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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 ([賀茂真淵の顕彰と寺田泰政])

浜松における賀茂真淵の顕彰は、江戸時代については二つのことが挙げられる。,こうした動きについては、寺田泰政が『遠江』の六号(「賀茂真淵翁顕彰碑について」)、八号(「賀茂真淵記念館,賀茂真淵翁顕彰碑の建立(昭和五十六年十一月三日除幕式)   三. ,【賀茂真淵記念館】  三の浜松市立賀茂真淵記念館の完成は、昭和五十九年十一月。,開館した昭和五十九年度の常設展のテーマは「賀茂真淵の一生と業績」、企画展示のテーマは「賀茂真淵と遠江の / [賀茂真淵の顕彰と寺田泰政]
浜松市史 ニ (森暉昌)

賀茂真渕は親しく暉昌の薫陶をうけ、その篤実な人柄や、尚古思想から多くの感化をこうむった。,暉昌の和歌は清純な心情をたたえ、家集はないが、集められたもの十一首がみられる(小山正『賀茂真渕伝』)。,【光海霊神】賀茂真渕の撰になる、暉昌の事績を記した光海霊神(うなてりのみたま)(暉昌の諡号)の碑銘は、
浜松市史 三 (小山正)

小山正 【国学研究の著述 賀茂真淵伝】小山正(明治二十一年七月生、当市中島町在住、県下中等学校教員、,昭和四十六年十二月三十一日没、八十三歳)は、遠州国学者の研究に力をそそぎ『賀茂真淵伝』(昭和十三年九月刊
浜松市史 三 (県居翁研究会)

真淵翁研究】県居翁歌集の研究会を県居神社社務所で行ない、十二年十一月と翌十三年十月の二回にわたって「賀茂真淵翁遺墨展覧会,県居小学校教員)の編集により『真淵翁研究』(第一輯~第六輯、昭和十三年~十五年)を発行している(渥美実「賀茂真淵翁
浜松市史 四 (小山正)

小山正 【『内山真龍の研究』 『賀茂真淵伝』】  戦前から戦後にかけて、遠州の国学研究に心血を注ぎ,小山は、すでに昭和十三年『賀茂真淵伝』という大著を完成させ世に問うている(『新編史料編四』九文学 史料,を記す)   第六篇 余説(名主としての真龍 他)   第七篇 真龍年表    『賀茂真淵伝,自序に次のようにあり、この研究が『賀茂真淵伝』に引き続いて、すでに戦前において大部分なされていたことが,   本書には、『賀茂真淵伝』の時と同じく、佐佐木信綱が懇切なる序文を寄せている。
浜松市史 ニ (県居神社)

(表)賀茂真渕著書目録 古事記・日本書紀に関するもの 著書名 巻数 著作年代 西暦 年令 日本紀和歌略註,〇 四四 後の岡部日記 一 延享二 一七四五 四九 県居問答書 一 宝暦九 一七九五 六三 (表)賀茂真渕略年譜,同月、京都に戻る、和歌会詠草に賀茂真渕の名がある 二〇 一七三五 三九 四月、春満家において『百人一首,#160;     一〇月三〇日没し、江戸品川東海寺少林院に葬る(参考文献 羽倉慎真『賀茂真渕翁伝新資料,』・小山正『賀茂真渕伝』・三枝康高『賀茂真渕』)
浜松市史 ニ (真渕の家系)

真渕の家系 近世の国学史上重要な地位を占める賀茂真渕は、元禄十年(一六九七)三月四日、遠江国敷智郡浜松庄岡部郷伊場村,この後胤が賀茂真渕である(『浜松市史一』四〇三ページ参照)。  ,内山真竜筆賀茂真淵像
浜松市史 ニ (穂積通泰)

【穂積集】賀茂真渕が江戸に出ると、まもなくその門人となり、『穂積集』の著がある。
浜松市史 五 (浜松史蹟調査顕彰会)

以後、会の成し遂げた業績としては、後述の出版事業のほかに、会の助言や協力により、浜松市が賀茂真淵翁顕彰碑,の建立や賀茂真淵記念館の設立に動いたことが特筆される。,左端に賀茂真淵翁誕生の地と記され、水野欣三郎の製作による真淵の胸像、「九月十三日夜県居にて」の連作五首,こうして、市民念願の賀茂真淵顕彰の大きな事業が実現した。  ,次いで『浜松の史跡・続編』(共著、昭和五十二年刊)、『遠州産業文化史』(共著、昭和五十二年刊)、『賀茂真淵
浜松市史 一 (引馬野浜松説)

だから賀茂真淵以来、この引馬野は当然遠江の浜松の野、すなわち三方ヶ原の辺であろうとされ、つぎの安礼の崎
浜松市史 ニ (真渕の帰郷)

賀茂真淵筆植田喜右衛門・同七三郎宛書簡(浜松市立図書館蔵)
浜松市史 ニ (真渕の門人)

真渕の門人 賀茂真渕の門人の数は非常に多く、『増補県居門人録』に示されたものだけでも二百三十三人を数
浜松市史 ニ (町筋の屈曲)

なお、高町の坂は家康が浜松在城当時めでた桜があったというので、賀茂真渕が「あか駒を引馬の坂のもと桜もとの
浜松市史 ニ (鴨渓)

【遠江名勝図】嘉永二年(一八四九)に文晃・半香・桂巌・隆古らの絵、賀茂真渕の歌、石川依平の文、山塘・秋巌
浜松市史 ニ (遠州報国隊)

やがてこれらの人々は、遠州報国隊を結成して、官軍警衛のため一死報国を誓って出発した(小山正『賀茂真渕伝
浜松市史 ニ (梅谷の妻)

寛延二年(一七四九)五十三歳のとき著わした『万葉解』の序文に、「寛延つちのとみの春きさらぎに遠つあふみの人賀茂真渕,という名も遠江国敷智郡の出身で、その地名の「敷智」にちなんで「真渕」と名付けたものであろう(宇波耕策「賀茂真渕先生,賀茂真淵著万葉集遠江歌考(浜松市立図書館蔵)
浜松市史 一 (岡部郷)

【賀茂神社 賀茂真渕】嘉元(かげん)元年(一三〇三)以前に後宇多上皇は、改めて岡部郷の地頭職を京都賀茂神社,なお師重の子孫でここに土着した人の後胤が賀茂真渕である)。
浜松市史 ニ (真渕の父母)

真滋)にあてだ書簡に「おやうこといかゞ候や」とあるところから、その名をおやうとする説がある(岡部譲「賀茂真渕,賀茂真淵夫妻墓(浜松市中沢町 浜松市霊地)
浜松市史 五 ([水野欣三郎の彫刻])

戦没者慰霊像(浜松城公園、昭和五十四年)   ・若き日の徳川家康公像(浜松城公園、昭和五十六年)   ・賀茂真淵像,(浜松市立賀茂真淵記念館、昭和五十九年)   ・空華(Uホール、昭和五十九年)   ・青年の像(県立浜松工業高等学校
浜松市史 三 (史蹟指定)

台風のため折損し現存しない)「三方原古戦場犀ケ崖(さいががけ)」「浜松名称起原颯々(ざざんざ)之松」「賀茂真淵翁誕生之地
浜松市史 三 (山本金木 賀茂水穂)

『賀茂真淵全集』の監修者である。
浜松市史 三 (浜松郷土読本)

【県居読本】また、賀茂真淵翁出生ゆかりの県居小学校からは、翁の略伝を課外読物とした『県居読本』(児童用書及
浜松市史 三 (翼賛文化協会)

また十九年十月には浜松翼賛文化協会と浜松文学報国会の共催で「賀茂真淵翁遺墨展覧会」が市内伝馬町実業倶楽部楼上
浜松市史 三 (岡部政美)

岡部政美 岡部政美(次郎左衛門、明治三十四年三月没、七十九歳)は賀茂真淵の流れを吸む伊場村岡部四家のうちの
浜松市史 ニ (春満の来浜)

そして春満の来遊により浜松の柳瀬方塾(やなせみちいえ)も岡部衛士(えじ)(のちの賀茂真渕)もその門人となった
解説『遠江国風土記伝』と内山真龍 (解説『遠江国風土記伝』と内山真龍)

同12年江戸の賀茂真淵(浜松市出身)に入門誓詞を入れ、ときには江戸まで真淵を訪ねて学んだ。,湖西市白須賀)の夏目甕麿(みかまろ)は、石塚龍麿の『鈴屋大人都日記(すずのやのうしみやこにっき)』や賀茂真淵,このほか、文化10年(1813)宣長十三年祭、同14年宣長十七年祭、文政元年(1818)賀茂真淵五十年祭,また、賀茂真淵の筆跡を確認したい方は「曳馬野歌 賀茂真淵筆」「縣居翁 手簡」をおすすめする。
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

二 工業の発展  47 (一)鉄道院浜松工場 47 (二)東洋紡績浜松工場 【浜松紡績 賀茂真淵記念館駐車場,60 第三章 豊かな個性を育てる教育と文化 63 一 新しい学問と庶民文化 64 (一)賀茂真淵,と遠州の国学 【賀茂真淵翁顕彰碑 縣居神社 賀茂神社 荷田春満】 64 (二)浜松市立賀茂真淵記念館,67 二 学び舎  68 (一)小学校 【浜松市立西小学校】 68 【浜松市立県居小学校 賀茂真淵,浜松城拡張 塩市口 松尾社】 199 (二)賀茂神社 【岡部】 201 (三)縣居神社 【賀茂真淵
浜松市史 ニ (春満入門)

真渕は春満にかわって百人一首の講義をしたり、和歌稽古会には講師をしたりしていた(井上豊『賀茂真渕の学問
天竜市史 上巻 (天竜市史 上巻 目次)

第一節 背景 七三三 内山真龍 第二節 血縁地縁社会の俳諧志向 七三五 青年期の真龍 第三節 賀茂真淵,への入門 七三八 賀茂真淵と真龍 第四節 賀茂真淵の指導 七三九 明和二年の真龍 賀茂真淵の学風 
浜松市史 ニ (百人一首講義)

4)木村意休 (3)小沢周庵 橋爪六郎右衛門 (1)桑原宮内 (1)金原近江 (1)大橋権十 賀茂真淵筆臨江寺歌会詠草
浜松市史 ニ (写真・図版目次)

浜松市鴨江 渥美静一氏蔵) 四八八 杉浦国頭家和歌会留書序文  (浜松市東伊場 岡部厳夫氏蔵) 四八九 賀茂真淵筆臨江寺歌会詠草,  (浜松市元魚町 三浦 巌氏蔵) 四九五 内山真竜筆賀茂真淵像                    ,四九九 賀茂真淵夫妻墓(浜松市中沢町 浜松市霊地)         五〇一 賀茂真淵筆植田喜右衛門,・同七三郎宛書簡(浜松市立図書館蔵) 五〇五 賀茂真淵著万葉集遠江歌考       (浜松市立図書館蔵
浜松市史 ニ (山本源吉)

【浜松の四天王】その序文に山本源吉を「浜松の四天王と衆人称せり」と記している(四天王とは渡辺蒙庵・賀茂真渕
浜松市史 三 (中学入学希望者激増 第二中学校の創立)

校舎は「銀くもりなき大洋や東天耀う芙蓉峰を望み」と校歌にあるように風光もうつくしく、また郷土の国学者賀茂真淵
浜松市史 ニ (渡辺蒙庵)

篠原村馬郡(当市馬郡町)の藤田伊勢松、真渕の門人内山真竜、真渕の子真滋も蒙庵の家塾に学んだ(小山正『賀茂真渕伝
浜松市史 三 (市立浜松図書館 夜間開館 展覧会)

その間には賀茂真淵をはじめ遠州国学者の遺墨展を開いたりして文化方面にも活躍したが、二十年六月十八日の空襲
佐鳴の風:わが町文化誌 (浜松市立佐鳴台公民館『佐鳴の風:わが町文化誌』 目次)

西遠荘】 49 六 少林山臨江寺と水神宮   52 【観月 佐鳴八景 小林山の秋月】 53 【賀茂真淵,第三章 佐鳴湖にかかわる文学 81 一 佐鳴湖を愛でた文人・学者  82 【佐鳴点描 木宮亮邦 賀茂真淵, 杉浦国頭 柳瀬方塾 茂政 山崎富丸 山崎久章 茂則 在中】 82 (一)賀茂真淵 87 【賀茂神社
浜松市史 ニ (金原清興)

暉昌・方塾・真崎・繁子・真渕・信幸・理津・清兼・然満などが雅会を開いている(近藤用一「青楓亭に於ける賀茂真渕
浜松市史 三 (自由画教育 粘土細工 綴方教育)

では追分小学校(第二附属校)では表現自在な粘土細工教授が鳥居三郎によって行なわれ、また鳥居の製作になる賀茂真淵翁像
浜松市史 ニ (浜松宿内と周辺の私塾寺子屋)

賀茂真渕・内山真竜などもこの塾で勉学していることは前に述べたとおりである。
浜松市史 三 (岡部譲)

これは『賀茂真淵全集巻十』に書簡集として収載されている。
浜松市史 四 ([賀茂神社の氏子会])

そして宮司岡部厳夫は賀茂真淵の子孫らしく、賀茂神社がオアシスであった歴史を指摘して、「伊場遺跡の住人達
浜松市史 四 ([人気の放送劇])

昭和三十二年)「軽オートバイ工業(同)」(同年)、「郷土のあゆみ」として「むかしの村」(昭和三十三年)、「賀茂真淵
浜松市史 五 ([方言の研究とその成果])

寺田はこの後、遠州国学の研究に力を注ぎ『賀茂真淵』(昭和五十四年一月、浜松史蹟調査顕彰会刊)を刊行するなど
浜松市史 四 (能勢海旭)

浜松市が、市制七十周年の記念事業として、賀茂真淵生誕の地に建立した翁顕彰の歌碑は、能勢の揮毫によるもので
浜松市史 ニ (神主隊結成の理由)

【国学】第三には遠州の神主たちが賀茂真渕以来の国学の伝統を受け継ぎ、日本の内外の危機に直面した民族意識
浜松市史 四 ([社殿再建築の動き])

賀茂真淵を祭る県居神社の場合には、昭和三十三年十一月、復興後援会の会長小山正、県居神社宮司三浦巌が連署
浜松市史 五 ([文学散歩と文学碑])

加藤雪膓 竹村広陰 鷹野つぎ 賀茂真淵 原田浜人 北原白秋 石塚龍麿   河合象子 佐佐木信綱 香川景樹
浜松市史 五 ([市の木・市の花・市の鳥の制定])

たづねつる/翁をしのべ 書よまば   周知のように、ここに歌われた「翁」は浜松出身の偉大な国学者賀茂真淵
浜松市史 ニ (目次)

始祖杉浦国頭        浜松の和歌会        日本書紀の研究と尽敬会        賀茂真渕
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

21 (五)浜松宿における本陣 【杉浦助右衛門本陣 小野組 大火】 23 【梅谷市左衛門本陣 賀茂真淵,299 【刺繍不動明王二童子像掛幅 松城町 迦羅 制多迦 高野山 頭陀寺 弘法大師】 299 【賀茂真淵書跡,【牛の像 松浦勝蔵】 309 ③五社公園 310 【浜松市役所跡 浜松市歌 万葉集遠江歌考 賀茂真淵,はじめまで後道にあった牢屋 【伝馬町 教興寺 底無牢 処罪】 412 4 梅谷本陣に婿入りした賀茂真淵
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