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浜松市史 三
(遠州織物)
遠州織物
遠州織物
の研究書は本章第二節第三項にあげておいた。 /
遠州織物
浜松市史 三
(遠州織物文献)
遠州織物
文献 以下、各時代について述べよう(
遠州織物
については大正十五年発行『浜松市史』、昭和三・四年静岡県編,の織物』、昭和五年静岡県内務部編『静岡県織物要覧』、昭和八年中道朔爾『遠江積志村民俗誌』、昭和十二年
遠州織物
新聞社,『
遠州織物
沿革史』、昭和十四年静岡地方裁判所・同地方検事局編『遠州綿織物に就て』、昭和十六年浜松市役所,『
遠州織物
を語る』、昭和二十五年
遠州織物
工業協同組合編『遠州輸出織物誌』、昭和二十八年静岡県繊維協会編,『
遠州織物
の推移を語る』、昭和三十一年繊維振興会編『
遠州織物
発達史』、昭和四十一年山本又六『遠江織物史稿 /
遠州織物
文献
浜松市史 三
(遠州織物時代)
遠州織物
時代 ③大正時代 ここでは昭和初期までを含める。,販路の拡張・織機の進歩・織物業に付随する各種工業の発展により生産高が激増し、
遠州織物
としてその名が全国的,
遠州織物
の黄金時代であった。 /
遠州織物
時代
浜松市史 三
(遠州織物の特色)
遠州織物
の特色 大正九年にもこのような不況がおこり、このときは織れば織るほど損をする時代であったが(,ることができる」のが大企業と異るところで、「中小工業は非常に虐げられている反面にそういった非常な長所」(『
遠州織物
,遠州縞などといわれた
遠州織物
の商品名が全国に知られるようになったのはこのころからであった。 /
遠州織物
の特色
浜松市史 三
([遠州織物の海外進出])
[
遠州織物
の海外進出] 大正期へ入ると
遠州織物
の海外輸出が本格的に開始された。,これは
遠州織物
の発展の上からみても画期的なことであった。 / [
遠州織物
の海外進出]
浜松市史 三
(遠州織物の全国的進出)
遠州織物
の全国的進出 そののち大正十二年の大震災、十四年の大阪のデパートにおける
遠州織物
宣伝大会をはじめとして,、関西・関東の各デパートなどにおける積極的な宣伝活動もあって、
遠州織物
の全国的進出を決定的なものとしたのであった,14 49,616,490 17,898,859 774,372,791 6.4 2.3 (『
遠州織物
発達史 /
遠州織物
の全国的進出
浜松市史 四
([好景気と不景気下の遠州織物])
[好景気と不景気下の
遠州織物
] 【
遠州織物
ガチャ万時代 生産調整】 戦後の物不足と朝鮮戦争特需,を背景に、
遠州織物
業界は息を吹き返し、さらに、いわゆる〝ガチャ万時代〟が到来し、繊維業界は活況を呈した,これにより
遠州織物
業界も、各組合ごとに調整組合を併設し生産調整を行った。,; 【繊維工業設備臨時措置法】 さらに、昭和三十一年になると繊維工業設備臨時措置法が施行され、
遠州織物
工業協同組合, 【構造不況】
遠州織物
産地はガチャ万から転じて構造不況に突入していった。 / [好景気と不景気下の
遠州織物
]
浜松市史 三
([昭和の軍需景気と遠州織物])
[昭和の軍需景気と
遠州織物
] 第一次大戦後の戦後恐慌につづく震災、昭和へ入ってのいわゆる世界恐慌と大正末期,
遠州織物
もまたその影響をうけ、生産高は低下し輸出は減退を続けるばかりであった。 / [昭和の軍需景気と
遠州織物
]
浜松市史 三
(国内向販路の拡張 高級品生産に努力 遠州織物の地歩確立)
国内向販路の拡張 高級品生産に努力
遠州織物
の地歩確立 東北地方をその主たる販路としていた
遠州織物
も,のごとく同地方が凶作のときはたちまち売行減となるため、景気に左右されない恒久的な国内向の販路の拡大は
遠州織物
,
遠州織物
の名が各地に知られ、
遠州織物
の地歩が確立したのはこの時代であった(『静岡県工業試験場浜松分場報告書,(表)
遠州織物
生産額の増大 年次 生産額 円 指数 明治38 1,965,370 1.0 大正元,指数は明治38年の生産額を1としたもの (『浜松商工会議所五十年史』『浜松発展史』) (表)
遠州織物
/ 国内向販路の拡張 高級品生産に努力
遠州織物
の地歩確立
浜松市史 三
(遠州織物全盛時代 織物王国浜松)
遠州織物
全盛時代 織物王国浜松
遠州織物
もまた輸出織物好調の波にのって昭和十一年には輸出額も九千四百十八万円余 /
遠州織物
全盛時代 織物王国浜松
浜松市史 五
([集団就職の第一陣、遠州織物工業組合へ])
[集団就職の第一陣、
遠州織物
工業組合へ] 【集団就職】 集団就職の状況を当時の新聞は次のように報道,
遠州織物
工業協同組合の千九百十工場では、四千人の女子工員を集めるため昨年秋から東北、九州地方の中学校や / [集団就職の第一陣、
遠州織物
工業組合へ]
浜松市史 ニ
(井上藩と製織技術)
この説をはじめて記したのは大正三年版の『浜名郡史』で、同郡史によると
遠州織物
について「本業(織物)発達,っている(大正十五年発行『浜松市史』、昭和八年版中道朔爾『遠江積志村民俗誌』、昭和十六年版浜松市役所『
遠州織物
,を語る』、昭和二十五年版
遠州織物
工業協同組合『遠州輸出織物誌』、昭和二十八年版静岡県繊維協会『
遠州織物
浜松市史 三
(特殊産業発達の原因)
特殊産業発達の原因 形染は生染糸を使用する
遠州織物
とは異なるものがあり、創設当初には
遠州織物
業者の反対
浜松市史 三
(小巾より広巾へ 広巾全盛時代)
そのため広巾の生産高は昭和二年には
遠州織物
総生産高の五十一%となり、十二年には八十九%の高率に達し、同四年,こうして
遠州織物
の広巾全盛時代が到来したのであった。
浜松市史 三
(海外輸出の開始 永福公司 形染会社)
海外輸出の開始 永福公司 形染会社 ここで
遠州織物
の海外輸出の経過をたどると、その開始は日露戦争を契機,
遠州織物
最初の輸出であった。,そして広巾も増井次郎作(現在の当市森田町在住)が内需用として生産するにすぎなかった(『
遠州織物
を語る』
浜松市史 三
(浜松機業家の進取の気象)
浜松機業家の進取の気象 そのころ浜松地方へ視察にきた越後の機業家たちは、
遠州織物
の安価なのは足踏機の,このころ濃尾地方の業者は
遠州織物
の進出に刺激され力織機の採否を論議したが、結局着色織物は柄で売るものであり
浜松市史 三
(小山みいと永隆社 副業より専業へ)
これ我が
遠州織物
の広く世人に知らるゝの初なり」と述べ、この刺激をうけて「明治二年佐藤一色に於て初めて工場組織,浜松市史史料編四』、『浜松市史二』)、佐藤一色村(当市佐藤町)の場合は浜松に隣接するという地の利を得て
遠州織物
浜松市史 三
(輸出広巾織の開始 輸出好況時代)
かったのが好評の原因であった)が非常に注文が入って、何処の家でも三月から半年さきの注文で織り切れない」(『
遠州織物
,まさに
遠州織物
の黄金時代であった。
浜松市史 三
(笠井商人の自覚 西遠太物業組合)
西遠産業社を母体として、今まで笠井稿とか河西縞(天竜川の西岸の意味)とか地方的な名称でしか呼ばれなかった
遠州織物
,の三郡にひろめ浜松の木綿商人たちも加わり笠井村に西遠太物業組合(組合長加藤平四郎)の設立となった(『
遠州織物
発展史
浜松市史 三
(笠井縞時代)
笠井縞時代 ①明治前期
遠州織物
が笠井縞と呼ばれ、遠州を商圏とした地方的な織物に過ぎなかった時代。
浜松市史 三
(織物業)
織機供出】このため操業時間の短縮化となり、中小の織機業者は廃業合理化を迫られ、一時は織機数四万台に上った
遠州織物
,下表は
遠州織物
の生産統計である(『浜松発展史』)。
浜松市史 三
(織機)
織機 織機
遠州織物
の項(第四章第二節第三項)を参照。
浜松市史 三
([永久社創立])
ことに、こうした場合に
遠州織物
のような中小企業は、粗製乱売に陥りやすく、そのための信用失墜は自滅にも通
浜松市史 三
(遠州縞の普及)
遠州縞の普及 こうして地方的な織物にしか過ぎなかった
遠州織物
が、笠井縞とか河西縞とかいう名称を脱して
浜松市史 四
([繊維産業の復興と輸出の再開])
[繊維産業の復興と輸出の再開] 【
遠州織物
復元期成同盟会 静岡県織物工業協同組合
遠州織物
工業協同組合,これに伴って、遠州地方においても、昭和二十二年七月に
遠州織物
復元期成同盟会を結成し、四千八百台の織機の,同組合は、昭和二十三年九月には四つの組合に分離改組され、
遠州織物
工業協同組合・天龍社織物工業協同組合・,
遠州織物
工業協同組合は綿・スフの織物業者を中心に組織化され、戦前の永久社の流れを受け継ぎ、天龍社織物工業協同組合,
遠州織物
産地が息を吹き返したのは、昭和二十一年の原綿輸入であった。
浜松市史 三
(軍需景気)
遠州織物
もまた好況に支えられて輸出が伸び生産高も増大していったが、その生産品の内容は海外の需要に応じ変化
浜松市史 三
(シルケット法)
六十番手ぐらいの綿糸を苛性曹達の溶液に浸し絹糸のような照りを出し美しく見せる方法で、
遠州織物
の高級化に,寄与する点が多かった(『
遠州織物
を語る』)。
浜松市史 三
(人力より動力へ 力織機製造業の勃興)
ことに日露戦争が終り満州へ
遠州織物
の輸出が始まったとき、この方面を視察した宮本甚七と木俣千代八は「織機,わない、どうしても露西亜やアメリカの綿布と競争するには動力織機で能率を増進して行かなければならない」(『
遠州織物
浜松市史 三
(浜松の三大産業)
浜松の三大産業とよばれ、これらの会社の製作する楽器・帽子・形染織は、
遠州織物
とともに浜松を代表する工産物
浜松市史 一
(空っ風)
遠州織物
工場内の乾燥を防いで糸切れをなくすため、人工給湿が行なわれているのも、乾いた冬の季節風が当地方
浜松市史 三
(販売業)
販売業 つぎに
遠州織物
の販売業者を調べてみると(上表)、すでに述べたように浜松市内が多い。
浜松市史 三
(工業組合法による再編成 五組合誕生)
②
遠州織物
商業組合 昭和七年十二月に商業組合法(十月施行)により販売の合理化をはかって設立された全国初,④
遠州織物
工業組合北盛社 昭和八年四月に浜名郡北部の笠井町をはじめとする各村、引佐郡等の小巾業者によって
浜松市史 三
(戦後対策)
戦後対策 大正七年になると県は大戦後に対処する産業の指導方針を定め、
遠州織物
については、①広巾織機の
浜松市史 三
(目次)
のすすむ工業 大正期の工業 昭和期の工業 第三項
遠州織物
, 三九八
遠州織物
の発達と時代区分 , 力織機の普及 染色・紡績業の進歩
遠州織物
,東部及び南部工業地帯の形成 織場の青春 昭和の軍需景気と
遠州織物
, 戦時体制下の
遠州織物
第四項 農業
浜松市史 四
([神武景気と雇用、集団就職])
【
遠州織物
不況突破促進業者大会 不況突破労働者大会】 昭和三十二年まで続いた神武景気,同年七月二十二日には
遠州織物
工業協同組合、浜松商工会議所、浜松市の三団体主催の
遠州織物
不況突破促進業者大会
浜松市史 四
([浜松駅前繊維問屋街の誕生])
[浜松駅前繊維問屋街の誕生] 【駅前繊維問屋街】 戦後、
遠州織物
の問屋は浜松駅前の旭町(浜松駅前繊維問屋連盟
浜松市史 三
(全国一の生産地)
(表)天鴦絨生産における
遠州織物
の地位 年次 全国 遠州地方 遠州の比 昭和5 20,687,918m
浜松市史 三
(商業の発展 市況の概況)
【不況時代
遠州織物
】その後、大戦終了の九年には大恐慌が起り不況にあえいだが、十二年の関東大地震は関西,に浜松地方の織物が進出する絶好の機会を生み、「
遠州織物
」の銘をもって取引される端緒となった。
浜松市史 三
(戦時体制 綿布製造禁止)
昭和十二年に日中戦争が始まり、矢つぎばやに輸出入品等臨時措置法、翌十三年三月には綿糸配給規則が公布されると、
遠州織物
浜松市史 三
(遠江織物同業組合)
同組合は織布販売業者・織布製造業者・染色業者の総合組合として大正から昭和へかけて
遠州織物
の全国的地位向上
浜松市史 ニ
(織物と女性)
【木俣くら】またさきに述べた木舟村の和泉屋の妻女木俣くら(『
遠州織物
を語る』がはじめて紹介している)は
浜松市史 三
(紡績業の勃興)
紡績業の勃興
遠州織物
の生産高増加とともに綿糸の需要も増加してきた。
浜松市史 三
(遠州紡績株式会社)
臥雲式紡績や遠州紡績株式会社の製造した紡績糸は従来の農家の手紡糸とくらべて良質であり、明治初期において
遠州織物
浜松市史 三
(力織機の普及)
大正二年に七千九百三十一台の六十九%、三年八千百十九台七十六%とめざましい勢いで普及した(『浜松発展史』『
遠州織物
発展史
浜松市史 三
(各種組合)
各種組合 この他に工業組合(遠州輸出織物工業組合永久社ほか四社)・商業組合(
遠州織物
商業組合ほか一社
浜松市史 三
(会社)
めているためであり、馬込川東岸地帯や駅南地帯に多いのは織物やこれに関係した会社が発達しているためである(
遠州織物
浜松市史 三
(浜松瓦斯株式会社)
始め、ことに大正十五年東洋紡績株式会社浜松工場における瓦斯糸・カタン糸の高級原糸の生産に一翼をにない
遠州織物
浜松市史 三
(染織講習所 浜松工業学校)
県立工業試験場ができ浜松の織物業者の熱望により、その染織部(浜松分場)が明治三十九年に浜松馬込町へ設けられると、
遠州織物
同業組合長桑原為十郎
浜松市史 三
(中心街板屋町 問屋街の形成)
の工場地帯、西岸の木綿商人街の形成されていく相がようやく顕著となっていくのが、明治初期の浜松における
遠州織物
浜松市史 三
([近代総説])
(2)地場産業とくに紡織工業の発達―浜松の近代化は工業都市化に代表されるが、諸工業の中で
遠州織物
は中心的
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