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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (芭蕉柳の句碑)

芭蕉柳の句碑 蝶夢は天明八年四月十六日、俳弟子木姿と共に江戸を出て、二十五日浜松宿紺屋町の蓮華寺(れんげじ,また蝶夢の揮毫になる芭蕉の句「八九間そらて雨降る柳哉」を柳也が石に刻み蓮華寺に建てたのは、このときのことであろう / 芭蕉柳の句碑
浜松市史 ニ (弘化年間の雪の県連)

弘化年間の雪の県連 【芭蕉句碑】天保十五年(弘化元年、一八四四)ごろ「草臥れて宿かる頃や藤の花」の句碑,いずれも芭蕉の句である。,・一牛が同所の芦山、内野の守静(甘仙)・文哉などの協力を得て建てたものである(塚本五郎『静岡県にある芭蕉,井上士朗(しろう)があり、その門に学んだ鶴田卓池(たくち)は(はじめ加藤暁台(ぎょうだい)に学ぶ)、芭蕉,脇起の俳諧(天保九年十月、芭蕉忌)  しくるるや田のあら株の黒む程 芭蕉 燃やす木の葉の匂ひ高々 夷白
浜松市史 ニ ([俳諧の庶民化])

[俳諧の庶民化] 【普大寺 完来筆芭蕉句碑】寛政二年(一七九〇)浜松普大寺の庭に芭蕉の「白露もこほさぬ
浜松市史 ニ (蓼太の来遊)

蓼太の来遊 【犀ケ崖の句碑】芭蕉以後の俳諧はその門人らによって幾派かに分かれた後は、しばらく形式にはまったものが,芭蕉柳の句碑(浜松市紺屋町 蓮華寺)
浜松市史 ニ (蝶夢の来遊)

蝶夢は京都阿弥陀寺の住職で、芭蕉の伝記・遺稿の編集にその生涯を捧げた。  
浜松市史 ニ (俳諧と浜松 宗因の来遊)

【鬼貫】貞享・元禄時代になると松尾芭蕉(まつおばしょう)(一六四四-一六九四)によって蕉風が統一された, 舟より前坂(舞阪)にあかりてこよひは浜松に宿す、二十七日天竜川を渡る」(『鬼貫句選』)    芭蕉
浜松市史 ニ (白輅)

若いころ鳴海(なるみ)(名古屋市)の下郷蝶羽(芭蕉門の下郷知足の子)に俳諧を学んだ。
浜松市史 三 (松島十湖)

政界を引退してから俳三昧の生活に入り、陸奥(みちのく)に信濃路に吟行(ぎんこう)を試み、年々の芭蕉忌も
浜松市史 ニ (天保年間の雪の県連)

また古俳人の句を集めて『発句太根帒』五巻を著わし、天保九年十月の芭蕉忌には知友・門人らと俳諧の連歌を作
浜松市史 ニ (巴静の来遊)

巴静の来遊 【笠の恩】芭蕉の門人各務支考(かがみしこう)に師事した美濃(岐阜県)竹鼻の太田巴静(おおたはじょう
浜松市史 四 (『浜松句碑めぐり』)

芭蕉・堀川鼠来・松島十湖・正岡子規・高浜虚子・河東碧梧桐・内藤鳴雪・中塚一碧楼・加藤雪膓・久野仙雨・雪中庵蓼太
浜松市史 ニ (烏明の来遊)

徐生、浜松藩士)・蓮華寺(当市紺屋町)住職鳥居柳也・入野(当市入野町)竹村方壺の四人は、毎月十二日の芭蕉忌
浜松市史 ニ (兄弟庵連)

【翁百吟解 遠津安布美句集】左光は芭蕉の句を研究して『翁百吟解』を著わし、さらに遠江の俳人の句を集めて
東方見聞録:東区の文化誌 (東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会『東方見聞録:東区の文化誌』 目次)

117 第5章 郷土の偉人編 119 第35話 暴れ天竜を治めた 金原明善 121 第36話 今芭蕉
浜松市史 ニ (写真・図版目次)

           五四一 巴静笠塚の句碑(浜松市鴨江 鴨江寺)            五五〇 芭蕉柳
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

四)白王山大厳寺 【常光寺 普済寺 藤戸大三郎 錦木太夫】 226 (五)泉松山法林寺 【芭蕉
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

212 【心造寺 紺屋町 西郷局 鉄灯篭】 212 【蓮華寺 紺屋町 鳥井四郎左衛門忠広 松尾芭蕉
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