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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 一 (範頼の死)

範頼の死 頼朝は「鎌倉殿」として同族と武士に対した態度は、範頼や遠江の御家人に対しても厳格であった。,範頼は義経とともに木曾義仲を討ち、九州でも戦功をたてた。,とのあいだはしだいに疎隔し、建久四年(一一九三)五月、富士裾野巻狩の異変の時の失言で悪化し、八月二日範頼,しかし十日に範頼の家人当麻太郎が頼朝の寝所の床下から召し捕えられたので事態は急転し、十七日範頼は伊豆に / 範頼の死
浜松市史 一 (蒲冠者範頼)

蒲冠者範頼 なお源義朝の子で、遠江池田宿の遊女を母とする蒲冠者範頼(かばのかんじゃのりより)がある(,平治の乱(一一五九)ののち範頼は、浜名郡飯田村上飯田稲荷山(当市飯田町)に預けられた。,当市内蒲神社の神官蒲氏の「家譜」によると、源清倫の女藤姫(吉祥子)は範頼の室となり、女子(藤姫)を生んだ,のち清倫は吉祥子に家をつがせ、範頼の子藤姫に婿を取らせ、生まれた男子が清常だという(『磐田市誌』、内田旭 / 蒲冠者範頼
浜松市史 一 (義定の戦功)

義定の戦功 元暦(げんりゃく)元年(一一八四)正月、まったく孤立した義仲は、頼朝の代官として上京した範頼,九州に落ちのびた平氏は、福原(神戸市)まで進出してきたが、二月に範頼と義経の追討をうけ、四国屋島(高松市
浜松市史 一 (平氏の滅亡)

平氏の滅亡 範頼は、頼朝の命令で山陽道を九州にわたり、瀬戸内海を包囲しようとする。
浜松市史 一 (頼朝の勢力ひろまる)

追討使範頼・義経の下で、一国か数国を分担した東国武士は、守護人や総追捕使の名で国衙機構を支配し、兵粮米
浜松市史 一 (保元の乱と遠江の武士)

また「遠江国住人内田三郎家吉」は、範頼・義経(一一五九-一一八九)らの木曾義仲(一一五四-一一八四)追討軍
浜松市史 一 ([守護と地頭])

には、大宰府(だざいふ)(福岡県筑紫郡)に駐屯して九州地方の鎮定と平氏方武士の所領没収にあたっていた範頼
浜松市史 一 (義経の行方)

三河守範頼・遠江守護安田義定も従軍している(『吾妻鏡』文治五年七月十九日条)。
浜松市史 一 (今川氏の内争)

ついに義忠の弟(『今川系図』は叔父)範頼の子範満が国政を監督することになった。
浜松市史 一 (宿の遊女)

宿の遊女 【橋本 池田】頼朝の兄義平の母は、橋本宿の遊女(『尊卑分脈』)であり、範頼の母も池田宿の遊女
浜松市史 一 (義定の重任)

頼朝が臨席し、三河守範頼・武蔵守武田義信・信濃守遠光・初代の遠江守護(『吾妻鏡』治承四年十月廿一日条)
袖紫ケ森:わがまち文化誌 (浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)

12 蒲神明宮縁起誌 15 蒲神明宮と蒲御厨 19 蒲神明宮文書 22 非運の武将 蒲冠者 源範頼
とみつか:わが町文化誌 (浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)

(二)御塚さま(意富塚) 317 (三)狐塚 317 【古墳 安座】 317 (四)史蹟 源範頼別邸御茶屋跡,319 ・郷土が生んだ源氏の総師蒲冠者範頼公 320 【安座 石碑 蒲冠者 飯田町 竜泉寺】 320
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

54 【律令制と農民】 56 【坂上田村麻呂と水晶松 青屋町】 58 【蒲御厨】 59 【範頼
佐鳴の風:わが町文化誌 (浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)

【佐鳴台六丁目 赤宮神の祠 入野町西彦尾 オヒマチ コウシンサマ 石神 道祖神】 36 四 源範頼
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