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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (蝶夢の来遊)

蝶夢の来遊 また五升庵蝶夢(ちょうむ)も遠江にたびたび歴遊している。,蝶夢は京都阿弥陀寺の住職で、芭蕉の伝記・遺稿の編集にその生涯を捧げた。  ,安永九年(一七八〇)四月、秋葉山(周智郡)に参拝した蝶夢は、二十四日浜松の城下に泊り、翌日浜松の永田白輅,このとき浜名の橋の跡で、「もかり舟はま名の橋の跡かたれ」と一句よんでいる(『俳僧蝶夢』)。 / 蝶夢の来遊
浜松市史 ニ (蝶夢不二の山の句碑)

蝶夢不二の山の句碑 蝶夢は三たび浜松を訪れ、多くの人を指導し、師として尊敬されていた。,中でも方壺はもっとも敬慕し、寛政二年(一七九〇)蝶夢の句「村松やみとりたつ中に不二の山」を碑に刻んで、,蝶夢不二の山の句碑(浜松市入野町 臨江寺) とほつあふみの記 このやまやさくらはちれと香はのこり,蝶夢   散りかかる花そ誦経もこころあれ 方壺   花ちりて猶もおくある御寺かな / 蝶夢不二の山の句碑
浜松市史 ニ (芭蕉柳の句碑)

芭蕉柳の句碑 蝶夢は天明八年四月十六日、俳弟子木姿と共に江戸を出て、二十五日浜松宿紺屋町の蓮華寺(れんげじ,また蝶夢の揮毫になる芭蕉の句「八九間そらて雨降る柳哉」を柳也が石に刻み蓮華寺に建てたのは、このときのことであろう,二十六日蝶夢は方壺にいざなわれ、白輅・柳也らと臨江寺に遊び、連歌・俳諧をよんでいる。  ,「箏のつらぬく露の落葉哉    蝶夢  青鷺や草刈笠もたた一人    方壺  暮残る山田の畔や花茨,     斗六  早乙女や筑摩の里の笠着連   白輅」    二十八日蝶夢は、方壺の案内で北遠をめぐり
浜松市史 ニ (竹村方壺)

竹村方壺 蝶夢は富士を見るため天明六年(一七八六)春の末に、遠州白須賀(しらすか)の虚白を訪れ、その,蝶夢はこの紀行に、浜名の橋・橋本の里等について『更級日記』『東関紀行』『吾妻鑑』等に記されている昔の話
浜松市史 ニ (烏明の来遊)

【柳也】柳也(号を一棺亭という)は紺屋町の玩照山蓮華寺の住職で、俳諧を蝶夢に師事し、立花・生花などもたしなんだ
佐鳴の風:わが町文化誌 (浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)

   52 【観月 佐鳴八景 小林山の秋月】 53 【賀茂真淵 歌会 杉浦国頭 竹村尚規 五升庵蝶夢
浜松市史 ニ (写真・図版目次)

            五五〇 芭蕉柳の句碑(浜松市紺屋町 蓮華寺)            五五一 蝶夢不二
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