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浜松市史 三
(芳川村)
芳川
村 【キュウリ メロン】
芳川
村では大正六年に西尾良一・三輪仁平・柿沢寿義らによって初めて温室が建設,大正八年には丸浜温室園芸組合、十二年には丸遠温室園芸組合が設立され流通面での円滑化をはかったので、
芳川
地方,は太平洋戦争の大打撃をうけて7,000~8,000坪程度に激減した (表)2.昭和16年度の
芳川
村,栽培戸数 (百分比) 栽培面積坪 (百分比) 1戸当り 栽培面積(坪) 平均 最多 最少
芳川
村 /
芳川
村
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
浜名郡豊西村 15 12年10月 報徳遠譲社第四分社善地社 浜名郡龍池村 50 17年4月 老間社 浜名郡
芳川
村,19年1月 入野社 浜名郡入野村 45 〃 有玉社 浜名郡積志村 147 19年6月 都盛社 浜名郡
芳川
村,16 43年3月 高薗同志社 浜名郡龍池村 22 〃 四本松社 浜名郡
芳川
村 15 〃 立野社 浜名郡
芳川
村,15 43年4月 遠江中ノ町村社 浜名郡中ノ町村 58 44年1月 下中島報徳社 浜名郡
芳川
村 11,44年1月 御給報徳社 浜名郡
芳川
村 19 計 53社 1626
浜松市史 三
(掛塚街道)
掛塚街道 ③掛塚街道 屈折が多く狭いので関係町村が協力して工費を負担し、路線も浜松駅南から龍禅寺・
芳川
,【三十九年】しかし道路の位置について互に利害関係があり、たとえば
芳川
村地域では村の西北より東南を中央に,貫通するようになっていたりしていたが、長谷川貞雄の調停によって三十九年改修工事が竣工した(『
芳川
村誌』
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌
(浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)
の変遷 9 昔の川の流れ 9 天竜川堤防の変遷 13 天竜川改修工事 15
芳川
,81 第三節 橋 83 掛塚橋 83 遠州大橋 84 老間橋 86
芳川
,94 土地区画整理事業 95 土地改良事業 97 第五節 愛称標識 102
芳川
地区,花卉園芸 129 第三節 工業 130 安藤製糸 131 東町の工場集団 131
芳川
,天竜川堤防の草刈り 177 夜警 177 共同墓地の草刈り 178 第六節
芳川
浜松市史 三
(水利組合)
水利組合 水利組合も農会とほぼ前後して発達し、下飯田用水に関係のある飯田・
芳川
(ほうがわ)・河輪・五島,の四か村組合(三十二年)、天神町・白脇の両村の茄子川堰用水の組合(三十三年)、飯田・
芳川
の両村に接続する
浜松市史 三
(浜松銀行)
なお同名の銀行に大正八年
芳川
銀行(明治二十八年
芳川
村都盛に創立、のち本店を浜松市大字田に移す。
浜松市史 四
([町村の教育委員会])
委員の報酬は村によって異なり、
芳川
村の委員長は月額千五百円、委員は千四百円、吉野村は委員長も委員と同じで,には教育長を置いたが、小学校長兼任(吉野)、校長兼務(三方原)、中学校長兼務(飯田)、中には助役兼任(
芳川
,事務局の職員に至っては役場の職員がすべて兼務という形で、二人(飯田・
芳川
・三方原)、一人(吉野)といった
浜松市史 一
(ツツミドオリ出土銅鐸)
ツツミドオリ出土銅鐸 ④浜松市
芳川
町ツツミドオリ出土銅鐸明治元年(一八六八)七月、旧
芳川
村都盛で河川氾濫
浜松市史 三
(報徳家)
その主なものをあげると、前述の金原孫四郎をはじめ①桑原楯雄(大正七年没、六十七歳)
芳川
村都盛。,③三輪孫平
芳川
村都盛。明治二十二年
芳川
村報徳社々長。天竜川の水防に尽し肥料買入組合を設立。
浜松市史 五
([天竜川西縁水防組合の解散と浜松市水防団の誕生])
され(『広報はままつ』昭和三十八年六月二十日号)、市内には八水防団(河輪・五島・中ノ町・白脇・笠井・
芳川
,笠井・中ノ町・飯田・
芳川
・河輪の各分団は地区内の天竜川およびその支流、五島分団は地区内の天竜川・
芳川
・,馬込川とその支流および海岸、白脇分団は地区内の馬込川・
芳川
とその支流および海岸、都田分団は都田川とその
浜松市史 ニ
(大漁祈願)
神別した境内の竹を漁船の守り神としてまつり、大漁を念じたという(『
芳川
村郷土誌』)。
浜松市史 三
(青物市場)
浜松宿の野菜の供給地(
芳川
方面)にも近く、東海道と掛塚街道の交差点にあたり、交通の便がよかったので慶応年間,組合員は天神町・曳馬・蒲・和田・飯田・
芳川
・白脇・河輪・五島村に及んでいる)を組織し、円滑に運営が行なわれるようになった
浜松市史 四
([町村合併の推進])
この動きを受けて九月三日には浜名郡の第一部会の村議会議長会が和田村役場で開かれ、出席した和田・
芳川
・飯田,十五カ町村とは
芳川
・飯田・和田・長上・三方原・可美・入野・吉野・和地・神久呂・中ノ町・伊佐見・篠原・舞阪, △可美村 入野村 神久呂村 吉野村 三方原村 長上村 中ノ町村 和田村 飯田村
芳川
村,と同時に、昭和二十九年度は可美・入野・
芳川
・飯田の四村を対象に合併の交渉を進めることとし、三方原・吉野,このころ
芳川
村と浜松市の協議も繰り返し行われるようになり、ついに
芳川
村も合併を正式に申し入れた。
浜松市史 一
(伝三方原出土銅鐸)
現在その所在は不明であるが、記録によると総高一尺九寸五分(五九センチメートル)とあり、型式は後述する
芳川
町
浜松市史 四
(五島・新津・河輪三村の浜松市合併)
これに対して、市議会の一部からは五島村の要求は浜松市の財政負担を重くすること、五島村だけでなく
芳川
村や,昭和二十六年一月になると、新津村が合併に意欲を出し、河輪村は隣接の
芳川
村と同時合併を期待していたが、
芳川
村,
芳川
村の浜松市合併は同年二月五日の村議会で結論が出ず、翌日になって住民投票の結果を発表、反対多数で浜松市
浜松市史 五
([なかよし館・浜松こども館の開設])
[なかよし館・浜松こども館の開設] 【なかよし館】 浜松市は平成十三年一月、
芳川
小学校の敷地内に,
芳川
なかよし館を、都田南小学校の隣接地に都田南なかよし館を開設した。
浜松市史 三
(煙草)
永島種が一般に耕地されたが、二十九年葉煙草専売法公布されると耕作者が増加して各町村に普及し、なかでも
芳川
浜松市史 五
([駅前バスターミナルの完成])
この結果、昭和五十八年四月一日からは駅南地区の市営(
芳川
線を除く)、遠鉄両路線バスが鍛冶町経由で北口バスターミナル,また、
芳川
線も昭和五十九年九月一日に遠鉄へ移管され、全路線がバスターミナルに発着することになった。
浜松市史 三
(浜松銀行)
浜松銀行 ③浜松銀行(旧
芳川
銀行が大正八年改称)は積極的な経営をもって、しきりに他の銀行を合併し、遠州銀行
浜松市史 四
([温室園芸とビニールハウスの普及])
[温室園芸とビニールハウスの普及] 【
芳川
村都盛 温室】 浜松地域では、戦前から温室園芸が盛んに,当地域における温室園芸は
芳川
村都盛を中心に発達し、その後浜名郡下に広がっていった。,しかし、昭和二十四年に青果物の統制が解除され需要も増え始め、資材も出回り始めると温室の新設が増え、
芳川
,アイリス、百合、チューリップ、フリージア 和田地区 430 100 530 菊、チューリップ、百合
芳川
地区
袖紫ケ森:わがまち文化誌
(浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)
蒲村全略図 45 NHK浜松放送局開局 47 中島飛行機製作所の出現 48 浜松大空襲 50
芳川
,258 焼残のくろがねもち 260 植松の定紋「えびす木」 261 薬師道と稲荷道 263
芳川
,の曲り 265
芳川
の橋 266 清庵様(せいこあんさま) 267 雨乞い池 269 嫁橋 270
浜松市史 三
(温室園芸)
温室創設期の中心地は駿河の清水市三保・伊豆の賀茂郡下のほか、遠州では浜名郡
芳川
村・磐田郡豊浜村(現福田町
浜松市史 三
(蔬菜 園芸品 品種改良)
主要供給地として浜松周辺の曳馬・
芳川
・飯田・河輪の各村があったがこれらの村には園芸農作も発達するようにもなっていった
浜松市史 三
(堅実な歩み)
肴町 浜松貯蓄銀行 340 連尺町 遠江銀行 400 田町 倉松銀行 165 塩町
芳川
銀行
浜松市史 四
([国家地方警察浜名地区警察署])
管轄区域は積志村・北庄内村・篠原村・三方原村・豊西村・飯田村・
芳川
村・河輪村・五島村・長上村・南庄内村,巡査駐在所名称 警部 警部補 巡査部長 巡査 東浜名地区 警察署 雄踏町 北浜村 篠原村 北庄内村
芳川
村,、赤佐村、積志村有玉、 積志村、小野口村小松、小野口村小野口、長上村市野、 長上村天王、中瀬村、
芳川
村
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
1.10 曳馬住吉線 曳馬・住吉 20 Ⅰ. 3. 7 八幡三方原線 八幡・葵 27 Ⅱ. 1.11 三島
芳川
線,三島・
芳川
20 Ⅱ. 2. 4 松江龍禅寺線 松江・龍禅寺 16 Ⅱ. 1.12 三島若林線 三島,・早出 25 Ⅱ. 2. 8* 鴨江西伊場線 鴨江・西伊場 16 Ⅰ. 3.20 子安大柳線 子安・
芳川
浜松市史 五
([幼稚園])
【私立幼稚園 入園料 保育料】 昭和五十一年度、郊外で都市化が進んだ長上・
芳川
・積志地区にあった与進,・
芳川
・万斛の各幼稚園は園児の数が三百人を超えるようになった。
浜松市史 五
(組合施行の土地区画整理事業)
蒲地区の各組合(将監、植松、蒲北、上西、袖紫ヶ森、大蒲)は昭和三十年代から四十年代半ばにかけて、また、
芳川
地区
浜松市史 ニ
(水神)
水神 水神社 稲作地帯のいたるところにあったが、とりわけ天竜川をはじめ馬込川(まごめがわ)・
芳川
(ほうがわ
浜松市史 四
([周辺町村の幼稚園])
これと同様に昭和二十五年四月に五島幼稚園と
芳川
幼稚園がそれぞれの小学校内に設立された。,これも小学校内にあった
芳川
・五島・河輪三村組合立の南陽中学校が別の位置に新築されたのを機に設立された。
浜松市史 ニ
(式内社)
式内社のような古い神社は長い年月のあいだに、祭神や社名にも変化があり、とくに天竜川水系(天竜川・安間川・
芳川
浜松市史 三
(遠江織物同業組合)
初代組合長は中村忠七、つづく二代目の桑原為十郎(
芳川
村大橋出身、浜松菅原町在住、大橋屋という。
浜松市史 四
([戦災学校とその復興])
戦災学校とその復興] 【元城・南・西・東国民学校 北国民学校 八幡国民学校 飯田国民学校 篠原国民学校
芳川
国民学校,戦後に浜松市へ合併した町村の国民学校で戦災被害を受けたのは飯田・
芳川
・篠原の三国民学校であった。,
芳川
国民学校は五月十九日の空襲で付近に落ちた爆弾により三棟が大破、これ以後は各地の公会堂や寺院での分散授業
浜松市史 三
(金原治山治水財団 農地開発営団)
農地開発営団 【浜名三川援助】昭和に入って、県が県営浜名用排水幹線改良事業に着手すると、その中の浜名三川(
芳川
浜松市史 三
(渡船 船越一色村 天竜川船橋 天竜橋 船越一色村の困窮 池田橋 豊田橋 渡船場 掛塚橋)
江ノ島橋】以上のほかに天竜川には各地域間を連絡する明治七年九月竣工の鶴見橋(延長八四間、幅六尺)、
芳川
,しかしこれだけでは足りようはなく天竜川には大正年間まで十か所(
芳川
(ほうがわ)村の老間・東金折・寺前、
浜松市史 五
([人口のドーナツ化と学校の分離、独立])
人 富塚小学校 53年度 1271人 富塚西小学校 54年度 699人
芳川
小学校,53年度 1970人
芳川
北小学校 54年度 1054人 積志小学校 53
浜松市史 ニ
(新田の種類)
その他の川沿新田として馬込川流域には上嶋新田・十軒新田・細嶋新田・前新田・西新田などがあり、
芳川
に沿って
浜松市史 三
(浜松町農会 浜名郡農会)
浜松付近では、すでに町村単位の農会の前身ともみなすべき例えば神久呂の共救社、赤佐(明治十五年)・
芳川
(
浜松市史 四
([教育委員の選挙])
われたが、盛り上がりに欠け、可美・篠原・村櫛・和地・伊佐見・神久呂・入野・積志・長上・和田・中ノ町・飯田・
芳川
浜松市史 三
(蚕糸業組合 蚕業組合)
)浜名郡浜松市蚕糸同業組合となって、伝習・講習(都田・和地・河輪・積志・神久呂・飯田・北庄内・新津・
芳川
浜松市史 三
(浜松近郊被害)
浜松近郊被害 浜松警察署の報告によると「被害大ナルハ浜松市・入野村・篠原村・
芳川
村・五島村・河輪村・
浜松市史 ニ
(五嶋新田と源太夫堀)
【新源太夫堀】しかしこの地方は馬込川と
芳川
の川口に接し流砂のため埋没するにいたったので、文政年間に新しい
浜松市史 ニ
([幕末における遠江国学])
桑原真清 有賀豊秋】会場は主に遠州国学発祥の地といわれる、諏訪社の杉浦家であったが、ここに集まるものは
芳川
村参野
浜松市史 三
(織物工場分布)
2,605,134 長上・曳馬 3,044,931 龍池・豊西・和田・中ノ町 1,812,970 蒲・河輪・
芳川
浜松市史 四
([町村合併])
三方原台地を含めて天竜川から浜名湖に至る町村を対象としたが、話題の中心は入野・神久呂・和田・中ノ町・飯田・
芳川
,浜松市の坂田市長がシャウプ勧告に基づく平衡交付金のことで、周辺の五島・和田・飯田・
芳川
・新津・可美・入野,このうち可美村と入野村は村の財政が豊かで合併には反対、
芳川
村は村長と議会が対立して村政が停滞、合併どころではなかった,121,878 河輪村 2,956 1,445 1,511 五島村 2,665 1,335 1,330
芳川
村
浜松市史 五
([国一バイパスの完成])
それによれば、バイパスは、延長十六・六〇五キロメートル、和田地区の安新町から南下して飯田、
芳川
、白脇、,昭和四十一年初めからは
芳川
町から四本松町にかけての四百四十メートルの区間を皮切りに本格着工に入った。
浜松市史 四
([甚大な被害の下での出発])
#160; 【天竜川の大洪水】 それ以外の活動として、昭和二十年十月五日天竜川の大洪水があり、浜名郡
芳川
村金折,飯田・
芳川
両村警防団員(五名)は出水に際し挺身(ていしん)敢闘した功労者として、同二十一年一月二十九日静岡県警察部長
浜松市史 五
([有線放送電話の普及と団地電話の開通])
昭和三十八年六月には、三方原農協の有線放送、同四十年二月には、
芳川
・河輪・五島農協地区を区域とする南陽有線放送電話
浜松市史 四
([永久橋の建設])
芳川
に架かる西塚橋と新川最下流の浅田橋が鉄筋コンクリート化されたのは昭和三十四年四月、このころ、学校も
浜松市史 三
(三川排水改善期成同盟会 浜名用排水幹線改良事業)
をはかったことに感謝するとともに、その実施に際しては用排水幹線改良という目的を十分に加味されたいこと、また
芳川
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