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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 一
(鎮守 氏神)
鎮守
氏神 どこの荘園にも
鎮守
(ちんじゅ)がまつられている。,荘園の管理人から農民まですべての人は荘民として、
鎮守
の神に崇敬をささげる。 /
鎮守
氏神
浜松市史 一
(高氏の鎮守府将軍)
高氏の
鎮守
府将軍 【高氏の奉行所】足利高氏は、その日に昇殿(しょうでん)(清涼殿(せいりょうでん)の,殿上(でんじょう)の間(ま)にあがる特権)をゆるされ、
鎮守
府将軍に任ぜられた。 / 高氏の
鎮守
府将軍
浜松市史 一
(室町時代の農民)
【
鎮守
】村人は
鎮守
やお堂にまつる仏像に信仰をささげた。農民はここに集合して相談する。,
鎮守
と寺、とくに
鎮守
は村びとの生活とむすびついており、彼らはここを中心に団結した。
浜松市史 ニ
(白山宮)
鴨江寺の
鎮守
であろうという。
浜松市史 一
(義定の三任 その家人ら延暦寺僧兵のため負傷 甲斐法光寺に梵鐘を寄進)
四月二十六日日吉(ひえ)神社(延暦寺の
鎮守
)の神輿(みこし)が入洛したとき、義定の家人はこれをふせぎ戦,延暦寺の僧兵は、朝廷に不満があると
鎮守
の日吉神社の神輿をかついで京都に入り強訴する。
浜松市史 ニ
(生活の哀歓)
厳しい倹約とりきめの中にも、
鎮守
社の祭りやさまざまの哀歓もあったはずである。
浜松市史 ニ
(真言宗)
二諦坊は鴨江寺の
鎮守
、白山宮の別当寺であろうという。両部修験道場として知られていた。
浜松市史 一
(国司守護制)
しかし旧幕府の地方制度の根本を公認したのは、
鎮守
府将軍や征夷大将軍を任じたのと同じ「悲劇」であろう。
浜松市史 一
(南朝の再建策 宗良親王遠江再下向)
(1)顕家の弟顕信を
鎮守
府将軍に任じ、義良親王をいただき、陸奥に下し、北畠親房と結城宗広をそえる。
浜松市史 一
(神明社 但木神明社の掛仏)
平安中期から蒲御厨ができ、その
鎮守
。建長六年(一二五四)修造された。,【大𤭖神社】松尾大明神 京都の松尾神社領遠江池田荘の
鎮守
。当市中野町に鎮座。
浜松市史 一
(笠井荘)
笠井荘の
鎮守
としてまつられた神社であり、藤原氏の荘園であったろう。
浜松市史 一
(動乱の地域的分布)
鎌倉は、もとの鎌倉幕府の所在地であり、陸奥(むつ)の多賀城(宮城県宮城郡多賀城町)には、古く
鎮守
府将軍
浜松市史 一
(護良親王の動き 征夷大将軍)
武士の棟梁にふさわしい
鎮守
府将軍と鎌倉幕府の頭首を象徴する征夷大将軍は、後醍醐天皇としては否定すべきであった
浜松市史 一
(白山信仰)
慶長十一年丙午三月吉日 江戸御大工椎名兵庫助吉次」 これによると二諦坊は、鴨江寺のおそらくは
鎮守
浜松市史 ニ
(庚申講)
それがすむと
鎮守
に参詣して退散する(中道朔爾『遠江積志村民俗誌』)。
浜松市史 ニ
(五嶋新田と源太夫堀)
は享保八年(一七二三)三月にはじまり同十一年四月に竣工したが、工事にあたって三反歩を除きこの五か村の
鎮守
神
浜松市史 一
(百姓請 郷村制)
村の
鎮守
の祭礼でも主催するのは家柄(いえがら)のよい名主たちだけであった。
浜松市史 ニ
(祭礼)
祭礼 どの村にも
鎮守
があり、氏子によって祭礼が行なわれたが、このような祭事行事のさかんになったのは幕藩体制
浜松市史 一
(村櫛荘如意寺の大般若経)
の村民たちは、毎月協力して財力をだし、元能にちなむ吉日をえらび、大日堂(当市村櫛町随縁寺)でこの地の
鎮守
とみつか:わが町文化誌
(浜松市立冨塚公民館『とみつか:わが町文化誌』 目次)
郷土が生んだ源氏の総師蒲冠者範頼公 320 【安座 石碑 蒲冠者 飯田町 竜泉寺】 320 (五)
鎮守
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