機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
参照データ一覧
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 62件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
浜松市史 一
(東海道本道)
東海
道本
道 つぎに鎌倉時代の東海
道本
道で、本市に関係する経路をあげよう。 / 東海
道本
道
浜松市史 三
(東海道本線複線化)
東海
道本
線複線化 なお、この間に東海道線の複線化(このとき現在の二俣線沿いの町村では東海道線に沿う別 / 東海
道本
線複線化
浜松市史 五
([東海道本線の高架化事業])
[東海
道本
線の高架化事業] 【高架化 東海道線高架化促進期成同盟会 西浜松駅】 浜松の市街地は東海
道本
線,昭和三十七年三月七日、国鉄新幹線浜松駅設置期成同盟会は目的達成のために解散、同日新たに東海
道本
線の高架化 / [東海
道本
線の高架化事業]
浜松市史 五
(東海道本線高架化事業)
東海
道本
線高架化事業 【伊場遺跡】 昭和四十七年二月八日に市民の宿願であった東海
道本
線高架化事業,東海
道本
線高架化事業は、伊場遺跡の取り扱いをめぐる問題のため着工が遅れたものの、昭和四十八年十二月一日,同事業は、東海
道本
線の子安町─浜名郡可美村東若林間の五・三三キロメートルを高架(子安側一・五六キロメートル / 東海
道本
線高架化事業
浜松市史 四
([浜松駅、東海道本線の拠点駅へ])
[浜松駅、東海
道本
線の拠点駅へ] 【機関車の付け換え駅 浜松電化祭 国鉄の人員整理 浜松まつり ハーモニカ,東京─浜松間の電化完成後の昭和二十四年九月十五日には大幅なダイヤ改正が行われ、東海
道本
線では急行が定期三往復,また、二十五年三月には湘南電車が東海
道本
線に登場(後述)、五月には「つばめ」の姉妹列車「はと」の運行が,蒸気機関車が牽引したが、浜松駅は急行列車や特急列車などを牽引する電気機関車と蒸気機関車の付け換え駅として東海
道本
線,特急の五分間の停車時間を利用して二十六年六月から始まった竹山朝生によるラジオ体操であり、いずれも東海
道本
線 / [浜松駅、東海
道本
線の拠点駅へ]
浜松市史 四
([浜松の交通問題])
そのうち主なものは国道一号線の市内通過問題と幹線道路の東海
道本
線との平面交差問題などであった。, 【平田踏切 森田踏切】 また、東海
道本
線との平面交差により、市が南北に分断され、鍛冶町,平田踏切は昭和三十一年十一月に拡幅されるものの渋滞は依然として解消せず、東海
道本
線の南北交通問題の解決,は、東海
道本
線の高架化まで待たねばならなかった。
浜松市史 四
([浜松以西の電化])
浜松以西の電化] 沼津─浜松間の電化工事がほぼ完了した昭和二十四年五月、国鉄電化委員会は新たに東海
道本
線浜松以西, 【浜松─名古屋間 電化完成】 昭和二十六年九月二十二日、東海
道本
線浜松─米原間の第一期工事,その後、東海
道本
線電化工事の進展により、三十年七月二十日に稲沢─米原間の電化が完成し、これに先立って七月七日,そして昭和三十一年十一月十九日に電化は京都まで達して、ここに東海
道本
線は完全電化された。
浜松市史 三
(浜松駅)
これは東西の両方面から進めていた東海
道本
線の名古屋方面が開通したためであった。,しかし本格的な営業は翌二十二年四月に天竜川橋梁が完成(着工二十年六月、竣工二十一年十一月)し東海
道本
線
浜松市史 五
([不発弾の処理])
この間約十五分、住家二世帯が避難したほか、新幹線上下五本と東海
道本
線の三本が最寄りの駅で停止する事態となった,また、新幹線は上下十二本が十分から二十五分、東海
道本
線も十一本が十五分から一時間十八分遅れ、旅客一万人,回収は同年九月八日、住民四千六百人を避難させ、新幹線は浜松・豊橋駅で停車させ、東海
道本
線の列車も停めた
浜松市史 三
(市勢発展の原因)
これには東海
道本
線の開通とこれに伴う商工業の勃興等に加うるに市民のなみなみならぬ労苦によることは勿論であった
浜松市史 一
(経塚古墳)
経塚古墳 ②磐田市連城寺・経塚古墳 この古墳は東海
道本
線の工事中に発見され、その完成とともに消滅したので
浜松市史 一
(本道と別道)
と関係のあるのは、本坂峠をこえて遠江に入り、浜名湖北岸をへて三方原をとおり引馬宿・池田宿にでて、東海
道本
道
浜松市史 五
([自動改札機の導入])
県内の東海
道本
線では、浜松駅・三島駅間の十四駅に導入することが決まり、西部地方から三駅程度ずつ配置されることになり
浜松市史 五
([不採算路線の合理化])
例えば、渋滞の影響を受けていた遠鉄国
道本
線(袋井─鷲津間)を浜松を起点にして浜名線と浜松袋井線に分離し
浜松市史 五
([国鉄ローカル線の廃止])
昭和五十七年十一月、東海
道本
線掛川駅と同新所原駅を結ぶ二俣線が第二次廃止対象路線の候補となった。
浜松市史 五
([新幹線の開業と在来線])
このため東海
道本
線を走っていた「つばめ」などの特急電車はすべて姿を消し、急行電車の大部分と客車急行の一部
浜松市史 五
([高架線の開通])
十月十五日午前十時から六時間二十分にわたって天竜川・高塚間の東海
道本
線を全面ストップして、在来線から高架線,【高架化完成記念式典】 開通式を前に午後二時から浜松市体育館で東海
道本
線浜松駅付近高架化完成記念式典
浜松市史 四
([継電連動装置の導入])
[継電連動装置の導入] 東海
道本
線全線電化のころ、特急「はと」など一部の特急を除く旅客列車とほとんどの
浜松市史 三
(遠美鉄道 二俣線 都田駅)
昭和にいたり東海
道本
線の補助線の必要が唱えられ、ことに軍部の強い要望によって豊橋から浜名湖北岸を迂回して
浜松市史 三
(女子高等技芸学校 淑徳女学校)
【平田の女学校】校舎が浜松町大字平田(なめだ)(東海
道本
線西側)にあったので「平田の女学校」ともいわれた
浜松市史 五
(栗原市政)
当選後の会見で、栗原新市長は懸案の重要事業(東海
道本
線の高架、駅周辺の整備、浜松城公園の整備、動物園の
浜松市史 ニ
(和泉屋の永代帳)
をしていたことが知られるばかりでなく、その取引先も長上郡平口・高畑・沼・横須賀・東美薗・西美薗・小林・寺嶋・小松・
道本
浜松市史 五
([中心商業地の商業診断])
[中心商業地の商業診断] 【商業診断】 浜松は東海
道本
線の高架化に伴う浜松駅周辺整備事業によって
浜松市史 五
([東海道線高架化促進運動])
これを受けて市は、昭和四十一年十月に浜松市東海
道本
線高架化事業推進本部を設置し、助役を本部長とする事務局
浜松市史 一
(商圏)
東海
道本
線の列車で旅行し、浜松駅で「新聞をください」というと、売り子は「東京のですか、名古屋のですか」
浜松市史 四
([配給・買い出し・家庭菜園])
このような食糧不足を打開するために、市民は田舎の縁故などを頼り、東海
道本
線や遠州鉄道、浜松鉄道沿線の農村地帯,彼らは東海
道本
線の高塚駅を根城に付近の農村から農作物を買い出していたが、後には地元の悪質ブローカーを手先
浜松市史 五
(駅前整備)
その後、東海
道本
線の高架化事業の決定により、新たに浜松駅周辺土地区画整理事業が実施されることになり、昭和四十六年
浜松市史 五
([浜松市開発公社の誕生])
明治四年に開かれた運河は東海
道本
線の開通後はほとんど使用されなくなり、排水路となっていたが、運河敷地そのものは
浜松市史 五
([新しい消防署と多くの派出所の設置])
図に見える北寺島分遣所は、東海
道本
線によって市中央部と分断された南部の消防力を増強するため設置された(
浜松市史 五
([普通列車の増発])
[普通列車の増発] 【大都市近郊型ダイヤ】 平成に入ると、JR東海は静岡県内の東海
道本
線ダイヤの
浜松市史 五
([新しい浜松駅の完成])
[新しい浜松駅の完成] 【新駅舎】 新しい浜松駅(四代目)は、東海
道本
線高架と新幹線高架の下に、
浜松市史 四
([浜松─豊橋間の電車運転])
[浜松─豊橋間の電車運転] 【上り湘南電車の浜松乗り入れ】 東海
道本
線は全線が電化されたとはいえ
浜松市史 五
([下水道事業の開始])
そして、昭和四十一年(一九六六)十月一日、元浜排水区から瓜内終末処理場までの下水
道本
管がつながり、ここに
浜松市史 四
([浜松駅移転構想と新駅舎])
ところが同年、後述の東海
道本
線の電化が現実味を帯びてくると、運輸省は電化実現を優先させることに方針を変更
浜松市史 五
(下水道)
また、同四十一年十月元浜排水区から瓜内終末処理場までの下水
道本
管がつながり、同年十一月十五日に下水道事業
浜松市史 五
([新幹線工事の開始とその進展])
第一、第二、第三、それぞれ百七十六・六六メートル、百九十六・四三メートル、五百四・六〇メートル)も東海
道本
線
浜松市史 四
([沼津─浜松間国鉄電化促進運動])
勾配区間は高崎・長岡間の一部など、幹線区間では東海
道本
線の沼津・浜松間が対象となり、沼津・静岡間は昭和二十一年四月一日
浜松市史 ニ
(兄弟庵連)
村名人数 長上郡 植松 1 長上郡 木船 3 引佐郡 気賀 2 飯田 2 寺嶋 2 井伊谷 1 半場 1
道本
浜松市史 五
([電線の地中化])
浜松市では国鉄東海
道本
線の高架化に伴う浜松駅周辺土地区画整理事業において駅北口広場を中心に約十三ヘクタール
浜松市史 五
([国鉄による最終案の提示])
【コースの正式決定】 国鉄新幹線浜松コースと浜松駅の位置(東海
道本
線浜松駅の南約八十メートル)は、
浜松市史 五
([墓苑の創設])
この遺骨を祀るために、東海
道本
線北側にあった旧長福寺所有の墓地(俗称いもり塚)で、市有地となっている共同墓地
袖紫ケ森:わがまち文化誌
(浜松市立蒲公民館『袖紫ケ森:わが町文化誌』 目次)
多田足穀碑」と本田平八 226 蒲小学校初代校長伊藤與策 228 子供を愛した大貫三蔵 229 東海
道本
線
浜松市史 四
([敗戦後の新宗教])
それらの教団とは、黒住教、天理教、出雲大社教浜松分院、稲荷講社、陰陽
道本
廳、幸福道教団・幸福の道教会、,表2-13 市内の神社・寺院と教会数教会 扶桑教 5 禊教 1 金光教 1 天理教 32 陰陽
道本
廰
浜松市史 四
([道路延長の急伸と街路計画の進展])
しかし、東海
道本
線の高架線や新浜松駅を中心とした街路計画が実現困難となったこと、合併により道路延長が増加
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
366 【酉の市 花まつり 駅前旅館 大米屋 花屋】 367 【浜松郵便局 洋風建築 遠州電気鉄
道本
社,ビル 中村與資平】 368 十四 鍛冶町 368 【浜松まつり 屋台 東海
道本
線電化】 369,【東海道 番所 浜松まつり 凧じるし】 395 二十九 松江町 【八幡宮大祭の放生会 東海
道本
線,でもめた市公会堂 【児童会館 浜松報徳会館 五社神社 演武館】 452 【諏訪神社 遠州電気鉄
道本
社
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
西村賢蔵】 134 【高層集合住宅建設ラッシュ】 136 (四)生活道路 【東海道 雄踏街道 東海
道本
線,道路拡張工事】 140 【長島街道】 143 【市街地環状線】 144 (五)鉄道 【東海
道本
線
浜松市史 三
(遠州灘海岸平野 天竜川平野 三方原台地)
重みのかかった柱の部分が沈下) 各所より地震の際噴水 掘抜井戸は20~23間 東海
道本
線鉄橋
舞阪町史 下巻
(舞阪町史 下巻 目次)
480 第五章 交通・運輸・通信 第一節 交通・運輸 495 村櫛渡船の経過と廃止 東海
道本
線
浜松市史 五
(アクトシティ浜松)
都市 日本生命・住友生命グループ案 第一生命グループ案 超高層都市研究株式会社案 展望回廊】 東海
道本
線
浜松市史 五
([現代総説(下)])
周辺町村との合併促進、さらに公害と基地対策を推進するとともに、市街化・同調整区域の設定、駅前整備計画、東海
道本
線,発足した年度に東海
道本
線の高架化が完工し、同六十一年度からは第三次浜松市総合計画がスタート、「産業と文化,なお、新幹線開通を機に東海
道本
線高架化事業の実施が決定され、その一環として貨物駅である西浜松駅が生まれた,こうしたなか、浜松市民の念願であった国道一号線のバイパスや東海
道本
線の高架化の完成が、当初計画よりも遅
/ 2ページ