうち「糀(こうじ)」の専売権を与えられていたという(後述)。,(浜名郡湖西町新所 法泉寺) 村名 海老塚 将監名 神立 西塚 下池川 大蒲 八幡 東鴨江
竜禅寺
, 48 α 70
竜禅寺
浜松市史 三
(塵芥焼却場)
塵芥焼却場 【
龍禅寺
町】塵芥処理場を市が直営としたのは大正十三年であった。,しかし年々増加する塵芥量を処理するために焼却場が必要となり、その候補地として
龍禅寺
町を指定したが、
龍禅寺
町,しかるに昭和二年五月市から新しく委託を受けた浜松ダスト会社(昭和二年追分町設立)が
龍禅寺
町内の水田八百坪
浜松市史 四
(鈴木自動車工業)
渥美鉄工所 浜松市海老塚町 高橋鋳造所 浜松市向宿町 渥美製作所 浜名郡雄踏町 太洋鋳造所 浜松市
龍禅寺
町,渥美工業KK 浜松市高林町 戸塚鉄工所 浜松市
龍禅寺
町 旭屋工業KK 浜名郡可美村 中島銅工店,大石鉄工所 浜松市新津町 疋田製作所 浜名郡新居町 小楠金属工業所 浜名郡篠原村 星川鉄工所 浜松市
龍禅寺
町,)鉄工所 浜松市中島諏訪町 鈴長鉄工所 浜松市森田町 山崎鉄工所 豊橋市下地町 鈴正鉄工所 浜松市
龍禅寺
町,吉田鉄工所 浜松市元浜町 鈴木工業所 浜松市相生町 揚子工業KK 浜松市楊子町 鈴木砲金所 浜松市
龍禅寺
町
浜松市史 三
(四月と五月の空襲)
によって、市の中心部の利・連尺・伝馬・神明・元城・松城の各町をはじめとし、南部の東伊場・菅原・寺島・
龍禅寺
,(上記寺島・
龍禅寺
の両町に落下の爆弾は三〇〇で被災地域は全町の三分の一に達し死者七、八〇名に及んだ)の,裁判所(西来院に移り執務した)・税務署をはじめ寺院では頭陀寺・
龍禅寺
・齢松寺等が炎上し、芳川・
龍禅寺
・,の国民学校、誠心高等女学校をはじめ元城幼稚園や河合楽器・鈴木織機も少なからぬ被害をうけたが、なかでも
龍禅寺
,女子工員十四名は爆弾の直撃で即死、楊子町の石川鉄工場では南国民学校の動員生徒六名が死亡、警防団員七名(
龍禅寺
町三名
浜松市史 四
([公営住宅])
公営住宅】 一般住宅の不足を補うため、昭和二十一年度から市と住宅営団による公営住宅が和地山、鴨江、
龍禅寺
,耐火構造公営住宅 合計戸数 建設地 戸数 建設地 戸数 21 和地山町(74),鴨江町(54),
龍禅寺
町,(4) 132 0 132 22 和地山町(108),助信町(10), 鴨江町(8)、
龍禅寺
町(4,15), 浅田町(15),助信町(10), 上池川町(8),下池川町(10), 寺脇町(4),
龍禅寺
町
浜松市史 ニ
(柳塚連)
井上藩士であったが幕末の廃藩と病のため財を失い、本魚(もとうお)町・平田町と移り、のち
竜禅寺
(当市
龍禅寺
町,【鼠来句碑】明治十九年に建てた「まとうつや秋をさたむる夜の雨」の句碑はいまも
竜禅寺
の前庭にある(塚本五郎
浜松市史 三
(小村の合併)
上都田・下都田村合併)・三新村(掛塚村のうち辰新田・向新田・茅野新田村合併)などが新設され、土呂新田(
龍禅寺
村,名称の変らない宿村 新設された村 敷知郡 浜松宿 富塚村のうち(沢) 浜松宿 名残村 寺島村
龍禅寺
村, 土呂新田
龍禅寺
村 上中島村 奈川新田 上中島村 入野村 蜆塚村 入野村 西大山村 東大山村
浜松市史 一
(熊野信仰)
鴨江寺(大正時代)(浜松市鴨江町) 大𤭖神社(浜松市中野町)
竜禅寺
,(大正時代)(浜松市
竜禅寺
町) 熊野神社(浜名郡可美町)
浜松市史 三
(金融機関)
浜松貯蓄銀行 連尺町 〃30 100 50.5 遠江合同貯蓄銀行 新町 大正10 50 12.5
龍禅寺
銀行,
龍禅寺
町 明治27 10 10 支店 三十五銀行浜松支店 伝馬町 〃22 豊国銀行浜松支店 〃,日本勧業銀行浜松支店 板屋町 昭和2 愛知銀行浜松支店 伝馬町 不動貯蓄銀行浜松支店 〃 注
龍禅寺
銀行
浜松市史 三
(馬込川出水)
馬込川出水 昭和七年九月十四日 馬込川が氾濫し諏訪橋が流失、浸水地域は船越・野口・浅田・寺島・砂山・
龍禅寺
浜松市史 四
([罹災した寺院])
龍禅寺
(
龍禅寺
町)、鴨江寺(鴨江町)、法林寺(成子町)、西導寺(成子町)、東漸寺(成子町)、明寿院(塩町
浜松市史 三
(屠殺場)
【四十二年】町営の屠殺場は元名残にあったが(明治二十七年屠殺数牛一七、馬九、豚七頭)、明治四十二年
龍禅寺
町
浜松市史 三
(年中行事)
宗円堂大念仏) 二十三、二十四日(玄忠寺・教興寺・大安寺の盂蘭盆会) 土用丑の日(丑浜、米津浜) 【
龍禅寺
花火,】八月 九、十日(
龍禅寺
観音大祭、四万八千日) 十四、十五日(稲荷神社、分器・八幡宮、野口) 二十四日
浜松市史 三
(馬込川新川出水)
床上浸水千五百二十八戸、床下七百九十八戸、浸水地域は前年度よりさらに浜松寺島・
龍禅寺
・海老塚・元城・伝馬,~5 日降水量 300mm 馬込川 新川 馬込 新 板屋 田 下垂 八幡地 浜松八幡地 浜松寺島
龍禅寺
浜松市史 ニ
(管粥神事)
この秋葉の祭と鴨江観音の彼岸・
竜禅寺
観音の祭礼は、浜松に育った人々にとってもっとも親しみの深い祭であった
浜松市史 三
(無集配郵便局)
これは三十四年から三十五年へかけて田町・菅原・
龍禅寺
・天神町の四か所、その後高町・連尺などと浜松郵便局
浜松市史 ニ
(縁日)
二月十三日)・岩水寺(浜北市)の星まつり(二月二十四日)・西鴨江花学院の馬頭観音(三月最初の午の日)・
竜禅寺
浜松市史 三
([天竜川の治水])
幼名を弥一郎、後に久右衛門または久平といい、少年時代に
龍禅寺
村の地蔵院(金光院の塔頭)の貫志和尚に学んだという
浜松市史 三
(銀行類似会社の全盛)
笠井村に笠井銀行、同年八月に掛塚村に掛塚銀行、十五年市野村に消海社、十六年一月貴布祢村に永世社、同年
龍禅寺
浜松市史 三
(浜松駅)
浜松駅 【位置問題】浜松駅の位置は、現在地(浜松市旭町)よりはるか南方の田圃(
龍禅寺
付近)の中へ最初予定
浜松市史 三
(教育費の増加)
11年 野口町 12 718 718 0 14 追分 〃12年 追分町 6 411 411 0 7
龍禅寺
,〃13年
龍禅寺
町 6 422 422 0 6 註 所在地は5月1日以降の町名を記す 相生小学校
浜松市史 三
(掛塚街道)
掛塚街道 ③掛塚街道 屈折が多く狭いので関係町村が協力して工費を負担し、路線も浜松駅南から
龍禅寺
・芳川
浜松市史 三
(馬込川大水)
十年九月四日には馬込川の破堤で浸水家屋五千戸余(ともに浸水区域はいつも船越・野口・浅田・寺島・砂山・
龍禅寺
浜松市史 ニ
(主要寺院)
真言宗 鴨江寺(馬渕紫陽『鴨江寺蔵古文書解説』)
竜禅寺
頭陀寺 常楽寺 岩水寺 浄土宗 西伝寺
浜松市史 三
(時局教育 浜師時習寮 大久保教育)
785 761 明23 浜松市北国民学校 山下町 28 25 1,617 833 784 大11 浜松市
龍禅寺
国民学校,
龍禅寺
町 30 27 1,754 883 871 大14 浜松市追分国民学校 追分町 20 18 1,096,大12 浜松市佐藤国民学校 佐藤町 19 17 933 478 455 昭4 浜松市高砂国民学校
龍禅寺
町
浜松市史 四
([引揚者と復員者への援護])
浜松市では昭和二十一年九月に葵町に、同二十二年には
龍禅寺
町にそれぞれ引揚者の収容所を建設している。,なお、このころ
龍禅寺
町には龍南荘という引揚者収容施設があり、十七世帯が入居していた。
浜松市史 三
(編入 編入)
三十七年十二月十四日浜名郡白脇(しらわき)村のうち大字寺島(三五町歩余)・浜松八幡地(はちまんち)(二九町歩余)・
龍禅寺
浜松市史 三
(浜松の祭)
ほうじょうえ)、法雲寺(浜松板屋)の酉(とり)の市と数多いが、ことに鴨江観音堂の春秋二回の彼岸会(ひがんえ)、
龍禅寺
観音堂
浜松市史 一
(木寺宮領)
常楽寺文書 (中沢町) (1590) (浜松市史史料編二) 鴨江・山田・助信村 慶長8.9.15
竜禅寺
文書,山田は天正18.12.28
竜禅寺
文書にもある (鴨江町・西伊場町・助信町) (1603) (同上),浜名郡雄踏町山崎) (1665) 沢村 同上 同上 (広沢町) 山田 天正18.12.26 寛文御朱印帳
竜禅寺
文書
浜松市史 三
(織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他)
)・浜松倉庫株式会社(四十年、板屋町)・林運送合資会社(四十四年、旭町)があり、Fの八社には株式会社
龍禅寺
銀行,(二十七年、
龍禅寺
町)・株式会社浜松銀行(二十八年、田町)・浜松貯蓄銀行(三十年、連尺町)・株式会社遠江銀行
浜松市史 三
(小野組支店)
改称 明治37.2 永世 浜名郡北浜村 大正14.8 遠江銀行へ合併 明治16.3 共栄社 浜名郡
龍禅寺
村,明治27.9
龍禅寺
銀行と改称 明治27.9
龍禅寺
浜名郡
龍禅寺
村 昭和2.8 遠州銀行に買収さる
浜松市史 三
(罹災学校)
し,11.30廃校となる ×● 南校 2.15空襲で全焼,分散授業開始(鹿島神社・高砂校・
龍禅寺
校,天皇陛下臨幸になり復興状況をご視察となった 相生校 4.30空襲以後,旧校舎と新校舎を利用し授業した
龍禅寺
校, 62 県居 15 9 466 相生 23 18 838 北 19 5 144
龍禅寺
浜松市史 ニ
([浜松城下をめざす])
ついで翌二十一日は「観音講」と称し一村に八名ずつの惣代が、三嶋陣屋に隣接する
竜禅寺
(当市
龍禅寺
町)境内
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