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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 42件
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浜松市史 四 (浜松診療所)

浜松診療所 他方、紛らわしい名称であるが、市内中沢町に「浜松診療所」があったことが、『浜松市戦災史資料,、浜松市健民館の三診療所の戦災状況が述べられている。  ,この「浜松診療所」には、「中沢町に設置されて居り一六名の職員が勤務して居る。,」と、戦後の医師会による「浜松市綜合診療所」とが共存した期間があったことになろう。  ,『浜松市医師会史』の編さん時に既存の「浜松診療所」の記事と重複した可能性があろうか。 / 浜松診療所
浜松市史 五 ([診療所の衰退])

[診療所の衰退] 【診療所閉鎖】  先に昭和三十八年二月二十日発行の『広報はままつ』(第二〇八号),戦後まもなく無医地区対策として維持されていた神久呂村、河輪村、湖東村、新津村の診療所が浜松市と合併以後,は新津診療所は休診となることを報じている。,【三方原診療所】  この三方原診療所の運営の実情は、昭和四十三年十月十五日付『静岡新聞』によれば、医師,同診療所が対象とする地域は市内の医療行政から見ても他の四地区(湖東・新津・神久呂・河輪)に比べ、「診療所 / [診療所の衰退]
浜松市史 四 (病院・診療所の再開)

病院・診療所の再開 【新聞紙面の広告 浜松市綜合診療所 浜松市医師会】  病院・診療所の疎開先での,『静岡新聞』によれば、板屋町谷口外科病院は昭和二十年九月二十五日付に磐田郡二俣町山東の市川医院跡に仮診療所,同二十年十月二十八日付には元城町山田外科病院が元城町に仮診療所を十一月中旬開院予定とある。,診療所長に岡部愼爾、副所長に松下稲覧が就任。,しかしながら、この診療所の開設を報道する『静岡新聞』(昭和二十年九月十五日付)は次のように記している。 / 病院・診療所の再開
浜松市史 四 ([社会保険浜松診療所])

[社会保険浜松診療所] 先に第二章で『浜松市戦災史資料』四に基づいて罹災した医療機関を見たとき、常盤町,社会保険浜松病院」の戦後の沿革についての記事によると、昭和二十三年十月、常盤町の浜松社会保険出張所庁舎内に診療所,診療所の土地・建物は国有であり、その経営は民間が委託されて行うものである。,同三十一年一月三十日付『静岡新聞』には、「社会保険浜松診療所は昭和廿九年厚生省予算により現在の浜松市中島町,昭和三十年四月には現在地に診療所を新築移転、外科を増設、翌三十一年六月には診療所から病院に昇格し、名称 / [社会保険浜松診療所]
浜松市史 四 (臨時無料診療所 戦災援護会)

臨時無料診療所 戦災援護会 他方、戦災者や引揚者のための臨時の診療所も開設されている(上村家文書「重要通知書綴,東京大空襲後、四月十七日に天皇下賜金一千万円が交付されたからで、戦後に継承され、右の追分国民学校に臨時の無料診療所 / 臨時無料診療所 戦災援護会
浜松市史 三 (市立浜松病院 浜松市実費診療所)

市立浜松病院 浜松市実費診療所 市立浜松病院(鴨江町二三五番地) 肴町地内天神森(飛地で現在の北寺島町,完成、同年九月十日から市立浜松病院と改称し、法定伝染病患者の治療と予防を行なった(昭和四十八年浜松市立診療所,大正十三年四月一日には困窮した病人対策として、病院内に浜松市実費診療所がつくられている。 / 市立浜松病院 浜松市実費診療所
浜松市史 四 ([トラホームと市立診療所])

[トラホームと市立診療所] 【トラホーム】  戦前では徴兵検査においてトラホーム検査は必須の項目であり,いところから、臨時市議会において昭和二十九年六月、市内東部・西部・北部の利便を図り、トラホーム専門の市立診療所,トラホームや結膜炎が蔓延し、新入学児童八十%が眼疾にかかっていることが判明したので、看護婦二名を季節診療所 / [トラホームと市立診療所]
浜松市史 三 (日赤浜松病院 遠州病院 聖隷保養農園)

聖隷保養農園 以上の他に市民の要望と市長の要請を受けて昭和十三年三月高林町に開所した日本赤十字社静岡支部浜松診療所,医療機関名 位置 設立年 県立浜松鴨江病院 鴨江町 大正2年 市立浜松病院 鴨江町 大正4年 浜松市実費診療所,昭和13年 遠州病院 常盤町 昭和13年 静岡県浜松保健所 下池川町 昭和14年 名古屋鉄道局浜松鉄道診療所,砂山町 名古屋鉄道局浜松西鉄道診療所 東伊場町 浜松簡易保険健康相談所 田町
浜松市史 四 ([浜松鉄道病院])

浜松鉄道病院 静岡と浜松の二つの鉄道病院】  原則的には一般市民に開放されている病院とは言えないが、企業内診療所,この前身は浜松東診療所(市内砂山町)と浜松西診療所(国鉄浜松工場内)である。,浜松地区には国鉄浜松工場を有し、この現業部門と事務職員、およびその家族数を合計すると一万八千人に上り、両診療所,これにより従来の東診療所は閉鎖し、西診療所は浜松鉄道病院浜松工場分室とすることになった。
浜松市史 四 (『浜松市戦災史資料』)

残った診療所は十カ所で、医療従事者は十九名に過ぎなかったが、その後の昭和二十二年二月現在では復興著しく,戦後の昭和二十二年二月現在では診療所開設が三十九カ所、診療従事者が四十二名を数えるに至った。  ,先には六十四カ所の罹災診療機関について言及したが、それには遠州病院・日本楽器診療所・済生会浜松診療所・,東洋紡績付属診療所(ママ)という大規模病院が挙げられている。,このほかにも浜松市内には、①市立浜松病院(鴨江町)、②浜松診療所(中沢町)、③浜松市健民館(板屋町)が
浜松市史 四 ([地域医療の第一歩])

[地域医療の第一歩] 【社会保険浜松診療所 国立浜松病院 浜松赤十字病院 山田鉄三郎】  先に見たように,敗戦直後の医療状況を表しているのは、追分国民学校における無料の臨時診療所の開設であったが、その後も巡回診療所,なお、同二十三年十月に設立された社会保険浜松診療所は、昭和二十四年五月には、静岡県下の二十三カ所の無医村,浜松赤十字病院では、昭和二十三年八月中旬に当時の浜名郡和田村薬師に天竜診療所を設けている。
浜松市史 五 ([浜松市発達医療総合福祉センターの開設])

この施設には身体障害者福祉センター、附属診療所を持つ療育センターを核として、五つの通所施設・精神薄弱者,重度障害児(者)生活訓練ホームのぞみ、心身障害者小規模授産施設きぼうを併設するもので、センターの附属診療所
浜松市史 四 (浜松赤十字病院)

各医療機関のうちでも、とりわけ戦時中に疎開しなかった浜松赤十字病院(昭和十三年三月に日本赤十字社静岡支部浜松診療所
浜松市史 五 ([看護婦養成施設の設立])

浜松市の場合「病院十三カ所(二、一六四床)の必要とする看護婦数は五百四十一人に対し現在数が四百七十三人、診療所百七十三
浜松市史 四 ([昭和二十三年度浜松市民の病勢])

内科五十一、外科二十一、小児科七、眼科六、耳鼻咽喉科九、性泌皮膚科五、産婦人科十一、精神科四)と、病院六、診療所六十八,疾患別の観察・ロ年齢群別疾患別観察・ハ季節別観察・ニ職業別観察、B入院患者数)、医師の診療数、病院・診療所別患者数
浜松市史 五 ([昭和三十八年時点の医療環境])

右に挙げた市内十三箇所の大病院のほかに、市内の医療機関の現況は前年の昭和三十七年七月末には、診療所百六十九,で大病院と診療所の病床数は合計二千九百三床であり、結核・精神病・伝染病を除いた一般病床は千五百九十三床,また人的条件は特に看護婦不足が著しく、市内病院・診療所の共通の問題であり、昭和五十年には人口六十万人が
浜松市史 四 ([浜松乱闘事件])

[浜松乱闘事件] 【国際マーケット 小野近義 小野組 小野興行社 無料診療所 浜松乱闘事件】  戦後,また、一面で貧窮者が利用できる無料診療所をつくったこともあった。  
浜松市史 五 ([浜松市歯科医師会有志の奉仕活動])

[浜松市歯科医師会有志の奉仕活動] 口腔保健医療センターが単に市民のための市立歯科診療所ではなく、センター
浜松市史 五 ([保健所の業務])

総務課の庶務係(保健所運営)、医務係(病院、診療所、助産所などの届け出、准看護婦などの免許事務、衛生統計
浜松市史 五 ([病診連携])

これ以後、浜松市内の病院はオープンシステムを採用して諸病院と診療所・開業医との連携を深めたのである。
浜松市史 四 ([結核予防週間と撲滅運動])

[結核予防週間と撲滅運動] 【結核予防週間 五カ年計画の結核撲滅運動 浜松市立病院 社会保険浜松診療所,設定するに至るのは、右の三病院のほかに、浜松市立病院(昭和二十七年七月、結核療養所開設)、社会保険浜松診療所
浜松市史 四 ([浜松市結核療養所])

さらに同二十八年には社会保険浜松診療所(昭和三十一年六月、浜松社会保険病院と改称)でも結核検診が開始されている
浜松市史 五 ([保健相談と検診活動])

事業所を対象とする市立診療所による有料検診車(胸部X線撮影)が一台あるが、保健所には無料住民検診車がある
浜松市史 五 ([浜松救急医学研究会])

同日午後二時九分、龍山村の診療所から聖隷三方原病院への緊急出動要請があった。
浜松市史 五 ([脳・精神科学の探求])

その上で、「PETを開発した浜松ホトニクスや、PET診療所のある県西部浜松医療センターを抱える浜松は、,センター】  なお、右に言及されている先端医療技術センターは平成八年四月、県西部浜松医療センター附属診療所
浜松市史 五 ([浜松歯科衛生士専門学校の設立])

他方、専任教員や非常勤講師等の教員人事(七十三名)、臨床実習施設の確保(十九診療所)を内定させ、昭和五十七年六月
浜松市史 四 ([神久呂(かくろ)村志都呂の入野村編入])

また、神久呂村の役場は大久保にあり、志都呂からは三キロメートルも離れ、診療所も遠かった。
浜松市史 五 ([夜間救急室の開設])

この開設は四月(実現は五月)、場所は鴨江二丁目の市立診療所内で看護婦宿舎の改築による仮設の建物という内容
浜松市史 五 ([地域密着の歯科医師])

地域密着の歯科医師] 昭和五十年十月二日付の『静岡新聞』には、浜松市自治会連合会が市当局へ市立歯科診療所
浜松市史 四 (遠州病院)

二月には早くも仮診療所を建てているが、先の記事がきっかけであろうか、遠州病院は昭和二十一年九月十五日、
浜松市史 四 ([社会運動の再開])

「一、即時、共同風呂、診療所を設けよ。一、電灯を即時つける様、電灯会社に交渉せよ。
浜松市史 四 ([結核患者・死亡者の減少と医療機関の転進])

すなわち、従来結核だけを扱ってきた病院・診療所が他科も診療するようになり、結核治療のみを標榜する結核療養所
浜松市史 五 (医師会中央病院)

これは要するに病院と診療所の有機的な連携をいうもので、「病診連携」と当時の厚生省は約言している。
浜松市史 五 ([遠州精神保健福祉をすすめる市民の会])

大場は平成五年に浜北市に開設された児童、思春期・青年期を主な対象とする精神科診療所メンタルクリニック・ダダ
浜松市史 四 ([女性運動の展開])

・熱海大火見舞金義援 ・箱根診療所、孤児が収容されている舘山寺こどもの家福音寮,国立病院,養老院,母子寮
浜松市史 四 (新生活運動)

[慰問] 箱根診療所・長岡福祉寮・浜松母子寮・舘山寺福音寮・弁天島母子寮・三方原学園・浜名寮等。
浜松市史 五 ([献血・預血の血液センター設立])

昭和四十年四月二十九日付『静岡新聞』によれば、市内の「病院や診療所で使用する血液は国立浜松病院、日赤浜松病院
水窪町史 上 (水窪町史 上 目次)

1 江戸時代の医療 七七一 2 伝染病と隔離病舎 七七三 3 結核 七八〇 4 水窪町立結核診療所
浜松市史 四 ([オートレース場の建設])

しかし、五月になって隣接地の信愛高等学校や北小学校、日本楽器診療所などから反対の声が上がり、県知事にオートレース
浜松市史 四 (目次)

浜松赤十字病院        遠州病院        国立浜松病院        社会保険浜松診療所,       行政組織の変革        減少しない伝染病        トラホームと市立診療所
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

109 【浜松市母子保健センター】 110 【浜松市口腔保健医療センター】 111 【浜松市立診療所
浜松市史 五 (目次)

昭和三十八年時点の医療環境        労災病院誘致        社会復帰施設の増設        診療所
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