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浜松市史 一
(東国の防人)
東国の
防人
この
防人
の制は、天平二年(七三〇)にいたって、もっぱら東国からだけ
防人
を徴集したらしい。,この東国の
防人
は、天平九年(七三七)に廃止され、代わって北九州の者をもって壱岐・対島を守らせたことが『,そのことは正倉院に現存する天平十年(七三八)の筑後・周防・駿河の正税帳に、これら諸国を
防人
が通過したことが,『万葉集』巻二十に収められた
防人
歌の作者たちは、天平勝宝七歳(七五五)に、交替要員として九州へ向かう
防人
,天平十年 駿河国正税帳
防人
帰郷の記事(正倉院文書) 【国造人 主帳丁】これらの
防人
歌については / 東国の
防人
浜松市史 一
([防人歌])
[
防人
歌] 天平勝宝七歳(七五五)二月、九州の地にあって対外警備にあたっている
防人
の交替要員が、東国諸国,時に兵部省の次官、兵部少輔(ひょうぶのしょう)であった大伴家持(やかもち)は、勅使とともにこれらの
防人
,を検閲し、遠く九州の地に送り出したのであったが、この
防人
集結のさいに、彼は諸国の部領使を通じて、
防人
たちから,巻二十に収められている
防人
歌の大部分は、このようにして今日に伝えられたものである。 / [
防人
歌]
浜松市史 一
(遠江防人歌)
遠江
防人
歌 つぎに遠江の
防人
たちの歌を掲げよう。 ,「天平勝宝七歳乙未二月、相替りて筑紫に遣さるる諸国の
防人
等の歌 かしこきや命被(みことかがふ)り明日, (どうして母という花がないのだろうか、そんな花があれば持って来るのに) 右の一首は、
防人
山名郡丈部真麿,すなわち、この時家持の所に提出された遠江出身の
防人
の歌は十八首であったが、彼はその中の七首を万葉集に載,遠江
防人
歌 西本願寺本 万葉集巻二十 / 遠江
防人
歌
浜松市史 一
(防人の心情)
防人
の心情 これらの歌に盛られた
防人
たちの切々の心情は、まことに人の心を打つものがある。 /
防人
の心情
浜松市史 一
(防人の廃止 奥羽への出兵)
防人
の廃止 奥羽への出兵
防人
はこの後、さらに天平宝字元年(七五七)にまた廃止され、その後、蝦夷(えぞ,めなかったにせよ、一部は復活した形跡があったりして、複雑な変遷をたどるが、大体、奈良時代末までは東国
防人
/
防人
の廃止 奥羽への出兵
浜松市史 一
(北九州の警備)
北九州の警備 一方、
防人
は、『万葉集』に東国
防人
の歌も載せられていて、きわめて広く世に知られているが,
防人
の称はすでに大化改新の詔にもみえていて、その起源は明らかでないが、令の規定にもみえているように、諸国,らは自国から国司に率いられて難波津(なにわず)に集結し、ここで官使の指揮下に入って大宰府に着くと、その
防人
司
浜松市史 一
(オウの混同)
なお、この
防人
歌の作者たちの中で、国造丁と見えるものは、一国から集められた
防人
たちの中の先任者だろうし,、主帳丁はその一団の書記係だろうと思われること、この時に九州に向かった
防人
たちは、満三年の期限が終わるより,早く東国の
防人
が廃止され、予定より早目に帰郷することができたらしいことなどは、すでに第四章(二六一ページ
浜松市史 一
(雑歌)
東歌は、東国方言をよくあらわしたものとしても古来有名であるが、方言といえば、巻二十に収められている東国
防人
,これらの
防人
歌も、やはり東歌の一部にほかならず、ことに遠江に関しては、その方言ともいうべき語法の特色は,、巻十四の東歌にではなく、巻二十の
防人
歌の中に見出されるのである。
浜松市史 一
(古代編)
国司 第三節 交通と軍事 二五六 駅制 軍団
防人
, 第二節 万葉集 三三〇 引馬野の歌 東歌
防人
歌
浜松市史 一
([万葉集])
める引馬野を詠み込んだ歌、巻七の吾跡川楊をうたった施頭歌(せどうか)、巻十四の東(あずま)歌、巻二十の
防人
歌
浜松市史 一
(中央地方の連絡)
すでに大化改新の詔の第二条にも、関所や
防人
(さきもり)、駅馬伝馬(えきばてんま)を置くという基本方針がみえているが
浜松市史 一
(新羅征討の計画)
このように、
防人
といい、新羅征討といい、蝦夷征伐といい、あらゆる場合に遠江以下の東国の兵が頼みとされたのである
浜松市史 一
(古代編)
二五四 古代交通地図 二五七 天平十年 駿河国正税帳
防人
帰郷, 三三八 乎那(尾奈)の嶺(引佐郡三ケ日町) 三三九 万葉集巻二十 遠江
防人
歌
浜松市史 一
(軍団の廃止)
遠江の地についてとくに説明を要するのは、兵士から選抜されて都や九州の警備にあたった衛士(えじ)と
防人
(
浜松市史 一
(調布銘と木簡)
からもこれらの品々が中央に運ばれた姿を思い浮かべさせるが、その調庸類の運送も正丁の負担であり、衛士・
防人
浜松市史 一
(東国の範囲 信濃遠江の線)
後に述べる東国の
防人
も、すべて遠江以東の諸国から出されたのである。
しいの森はぎの原:わが町文化誌
(浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)
追分一里塚 道標 北星中学校】 17 【姫街道の松並木】 18 【姫街道のいわれ 官道 本坂道
防人
浜北市史 通史 上巻
(浜北市史 通史 上巻 目次)
467 3 「あらたまの伎倍」と若倭部身麻呂 470 万葉集に歌われた「あらたま」 470
防人
若倭部身麻呂
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