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浜松市史 四
([自動踏切警報装置と遮断機])
[自動
踏切
警報装置と遮断機] 【自動
踏切
警報機 自動
踏切
遮断機】 電車がスピードアップする一方、,自動二輪車をはじめとする交通量が増加して
踏切
事故も増加した。,このため、
踏切
の安全を確保する必要性が高まり、昭和二十九年六月、遠州八幡─遠州助信間に第一号自動
踏切
警報機,を、三十二年九月には遠州浜松─遠州八幡間に第一号自動
踏切
遮断機をそれぞれ設置した。 / [自動
踏切
警報装置と遮断機]
浜松市史 三
(駅前広場 大安寺新道 踏切 地下道)
駅前広場 大安寺新道
踏切
地下道 これらの新設道路はいずれも旧来の道路に対し道幅が広く、ことに駅前,また駅の新設や鉄道線路の敷設によって遮断された道路には
踏切
が設けられた。,【八幡地 平田 十一年】駅のすぐ西から駅南へ通ずる八幡地
踏切
(大正十一年三月地下道となった)・平田
踏切
/ 駅前広場 大安寺新道
踏切
地下道
浜松市史 四
([浜松の交通問題])
【平田
踏切
森田
踏切
】 また、東海道本線との平面交差により、市が南北に分断され、鍛冶町,、北寺島町の両地下道、森田、海老塚、平田(なめだ)、掛塚街道、向宿など多くの
踏切
によってつながれるのみであった,地下道は豪雨に見舞われると交通不能となり、南北中心街を結ぶ平田
踏切
や一号線が交差する森田
踏切
は、昭和二十年代末, 【成子こ線橋】 森田
踏切
問題は、東海道線をまたぐ成子こ線橋(成子町─森田町間)の建設,平田
踏切
は昭和三十一年十一月に拡幅されるものの渋滞は依然として解消せず、東海道本線の南北交通問題の解決
浜松市史 五
(東海道線高架化事業)
一八八九)に東海道線が開通してからちょうど九十年目で地面に張り付いていた線路が〝不用〟になり、「開かずの
踏切
,」だった平田
踏切
も消えた。,これにより、立体交差となる道路は三十一路線(新設十路線、改良二十一路線、
踏切
の除却十四線)となり、市民,これにより、南北交通の円滑化はもとより、南北市街地の均衡ある発展、
踏切
事故の解消など、浜松市の発展に大
浜松市史 五
([合理化・近代化と高架化計画])
【
踏切
】 なお、遠州馬込─遠州浜松間にある交通量の多い国道一号線の
踏切
については、昭和三十八年四月,に最初の
踏切
交通信号機を設置した。,昭和五十年には代わって自動遮断機が設置され、
踏切
警手の姿は消えることになった。
浜松市史 三
(駅南北交通円滑化 地下道 平田跨線橋)
駅南地域の発展にともない東海道線
踏切
は南北交通を阻害するものとして、かねてからこれを問題化していた南部住民,【八幡地 北寺島】その結果、①については大正十一年三月にいたり砂山町と鍛冶町間(八幡地
踏切
)、北寺島町
浜松市史 五
(鉄道線)
なお、昭和五十年代にはそれまでの
踏切
信号機に代わって
踏切
自動遮断機が設置された。
浜松市史 四
([占領下の市街と生活])
鉄道の
踏切
にも「RAILROAD CROSSING」と書かれた標識が立てられた。,また、進駐軍の専用列車が浜松駅の西側にあった平田(なめだ)
踏切
付近で徐行する際、兵士たちがチョコレート
浜松市史 五
(奥山線)
また、市街地の数多い
踏切
が交通の障害として大きな問題ともなっていた。
浜松市史 五
([遠鉄高架化の進展])
同高架化事業によって、助信、曳馬、上島の三駅が高架駅となり、二十一カ所の
踏切
が除去され、都市計画道路三路線
浜松市史 五
(遠鉄高架化事業)
また、
踏切
二十一カ所が立体交差となり、交通渋滞や
踏切
事故の心配もなくなった。
浜松市史 五
(東海道本線高架化事業)
高架橋工事は、昭和五十年二月二十六日に大厳寺
踏切
の東で開始された。,これに先立って、昭和四十九年十月から工事の支障になる国道一五〇号線から芳川までと、大厳寺
踏切
から終点の
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
【長島街道】 143 【市街地環状線】 144 (五)鉄道 【東海道本線の開通 高架化 平田
踏切
,杉浦惣兵衛 伊藤平左衛門 遊廓】 281 【平田町 堀川 大工頭桑原家 末広通り 琉球国 儀衛正 平田
踏切
, 開かずの
踏切
】 283 【塩町 提灯屋 肥料屋 医者 三好菖軒 冨田玄仙】 285 【成子町 成子坂
浜松市史 四
([増える交通事故と信号機])
(九十九件)、前方注視不十分(六十件)、追越し不適当(四十九件)、無免許運転(二十九件)、泥酔運転・
踏切
停車不履行
浜松市史 五
(橋)
舘山寺への南北からのルートでもあった主要地方道、細江舞阪線については、舗装を進めつつ国鉄東海道線と交わる
踏切
浜松市史 四
([中田島での凧揚げ])
屋台は平田の
踏切
付近に集結し、そこから市内の目抜き通りに繰り出した(『静岡新聞』昭和二十三年五月五日付
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
からの手紙 空襲 艦砲射撃】 74 面会に行った日―ふささんが語ったこと― 【静岡連隊 出征 平田
踏切
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
【噴水プール 新幹線浜松駅】 41 (九)東海道線高架化(思い出⑤⑥) 【不発弾処理 平田の
踏切
浜松市史 五
([春闘と労働運動の活発化])
8日:動労、反合理化・年末闘争で
踏切
安全運動展開。
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
【曳馬下村 地籍整理】 385 二十三 八幡町 【八幡町消費生活協同組合 床屋 遠州鉄道
踏切
浜松市史 四
(目次)
ポール式からパンタグラフ式に 急行電車の運転 自動
踏切
警報装置
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