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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 一
(天台宗)
天台宗 元亀(げんき)二年(一五七一)五月、延暦寺は徳川家康に対し、
蓮華寺
領(周智郡森町)と一宮の社僧職,をかえすように申し入れている(『
蓮華寺
文書』)。
浜松市史 ニ
(芭蕉柳の句碑)
芭蕉柳の句碑 蝶夢は天明八年四月十六日、俳弟子木姿と共に江戸を出て、二十五日浜松宿紺屋町の
蓮華寺
(れんげじ,また蝶夢の揮毫になる芭蕉の句「八九間そらて雨降る柳哉」を柳也が石に刻み
蓮華寺
に建てたのは、このときのことであろう
浜松市史 一
(遠江と浄土宗)
遠江と浄土宗 【作善房
蓮華寺
西蓮 信寂】遠江国にもこれら新仏教は、ややおくれて伝わる。,遠江
蓮華寺
(周智郡森町)の禅勝房も上京して法然に教えをうけ、帰国ののち番匠大工となっていたが、安貞元年
浜松市史 ニ
(家康の敗走)
【
蓮華寺
】市内紺屋町
蓮華寺
はその寺記によると、家康の臣鳥居四郎左衛門忠広が三方原で戦死したのをその妻が
浜松市史 ニ
(柳也と月並句会)
柳也と月並句会 【会日運座】弘化・嘉永年間(一八四四-一八五三)に、浜松紺屋町
蓮華寺
の住職鳥居柳也を,【良也 倍賢】催主の鳥居柳也は天明年間の俳人柳也の孫にあたり、弘化・嘉永年間
蓮華寺
の住職として生涯俳諧,その子良也(養子、嘉永七年
蓮華寺
住職となる。
浜松市史 三
(吉田冠三)
朝比奈善八方の控家に住み、池田村などに人形を教え明治三十六年五月、五社小路で没したという(七十四歳、墓
蓮華寺
浜松市史 一
(六波羅陥落)
その名は
蓮華寺
(れんげじ)の過去帳にとどめられ、墓も残っている。上皇・天皇は京都に向かった。
浜松市史 ニ
(真宗)
蓮華寺
(紺屋町、前述第二章第六節参照)。齢松寺(後道、現在中沢町)開創は明応九年という。
浜松市史 ニ
(烏明の来遊)
天明五年九月、永田白輅・吉田玄彦(徐生、浜松藩士)・
蓮華寺
(当市紺屋町)住職鳥居柳也・入野(当市入野町,【柳也】柳也(号を一棺亭という)は紺屋町の玩照山
蓮華寺
の住職で、俳諧を蝶夢に師事し、立花・生花などもたしなんだ
浜松市史 ニ
(蓼太の来遊)
芭蕉柳の句碑(浜松市紺屋町
蓮華寺
)
浜松市史 四
([罹災した寺院])
明寿院(塩町)、本称寺(元魚町)、快真寺(鴨江町)、甚教院(栄町)、善正寺(紺屋町)、心造寺(紺屋町)、
蓮華寺
浜松市史 三
(六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)
天林寺 南国民学校 西来院 西国民学校 玄忠寺 東国民学校 心造寺 県居国民学校
蓮華寺
浜松市史 三
(浜松の芝居小屋)
紺屋座といい、紺屋町本通と
蓮華寺
通との中間の空地杉浦太郎右衛門の裏手に在ったという。
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
巴静笠塚の句碑(浜松市鴨江 鴨江寺) 五五〇 芭蕉柳の句碑(浜松市紺屋町
蓮華寺
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
愛染稲荷 板屋町】 211 (二)仏 閣 212 【心造寺 紺屋町 西郷局 鉄灯篭】 212 【
蓮華寺
, 市民会館 養神館 神明館 凧揚げ】 338 二 紺屋町 【紺屋屋敷】 340 【遠州教会
蓮華寺
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