機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
参照データ一覧
浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 96件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 2ページ
浜松市史 ニ
(遠州灘海岸)
遠州灘
海岸
遠州灘
沿岸や浜名湖岸には農業の期間を縫って漁猟を営む半農半漁の村々が存在していた。,福地・上中嶋・馬領家・三嶋・楊子・瓜内・寺脇・白羽・中田嶋以下福塚までの十一ヶ村は捕海物為産業」として
遠州灘
沿岸,また『東海道宿村大概帳』の舞坂宿をみると「此宿海(
遠州灘
)にて鰺・鯖・こち・ひらめ」などを産し「浜松・,吉田等都而近在江売出し候由」とあって、
遠州灘
沿岸や浜名湖岸の漁獲物が浜松の人々の食膳をにぎわしていたことがわかる /
遠州灘
海岸
浜松市史 一
(遠州灘沿岸)
遠州灘
沿岸 だんだんにひろがってきて現在の浜松は、はなはだひろい面積をもっている。,(1) 三方原台地の生い立ち (2)
遠州灘
と沿岸低地 (3) 天竜川と沖積平地 (,浜松市域は
遠州灘
沿岸までひろがっている。 /
遠州灘
沿岸
浜松市史 三
(遠州灘沿岸 舞阪港)
遠州灘
沿岸 舞阪港
遠州灘
沿岸 天竜川口から浜名湖口まで。,半農半漁の沿岸漁業であったが、舞阪では沖漁も行なわれ、
遠州灘
沿岸における第一の漁村であった。 /
遠州灘
沿岸 舞阪港
浜松市史 五
([遠州灘のとらふぐ漁])
[
遠州灘
のとらふぐ漁] 【とらふぐ】 てっさ(刺身)、揚げ物、てっちり鍋などの食材として、日本人,に好まれてきた高級魚とらふぐが、平成元年頃から、海流の変化に伴い
遠州灘
沖で大量に捕れるようになった。,当初、
遠州灘
沖で捕獲された天然とらふぐは、ふぐの加工場を持たなかったため、ふぐの集産地である山口県下関,この
遠州灘
のとらふぐを地元ブランドとして流通させようと立ち上がったのが舘山寺温泉の旅館業者であった。,舘山寺温泉では十二月から二月にかけて「
遠州灘
天然とらふぐ祭り」を開催し、新鮮なとらふぐを旅館、ホテル、 / [
遠州灘
のとらふぐ漁]
浜松市史 ニ
(海の難所遠州灘)
海の難所
遠州灘
遠州灘
は志州鳥羽湊から豆州下田湊まで俗に海上七十五里、海の難所であった。 ,【紀州船漂着】他国の船もしばしば
遠州灘
海岸に漂着している。 / 海の難所
遠州灘
浜松市史 ニ
(遠州灘浜名湖の高潮)
遠州灘
浜名湖の高潮 【延宝期】延宝八年(一六八〇)八月六日には
遠州灘
海岸に大潮があり(福島町『山田家文書 /
遠州灘
浜名湖の高潮
浜松市史 三
(遠州灘海岸平野 天竜川平野 三方原台地)
遠州灘
海岸平野 天竜川平野 三方原台地 一般に地盤の若い①
遠州灘
海岸平野地域②天竜川沖積平野地域に被害 /
遠州灘
海岸平野 天竜川平野 三方原台地
浜松市史 一
(砂丘)
すなわち、 (1)
遠州灘
沿岸に発達する砂丘地形の成因は、まず、主として天竜川によって内陸から運搬,
遠州灘
海岸は外洋性多段式バー海岸であるから、こうした沿岸州は数段の発達をみたであろう。,
遠州灘
海岸の砂丘(浜松市中田島町)
浜松市史 三
(浜松も戦場)
軍隊(国民学校などの教室や講堂を仮兵舎としていた)の平素聞こえなかったラッパが遠くから聞こえ、昼間は
遠州灘
,すでに浜松も銃後でなく、
遠州灘
付近へ敵軍上陸の危惧(きぐ)は十分であった。
浜松市史 三
(明治初期の漁業税)
漁業税 明治初期の漁業については資料に欠けているが、明治十三年における天竜川口から浜名湖今切口までの
遠州灘
沿岸,
遠州灘
沿岸漁業税 西島村 8円 松島村 9 福島村 3 江ノ島村 11 平左衛門新田 1 弥助新田 3
浜松市史 一
(沿岸州)
沿岸州
遠州灘
の海岸線は、西の渥美半島から東の御前崎まで、きわめてゆるやかな弧を描いて東西方向に長く,従来
遠州灘
の海岸は沿岸州をもたない緩斜海岸のように考えられていたが、最近水路部が実施した砂浜海岸の沿岸断面測量,によると
遠州灘
沿岸の海面下には二段の沿岸州がよく発達していることが明らかとなった。
浜松市史 五
([救難隊の活動])
救難隊の活動] 【浜松救難隊】 航空自衛隊の浜松救難隊は平成三年以降も事故機の捜索や乗員の救助、
遠州灘
,平成六年五月九日、
遠州灘
の訓練空域で川崎重工がテスト飛行中のT―4機に緊急事態が発生した。,平成六年十月十九日、
遠州灘
で秋田救難隊所属のMU―2型機が墜落、航空自衛隊はもちろん、海上自衛隊や海上保安庁,平成十年二月五日
遠州灘
でホンジュラス船籍の貨物船が沈没する事故があり、第四管区海上保安本部から基地に救難要請
浜松市史 一
(自然環境編)
浜松市三方原町) 二六 高塚の蓮池(浜名郡可美村) 二八
遠州灘
海岸, 四四 西風をふせぐホソバ垣(浜松市中郡町) 四八 浜松城跡からみた
遠州灘
上空
浜松市史 三
(主要漁場)
主要漁場 浜松付近の漁場は
遠州灘
・浜名湖・佐鳴湖・天竜川口がその主要なもので、半農半漁がその特色である
浜松市史 ニ
(位置)
洪積台地の東南端が、台地の東にひろがる天竜川の沖積平野へ移る河岸段丘の傾斜面に築いたもので、天竜川・
遠州灘
海岸
浜松市史 五
(中部航空音楽隊)
キロメートルを超え、遠くは硫黄島を含む中部航空音楽隊の担当エリアを東奔西走、聴衆人員は百万人を超えた(『
遠州灘
,同九年は十九都府県で演奏会を開催、自衛隊で一番忙しい音楽隊であった(『
遠州灘
』第106号)。,で全国へ放送されるので、自衛隊の看板を背負っての仕事で、隊員にとっては緊張の連続で終始するという(『
遠州灘
,長野県麻績(おみ)村のJR聖高原駅開設百周年記念行事に参加、市中パレードや記念コンサートを行った(『
遠州灘
浜松市史 三
(東南海地震浜松被害)
東南海地震浜松被害 昭和十九年十二月七日(午後一時三十五分ごろ)、東海道地方に
遠州灘
の志摩半島沖を震源地
浜松市史 三
(漁業組合)
漁業組合 【二十二年】漁業組合は二十二年に舞坂漁業組合・浜名湖漁業組合があって、前者には
遠州灘
、後者
浜松市史 一
([宝永地震])
[宝永地震] わが国の地震帯中最大の外側地震帯が
遠州灘
を東西に走っているため、この地震帯に震源を有する
浜松市史 三
(火薬庫爆発事件)
に飛行練習中殉職した乗員を弔うて地元の人たちが建てた慰霊碑があり、また米津町の台場跡には飛行演習中に
遠州灘
浜松市史 五
([高射教導隊の設置])
された千歳基地の基地防空教導隊と浜松基地の整備隊も含め百十人が増員され、都合二百五十人が配置された(『
遠州灘
,また、渡米したペトリオット部隊はニューメキシコ州マクレガー射場での実弾訓練を十一月下旬に終了した(『
遠州灘
浜松市史 三
(掛塚灯台)
掛塚灯台
遠州灘
では、その逆波に苦しんだ掛塚港(袖浦村駒場(こまば)に東西四四メートル、南北二二メートル
浜松市史 三
(浜松混声合唱団 佐々木すぐる)
【月の砂漠】その作「月の砂漠」は
遠州灘
の中田島砂丘(当市中田島町)に曲想を得たものといわれる。
浜松市史 一
(外海とのつながり)
いまでこそ
遠州灘
の海岸は、台地の縁から三・五キロという遠い位置にあるが、蜆塚の全時期を通じて外海は、西伊場
浜松市史 三
(運河開掘の諸計画)
【文久三年案】浜松城下より浜名湖を経て
遠州灘
に舟を通じ、商品流通の拡大をはかる計画はすでに存したが、堀留運河,浜松城下元目(げんもく)の御堀まで引き通船の便を計ろうとしたのも、また中泉奉行前島密(まえじまひそか)の
遠州灘
沿岸
浜松市史 五
([エア・フェスタ・ハママツと広報館の開設])
春の観桜会、夏の基地納涼の夕べ、秋の基地航空祭であるが、中でも基地航空祭は最大の広報行事であった(『
遠州灘
,市民団体もあったが、基地は基地航空祭に市民が健全なイベントを同時実施することは歓迎するとして協力した(『
遠州灘
,この年琵琶湖で開かれた鳥人間コンテストで優勝した地元の「極楽とんぼ」という人力飛行機が注目を集めた(『
遠州灘
,全天周型の映像シアターで、F15戦闘機のコックピットからの眺めを八分間にわたって体感できることであった(『
遠州灘
浜松市史 三
(被爆地域)
被爆地域 それが
遠州灘
からの敵艦隊の艦砲射撃と分ったのは後のことだったが、報告によると最初は軍事施設,また白羽海岸の監視哨からの報告によると、敵艦隊は八隻で
遠州灘
を東から西へ航行しながら砲撃を行なったということで
浜松市史 ニ
(天守閣)
仰がれたわけで、ここからは東に小笠山(おがさやま)の丘陵(高天神城がある)をはじめ富士の霊峯が、南に
遠州灘
浜松市史 ニ
(主謀者詮議)
そこへ閏五月二十三日ごろにはアメリカ船が
遠州灘
に現われるという注進があって藩役人右手が廻らず、ついつい
浜松市史 ニ
(神主連祈祷)
さきにビッドルの艦隊が
遠州灘
をよこぎり、いままたぺリーが脅威を与え、浜松の人々も一層海防の必要を痛感したにちがいない
浜松市史 ニ
([浜松藩の海防問題])
閏五月七日、浜松城をうけとって間もない同月二十三日、アメリカ東印度艦隊司令長官ビッドルのひきいる軍艦二隻が
遠州灘
浜松市史 一
(天竜川)
天竜川 浜松市の東を画する天竜川は、広い川原の中を網状に流れて
遠州灘
に注ぐ。
浜松市史 一
(紀行文)
遠州灘
より今切・浜名湖を望む 掛塚港跡(磐田郡竜洋町) 普済寺(大正時代)(浜松市広沢町
浜松市史 一
(自然環境編)
一八 三方原は洪積台地 三方原の成因 三方原の現地形 第三節
遠州灘
浜松市史 ニ
(西嶋村と浜松肴商人)
【初鰹献上】肴町商人は
遠州灘
の初鰹を毎年領主へ献上するのが例であった。
浜松市史 ニ
(ペリー浜松沖通過)
七隻の軍艦は幕府から開国の回答を求めて、
遠州灘
をゆうゆう東へ向かいつつあった。
浜松市史 五
(浜松基地)
【航空教育集団司令部 『
遠州灘
』】 昭和六十三年航空自衛隊発足以来初めてとなる骨幹組織の改革に着手,なお、基地の新聞も南『はまな』・北『三方原』の両紙が終刊となり、同年四月五日新たに『
遠州灘
』が創刊された
浜松市史 三
(浜松地方決戦作戦 軍民一体の撃退訓練)
【海岸】軍は
遠州灘
の防備についても特に重視し、まず浜松へ資材集積を命じ、新設第百四十三師団(兵団符号を,護古と称したので護古部隊といい、引佐郡井伊谷村に司令部があった)を天竜川と浜名湖の間の西遠平野の
遠州灘
海岸方面
浜松市史 一
(雲堤)
浜松城跡からみた
遠州灘
上空の雲堤
浜松市史 ニ
(高天神城を攻撃)
国安は高天神山の東南で、菊川が
遠州灘
にそそぐところにある。
浜松市史 ニ
(水の手)
新川はその下流で浜松宿の東境を流れる馬込川に合流し、
遠州灘
にそそいでいる。
浜松市史 一
(漁撈対象となった動物)
には、古くから独木舟が作られていた実例があるので、蜆塚人も舟を使ったことを考えてもよいが、波浪の高い
遠州灘
浜松市史 ニ
(新田の種類)
【海沿新田】第二に
遠州灘
沿岸の海沿新田としては坪井新田・西新田・倉松新田・小沢渡新田などがある。
浜松市史 三
(英国船)
英国船
遠州灘
ではしばしば船舶の遭難があったが(『浜松市史二』参照)、ことに有名であったのはゼームス
浜松市史 一
(珍しい植物)
静岡県西部以西 第1表 浜松地方の植物分布 植物の種類 生育地 分布状況 ハマボウフウ
遠州灘
砂丘地帯,西南暖帯性・北方寒帯性両要素の植物が浜松地方で互いに交錯しているだけでなく、浜松周辺には
遠州灘
沿岸の砂丘地帯
浜松市史 ニ
(掛塚領有案)
御普請が手薄」となるし、それに漁猟運上がかかっては生活困窮者には家職のさしつかえとなる、ことに掛塚湊は
遠州灘
浜松市史 四
(山内泉 平松實 山根七郎治 相生垣瓜人 三行舎)
文筆にも優れた才能を示し、昭和二十五年には、明治八年の
遠州灘
での英国船の海難事故に取材した放送劇を作成
浜松市史 一
(面積 湖岸線)
面積 湖岸線
遠州灘
のゆるやかな弧状海岸線の単調さを破るものは浜名湖の存在である。
浜松市史 一
(潮の流れ)
まず湖外の潮流について一瞥すると、黒潮は
遠州灘
の沖合を西から東へ向かって流れ、沿岸では黒潮の反流が御前崎付近
浜松市史 三
(篠原村)
(表)
遠州灘
沿岸漁村表(明治26年) 戸数 人口 漁戸 漁人 漁船 漁具 (網) 河輪村
/ 2ページ