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浜松市史 ニ
(農村の職人)
農村の
職人
ここで農村居住の
職人
について代表的なものを述べておく。,【御用
職人
無役
職人
】享保四年(一七一九)の浜松領内国領組五十三か村についてみると、大工三十七名・畳屋二名,・木挽十一名・鍛冶七名・桶師四名・紺屋十四名がそれぞれいくつかの村に居住し、浜松城下町在住の
職人
と同様,に藩主の御用を勤める者と「御役勤め申さず」という無役
職人
とに分かれていた。,無役
職人
は大工・鍛冶に多く大工では北嶋村の九人、永嶋村の五人が多い方であり、また鍛冶は薬師新田(三人) / 農村の
職人
浜松市史 ニ
(職人の由緒)
職人
の由緒 これらの諸
職人
はいずれも、由緒をもっていた。 ,」その後も「御陣不残御供」をしたが「駿府の御城御天守御普請の節」お暇をいただき浜松へ帰り「其節浜松諸
職人
御褒美 /
職人
の由緒
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
職人
町と屋敷 宝暦年間の「諸職御定之覚」によって諸職の役と居住地区と軒数を列挙すると次ぺージの表のとおりで,これによると、いわゆる同職居住の原則にあてはまらないので、全戸千六百九十八戸のうち
職人
家数二百七十八軒,このうち神明町には
職人
頭の家が三軒、紺屋町と大工町には二軒あり、家数からいうと大工町・紺屋町・鍛冶町・,下垂町・板屋町は二十軒以上を数え有力な
職人
町であった。 /
職人
町と屋敷
浜松市史 三
([いろいろの職人など])
[いろいろの
職人
など] いろいろの
職人
たちも住んでいた。 / [いろいろの
職人
など]
浜松市史 ニ
(御役町と無役町)
と無役町 武家屋敷に対して、町屋敷(町地)は浜松宿駅の伝馬役・人足役を負担する御役町(次節参照)と
職人
居屋敷,商人町(交通旅宿業を含む)や
職人
町の源流は、後世の由緒書上類その他の資料から、徳川家康在城時代の誘致保護政策,【
職人
町】
職人
の場合についてみると、いわゆる御用
職人
の屋敷が城下に集住(
職人
町)してくる時期は寛永(一六二四,すなわち、御役町が東海道筋にそって城下町の中心部を形成するにともなって、その通筋や裏町・脇通に
職人
町を
浜松市史 ニ
(城主と町民)
城主と町民 【
職人
頭】諸
職人
頭は後にも述べるように城下町構成の重要な要素で、城主との接触も村々の庄屋同様,丸鉄砲の間で行なわれた年頭祝儀の儀式には、医師一人、本陣四人とともに伝右衛門(大工頭)以下十一人の諸
職人
頭,幕末期の例であるが、弘化四年五月若殿様(井上正直)の家督相続御祝儀に諸
職人
頭(十一人)が登城した。
浜松市史 ニ
(町検地と町絵図)
【
職人
屋敷】天和の町検地で認定された
職人
屋敷は右表のごとく、前々から十五職一万七千坪余の
職人
屋敷が地子,(じし)を免除され、
職人
頭の支配のもとに藩主に対する一定の
職人
役を負担し(「細工もの仕立差上」)、営業上,天和年間の浜松無役町屋敷(坪未満切捨) 屋敷区分 地子免除の坪数 無役町内庄屋役屋敷 1963坪 諸
職人
居屋敷,17009坪 諸
職人
内訳 大工 7352 かじ 3117 木挽 292 桶屋 1184 紺屋 2616
浜松市史 一
(資金源となる商工業)
資金源となる商工業 【御用商人 御用
職人
】そして大名は商工業者を資金源にする。,まず商工業の座を統制団体として利用し、座の有力者を御用商人(ごようしょうにん)・御用
職人
として、分国内,石切・杣・大鋸引・鍛冶・桶結・畳指・細工師などを御用
職人
にした例は、戦国大名に共通している。
浜松市史 ニ
(軍役の負担)
している有力な名主が年貢とともにうけおうもので、戦争が長期にわたり規模が大きいばあいには、不具者・後家・
職人
,【
職人
】大工・鍛冶・石切などの
職人
は陣夫役を免除されるが、そのかわりにその特殊技能を徴用された。
浜松市史 一
(国役)
国役 天文五年(一五三六)九月十七日、今川義元の判物(『安養寺文書』)のうちに「一諸
職人
并船弐艘国役停止事,安養寺の
職人
に対する国役のことである。
浜松市史 一
(浜松城下のばあい)
浜松城下のばあい 【御用
職人
】浜松城下では、家康が紺屋・檜物師・塗師・瓦師・仕立物師・桶師・屋根屋・,鍛冶・大工・畳師・木挽などの
職人
に、それぞれ支配頭をおいて統制させ、頭には無税の屋敷を与え、領内の販売,城下の
職人
だけでなく、村の
職人
にも諸役を免除して奉仕させている(「浜松宿諸職記録」『浜松市史史料編二』
浜松市史 ニ
(十職の職種)
の職種 浜松領内において大工・木挽・畳師・瓦師・檜物師・鍛冶屋・塗師・桶師・仕立師・紺屋・屋根屋の
職人
,それはいろいろな願い事に各職頭名を連ねる場合、仕立師だけが除かれている場合があるかと思うと、諸
職人
作料
浜松市史 ニ
(板屋町の場合)
【職業別】すなわち
職人
関係の職種が二十一種類の五十軒、商人関係三十三種類の六十三軒、どちらへもはいらない,【
職人
層 商人層】
職人
では「見付甲掛(みつけこうかけ)、浜松足袋(はままつたび)」といわれた足袋縫・足袋仕立職,
職人
関係(人) 商人関係(人) 雑(人) 左官職 2 小間物商 5 百姓 2 足袋縫職 10 荒物油商,荒物紙商 1 縫箔職 1 墨筆商売 1 莨刻
職人
,#160; 下駄鎌鑢細工職 1 在方穀類買出 17 線香細工
職人
浜松市史 一
(手工業)
【
職人
】
職人
といえば手工業者をいうことになる。
浜松市史 一
(兵農分離)
兵農分離 大名は、農村に住んでいた商人と
職人
を農村からきりはなし、城下町に集め、農民を農業に専心させることにした
浜松市史 ニ
(【鍛冶職】)
に罷出候節一日一人ニ付米一升五合宛御作料銀一匁四分宛頂戴仕候」この鍛冶職も領主から保護をうけ、他国の
職人
,御領分御城付之内一切入レ不申候、無役ニ而鉄物紛敷職致者有之候得は、職儀を以差留申候」 これらの
職人
頭
浜松市史 三
(横町通)
【池町 利町】しかし同じ横町でも池町や下垂町は
職人
町で、傘屋(二〇戸)左官(九戸)桶屋(八戸)や古着屋,【紺屋町】紺屋町には紺屋職は住んでおらず大工町と同様に建築関係の
職人
が多く石工・井戸掘・桶職・塗師や荒物
浜松市史 一
(皮革)
【皮留】また駿府に皮革
職人
を集めたり、行商人が皮類を他国に密売するため、駿府の皮作り大井掃部丞に皮留(
浜松市史 ニ
(領主の保護)
このように領主から申し付けられる細工物を仕立て差し上げるため、代々地子を免除されている
職人
は前述(第三章天和年間,【
職人
役】なお、
職人
役のうち、水役・素人役の性格については明らかでない。,あるいは、一人前の
職人
として独立していく過渡的の状態を示したものかもしれない。 ,・は
職人
頭の居住地を示す。
浜松市史 一
(中世の都市)
都市に住んだのは、農民・武士・僧・神主・
職人
・商人らである。
浜松市史 一
(手工業)
店舗 福富草紙 部分(京都 妙心寺春浦院蔵) 【
職人
醸造業 金属業】すでに手工業者は農民から,分化しており、
職人
は手工業者だけをいうことになった。
浜松市史 三
(漆工)
市川安吉】この人たちは明治二十八年田町椀安(わんやす)こと市川安吉(霊雲)が漆器製造を創めるため招いた
職人
浜松市史 三
(平版印刷)
これは浜松塩町の渡辺安次郎が明治十年ごろに印刷機を購入し、石版
職人
を招いて、銅版に捨版を刻り輪郭を石板石
浜松市史 ニ
(商工業者の保護)
商工業者の保護 家康は駿府移転後も、従前の政策のごとく在地の有力な商工業者に対して諸役を免除し、彼らに諸
職人
浜松市史 四
(東洋ピアノ製造)
石川は設計・製作をこなす
職人
であると同時に、会社としての事業拡大にも大きな功績を残した。
浜松市史 一
(平山城と城下町)
【新宿】多くの家臣は、本城と支城の城下町に集められ、商人・
職人
たちも移住した。
浜松市史 一
(軍需品の整備)
南北朝時代になると、専門
職人
として農村から離れる機会にめぐまれた。
浜松市史 ニ
(戸口の増減)
では塩町があるばかりでその他は七軒町・板屋町・新町・早馬町・下垂町・大工町・紺屋町の脇町で宿の周辺部と
職人
町
浜松市史 四
(浜松木櫛)
自分の活動を芸術と呼ばれることを嫌い、最後まで一
職人
としての生涯を貫いたという。
浜松市史 ニ
(文政倹約令)
その内容は、同年十一月から諸
職人
作料をはじめ人馬駄賃銭・男女奉公人の給料など「都而商物二割下ゲ」を主軸
浜松市史 三
(商肆)
とりわけ神明町宮坂屋には東京より移住の
職人
がいて新奇のものを製す。
浜松市史 四
([工作機械産業の発展])
このうち、柳川鉄工所と日笠鉄工所の二社から多くの
職人
がスピン・オフして、浜松地域の金属・機械工業を形成
浜松市史 ニ
(百姓の階層)
この場合、僧侶・神官・山伏・美子(みこ)(神子)・医師・
職人
・商人などが村落共同体の中でどのような地位
浜松市史 ニ
(町屋)
大工町(だいくまち)・紺屋町(こうやまち)・鍛冶町(かじまち)・利町(とぎまち) 町名の
職人
が多く住み
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
)の中村乗高(のりたか)の著『事実証談(ことのまことあかしがたり)』には、浜松紺屋(こうや)町の紺屋
職人
浜松市史 ニ
(魚と肴町)
十職が
職人
に対する優遇であるならば、三品は商人に対する特権付与といえよう。
浜松が生んだ名建築家中村與資平展
([明治40年])
工事の最初は土工事と石工事であるが、元来土工と石工は
職人
中でも悪質の者が多く、現場監督を苦しめるのが常,完成することも覚束なく、辰野先生の嘱望にそむくことにもなり、尚自分の将来にも影響することであるから、
職人
浜松市史 ニ
(二の丸)
飼葉置所 飼葉置所 釜屋入用道具入 薪置所 荒糠置所 風呂 掃 除 者 部 屋 諸
職人
細工所
浜松市史 ニ
(目次)
近世都市浜松の特質 町割 武家屋敷 無役町と
職人
町
中村與資平物語
([前編])
職人
(しょくにん)たちが與資平(よしへい)の指示(しじ)を無視(むし)して作業(さぎょう)をしていたので,丈夫(じょうぶ)な建物(たてもの)をつくりたいんだ」 という與資平(よしへい)の熱(あつ)い思いが
職人
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
掛替・修覆のとき大工
職人
を出す。
浜松市史 四
([バラックでの生活])
工事当日は材料が運び込まれ、数人の
職人
が来て作業をした。
浜松市史 ニ
(分村と村名)
2.百姓以外の住民は、医師5人、馬医師3人、山伏32人、美子8人、座頭10人、在村
職人
(大工・木挽・鍛冶
浜松市史 三
(目次)
その他の工場 主要工産物 いろいろの
職人
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
370 十六 伝馬町 372 【商店街地図 本陣 杉浦助右衛門】 373 十七 大工町 【
職人
町, 入場者六十七万、大成功の産業博 【全国産業博覧会 元浜町 山下町 下池川町】 440 18
職人
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
東海道宿駅制度 浜松宿の本陣 助郷制度】 11 (二)宿場を支えた二十四か町 【町割 御役町 無役町
職人
町
解説「浜松城絵図と城下絵図」
(解説「浜松城絵図と城下絵図」)
成子番所定番者4軒、中番所定番者2軒)や、様々な役人(道手代、塩手代、筆頭、宗旨改手代、山手代、御旗之者
職人
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