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浜松市史 ニ
(連尺町加入の事情)
連尺町
加入の事情 宝永年間、困窮した旅籠町の庄屋が
連尺町
を役町に加えるように幕府へ願い出た。,道中奉行は願いをききいれ、
連尺町
の代表を江戸へ呼び出し、道中奉行役宅で両町話し合いの結果、加入が決まった,そこで正徳二年に町方の者が江戸の浜松藩邸に願い出て、種々お尋ねの結果、
連尺町
の加役が申し渡されたのである /
連尺町
加入の事情
浜松市史 ニ
(御役六町の増減)
そのために役町が二町方と三町方との五か町であった延宝八年(一六八〇)と、後に
連尺町
がこれに加わって六か,52 52 3 3 肴町 96 94 49 49 4 4 旅籠町 29 30 27 27 2 2
連尺町
,; 2 計 347 368 228 251 14 17備考1.A 寛文期 B 正徳3年 2.
連尺町
,が役町に加わったのは正徳2年であるから寛文期の
連尺町
の家数(52軒~53軒)は省略する。
浜松市史 三
(物品販売業)
神明 洋物類 鶴見洋品店 〃 〃 木綿屋 田 〃 丸三支店 鍛冶 〃 小島屋 〃 〃 ●鈴木金次郎
連尺町
,洋服 松田卯之助 伝馬 〃 袴田洋服店 栄 〃 中村佐平
連尺町
〃 鈴木久四郎 鍛冶 〃 高柳洋服店,〃 〃 大木屋 紺屋 〃 福田屋 菅原 〃 丸多 〃 飲料水 広田辰次郎 連尺 茶 ●山田屋茶舗
連尺町
,田 〃 ●竹屋襟店 鍛冶町 際物 霞屋 田 〃 すみだや 連尺 書籍雑誌 文泉堂 〃 〃 ○谷島屋
連尺町
,〃 盛文堂 連尺 〃 積石堂 〃 学用品文具 岡田成栄堂 高 〃 ○川瀬文明堂
連尺町
〃 松柏堂
浜松市史 一
(河岸段丘)
【
連尺町
伝馬町 欠下】浜松市役所付近の平坦面や
連尺町
・伝馬町の旧東海道筋はこうした段丘面にあたっている
浜松市史 三
(曳馬萩筆)
明治の初年には製造業者も数軒あった(高町大明堂、
連尺町
青巌堂、
連尺町
松柏堂など)。
浜松市史 ニ
(御役六町)
御役六町 【
連尺町
】その後、正徳二年にいたり、旅籠町の出訴により(後述)
連尺町
が役町に加えられ、御役町,8 役町の有馬48疋 正徳2
連尺町
浜松市史 三
([書籍の発刊と書籍店])
書籍店には明治六年に伊勢屋権平(浜松
連尺町
伊藤氏)があって、「東京及ヒ諸県ノ新聞紙ヲ集置ス些少ノ見料ヲ,【谷島屋 積石堂】十二年には谷島屋太兵衛(浜松
連尺町
斎藤氏)・積石堂(浜松
連尺町
落合氏)・白木屋健二郎,谷島屋書店(浜松市
連尺町
,明治30年頃) (表)明治期における主な刊行物 刊行物 年月
浜松市史 ニ
(樋口光治)
樋口光治 (7)樋口光治 光治は
連尺町
の商人で、屋号を伊勢屋といい、味噌醬油を業とし、国頭および春満
浜松市史 ニ
(職人町と屋敷)
神明町 1 紺屋町 2 下垂町 3 神明町 1 大工町 1 薬師新田 1
連尺町
, 紺屋町 3 水役 4 水役 22 下垂町 2 紺屋町 7 素人役 11 瓦師役 2
連尺町
,鍛冶町 2 鴨江村 1 中条村 1 本役 1 屋根屋役 46 平田町 1 紺屋町 1
連尺町
浜松市史 ニ
(高札場)
高札場 高札場(高一丈二尺、面積縦三間三尺、横五尺七寸)は一か所で
連尺町
にあった。
浜松市史 三
(写真)
写真 写真術なども行なわれ、
連尺町
の写真師根岸光義は県庁の命で明治八年に旧大手門跡の「浜松学校」をはじめ
浜松市史 ニ
(思斎)
思斎 樋口思斎(ひぐちしさい)の家は
連尺町
で味噌醬油の製造販売を営み、屋号を伊勢屋と称した。
浜松市史 ニ
(各町の夫役)
浜松では
連尺町
大手筋に一か所あって、天保年間には親子兄弟夫婦は親しくし家業を励めという道徳を示したものをはじめ,【鳥葺役】城内鳥葺役
連尺町
の一町。城内の屋根の修理にあたる。 ,たとえば明和九年(一七七二)二月十二日に紺屋町から出火して
連尺町
・神明町・田町・板屋町方面まで延焼するという,夜は暗かったので、町通りの枢要な個所、たとえば、
連尺町
の高札場とか伝馬町の問屋場付近、神明坂下・紺屋坂下,軒焼失大沢家家老真瀬八太夫町割をする 明和 8.1.19 (1771) 心造寺火事 〃 9.2.12 (1772) 紺屋町・
連尺町
浜松市史 ニ
(町幅)
町幅 また四間以上の町幅の町は
連尺町
・伝馬町・塩町・神明町・板屋町・新町・池町の七か町で、池町以外は
浜松市史 一
(引馬宿は浜松市の原型)
引馬宿は浜松市の原型 【伝馬町
連尺町
】宿駅関係の都市は、街路にそい、長方形に展開する。
浜松市史 ニ
(五町同役の事情)
この事件の経過には幕藩制下の浜松宿の生き方が象徴されているのであり、これと同様の事例として
連尺町
が御役町
浜松市史 三
(連合制の発達 浜松宿二十六か町村連合会 地方自治制の出発 浜松宿議会)
議長樋口林治郎(
連尺町
)副議長杉浦彦惣。宿政はこれらの議員たちによって行なわれることになった。,池町) 川瀬豊三郎 杉浦彦惣 (鴨江小路) 伊藤範三 ●岡田安貞 (後道) ●石井禎喜 樋口林治郎 (
連尺町
浜松市史 ニ
(一大宿場町を形成)
五軒本陣、七拾三軒伝馬町はたこや、弐拾弐軒旅籠町はたこや、弐拾弐軒田町はたこや、十八軒塩町はたこや、十六軒
連尺町
浜松市史 三
(堅実な歩み)
千円 伝馬町 資産銀行 1000 鍛冶町 浜松銀行 500 肴町 浜松貯蓄銀行 340
連尺町
浜松市史 三
(展覧会)
郷土関係書籍の発刊には浜松の昭和堂(当市高町、白柳友治)・宝林堂(当市
連尺町
、近藤用一)などもあった。
浜松市史 三
(教科書)
小学授業必携』、矢部暉『小学開化用文』、藤原直方『生徒心得』、三宅均『忠経大全』『神武天皇ノ御伝記』(
連尺町
伊勢屋権平
浜松市史 三
(映画の普及)
【プログラム】映画館ではプログラムを発行するようになり、映画俳優のブロマイドを売る店(
連尺町
)もできたり
浜松市史 三
(浜松の仮戸長と管轄地)
とぎ)町・本魚町・紺屋町・大工町・大堀新地・猿屋町・愛宕町・七軒町・成子坂町・塩町・旅籠町・伝馬町・
連尺町
浜松市史 三
(浜松医学校新設)
浜松塩町)・木村質文(浜松下垂町)・宮下歓哉・久野貞三(浜松伝馬町)・宮崎保之・渡辺謹弥・本目経徳(浜松
連尺町
浜松市史 四
(戦災都市)
道路計画では既定の計画ではやや狭いので、浜松駅前より鍛冶町・
連尺町
を経て将来官公庁街となる予定の元城、,都市の商店街について、盛り場は浜松駅正面地区や中心部(おおむね旭町・伝馬町・
連尺町
・神明町・田町・板屋町
浜松市史 ニ
(【檜物師】)
また文化十五年の「檜物師御役勤」に、檜物師頭 紺屋町一軒、素人本役 紺屋町三軒・
連尺町
二軒、水役 紺屋町一軒計七軒
浜松市史 ニ
(万人講)
派遣し、その神徳に報いるのを目的としたもので、弘化二年(一八四五)八月の講中定宿をみると、浜松宿では
連尺町
鍋屋三郎兵衛
浜松市史 三
(政友会)
【中村忠七 道惣】この間に中央政党の勢力も浸潤し、ことに財閥派の中村忠七(安政四年浜松紺屋町生、
連尺町
浜松市史 四
(谷島屋書店 バラック建て)
終戦の年の十一月、谷島屋書店は
連尺町
に建てた住宅の一室を店舗にしたが、これが街に営業再開の気運をもたらしたという
浜松市史 三
(各町消防組 連合消防組)
七年十月】しかるに明治七年の小野組大火によって、各町は消防組設置の必要を感じ、同年十月に新町・田町・肴町・
連尺町
浜松市史 三
(昭和の商店街)
伝馬町四つ角より見た鍛冶町通り(明治末期)
連尺町
四つ角より見た神明通り(昭和初期)
浜松市史 ニ
(家臣団の配置)
ちなみに引馬城主飯尾豊前守の重臣江馬加賀守の屋敷は江馬殿小路(当市
連尺町
と肴町を通ずる小路、沼殿小路ともいったという
浜松市史 三
(己卯社)
石原猪吉郎(嘉永元年現引佐郡三ケ日町生、明治三十九年没、五十九歳)・杉浦公正・加藤枡蔵・樋口弥一郎(浜松
連尺町
浜松市史 三
(浜松の芝居小屋)
九年四月「
連尺町
劇場」として「うかれぶし」の興行願がでているが、この劇場名は分らない。,【入枡座】ついで十年には
連尺町
に入枡(いります)座があり(井枡屋が経営したので井枡座ともいった)、六月二十九日市川団十郎,松栄座・曳馬座・入枡座・子の日座は明治前期の浜松の代表的な劇場で、江戸時代の名残をとどめていた
連尺町
・
浜松市史 三
(伝馬町の講義所 伝馬町の教会堂)
大川は最初
連尺町
宿屋松浦屋に仮講義所を設けたが、伝馬町(宿屋大米屋の隣という)に移り、翌十七年六月伝導師結城無二三
浜松市史 ニ
(宿の根幹表筋町)
ここで今まで西進してきた道は直角に左折し
連尺町
・伝馬町・旅籠町・塩町・成子坂町がならぶ。
浜松市史 ニ
(御本陣日記)
正保四年(一六四七)旅籠町伊藤平左衛門・旅籠町杉浦惣兵衛・伝馬町梅屋(うめや)市左衛門、慶安三年には
連尺町
佐藤与左衛門
浜松市史 四
(浜松商店界連盟)
鍛冶町・板屋町・鴨江町・砂山町・常盤町・名残町・追分町・旅籠町・田町・肴町・千歳町 ・
連尺町
・高町・伝馬町
浜松市史 三
(浜名郡北部地方)
18 上善地 県公設 養蚕伝習所 20 蒲 伊藤豊太郎 私立伝習所 〃 飯田 桂 村治 同 22 浜松
連尺町
浜松市史 四
([復興した浜松の中心市街地])
鍛冶町の松菱と田町の棒屋がその中心となっていたが、有楽街や浜松座通り、千歳町・伝馬町・
連尺町
・神明町・,これ以降、田町や
連尺町
、千歳町などにも続々とネオンが設置され、暗い電球の灯っていた街から不夜城の街に変,昭和三十年十月に
連尺町
に完成したマルサ呉服店は鉄筋三階建ての新店舗で、戦後の浜松の商店としては画期的な
浜松市史 三
(東海道通)
東海道通 【田町 伝馬町】明治維新を迎えたとはいえ、中心街を成しているのは江戸時代以来の田町・神明町・
連尺町
浜松市史 四
([凧揚げ祭の復活])
それに比して田町・鍛冶町・旭町・肴町・
連尺町
などの中心部はどこも参加できない状況下にあった。,そのコースは三日と四日、五日では異なっていたが、五月三日の場合は五社神社→栄町→伝馬町→
連尺町
→神明町
浜松市史 一
(火災)
明和九辰年(一七七二)二月十二日昼九ツ時過より暮迄、紺屋町立町通、袋町入口の向土橋際南側より出火、立町不残、
連尺町
浜松市史 三
(浜松青年同志会 青年会より青年団へ 浜松市連合青年団)
青年有志たちによって創立された浜松青年書籍館に端を発し、青年たちの研修機関として浜松青年同志会(浜松市
連尺町
浜松市史 三
(呼鈴一派)
浜松
連尺町
の白ばらという喫茶店につとめていた女性であった。
浜松市史 三
(小野組大火)
、狂言小屋一)で、被災町は伝馬町・旅籠町・鍛冶町・後道・平田町・平田村・塩町・大工町・利町・紺屋町・
連尺町
浜松市史 三
(浜松新報)
【三年 伊勢屋】『浜松新報』は、隔月発行の木版誌で聚珍社発刊で
連尺町
伊勢屋書店伊藤権平から発売され、明治六年五月
浜松市史 ニ
(本陣の規模)
門構玄関付 本陣 凡建坪163坪 伝馬町(川口次郎兵衛) 壱軒 門構玄関付 本陣 凡建坪225坪
連尺町
浜松市史 四
([商店街の誕生])
名残町商店界 1 追分町商店界 1 旅籠町商店界 1 田町商店界 6 肴町商店界 1 千歳町商店界 1
連尺町
商店界
浜松市史 三
(浜松三戸長役場)
浜松八幡地村 以上十三ケ町村 戸長林正照 【浜松西部】紺屋町外十一ケ町村戸長役場 浜松紺屋町 浜松
連尺町
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