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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 (電話の普及)

電話の普及 浜松電報電話局管内の加入電話数は、昭和四十四年度末に五万台を突破して以降、急速な増加を見,このため浜松電報電話局は、一万件を超える加入者新増設工事と並行して人口急増地域の無人電話交換局の増設や,浜松電報電話局向宿分室は、周辺市内加入電話および市外回線を抱え、西部地域で中心局的役割を果たしていたが,【ファックス ポケットベル】  浜松電報電話局は、昭和四十九年七月十日から一般の電話回線を使って複写通信,これと前後して、自動車電話や携帯電話が登場し、日本縦貫光ファイバーケーブルが運用を開始するなど、NTT / 電話の普及
浜松市史 三 (電話開通)

電話開通 【四十一年】浜松の電話開通は明治四十一年三月(三十日)であった。  ,浜松では三十四年八月以来浜松商業会議所会頭名でしばしば電話業務開始申請が行なわれたが、ようやく四十年十月,電話交換局(大正4年当時)  なお、この電話分室は加入希望者の増加に対応し、従来の磁石式から共電式,なお、その時の加入者数は二千六百四十四であった(浜松電信電話局史『浜電』)。 / 電話開通
浜松市史 五 (電話の普及)

電話の普及 【自動式】  産業経済の急速な発展を反映して電話需要は着実な増加を見せた。,浜松電話局のまとめによると、浜松市内の電話加入数は、昭和三十五年現在で一万四千百九十三台、総世帯の五分,特に同三十二年十二月に浜松局が自動式に切り替わってから電話の需要が増加し、それ以後毎年千件を超える電話申,この結果、新技術の採用と設備の近代化を基礎とした加入電話・公衆電話の増設、電話局建設、市外サービスの改善,と浜松電話局とが統合され、浜松電報電話局が誕生した。   / 電話の普及
浜松市史 五 ([有線放送電話の普及と団地電話の開通])

[有線放送電話の普及と団地電話の開通] 【有線放送電話】  昭和三十四年の都田農協有線放送電話に続,一方、昭和三十九年一月から有線放送電話接続通話制度が施行され、有線放送電話施設と電電公社線との接続が可能,【団地自動電話】  昭和四十年代に入って各地に大きな住宅団地が造成されると、加入者の急速な増加と電話需要,こうした団地の電話需要に対応するため、遠州浜団地や中田島団地には昭和四十三年三月に団地自動電話が設置されたが,、昭和四十四年以降は一般の秘話式二共同電話(自動交換機から各戸までの電話線を一回線で二軒使用)へ移行した / [有線放送電話の普及と団地電話の開通]
浜松市史 五 ([固定電話の減少と携帯電話の普及])

[固定電話の減少と携帯電話の普及] 【市外局番統一】  平成二年三月、広域行政の推進や地域産業の振興面,【固定電話】  市内の固定電話加入数は、全体としては平成八年に約二十七万台のピークを迎えるが、翌九年,こうした固定電話加入数の減少は、携帯電話の普及や次に述べるインターネットを利用した通信手段の多様化によるものと,【携帯電話】  総務省の統計によれば、携帯電話・PHSの加入契約数の人口普及率は、平成七年度末の九・,なお、救急車は、平成二年から自動車電話が設置されるようになった。 / [固定電話の減少と携帯電話の普及]
浜松市史 四 ([浜松郵便局・電話局・電報局])

[浜松郵便局・電話局・電報局] 【浜松郵便局 局舎の焼失 浜松郵便局 浜松電話局 浜松電報局】  ,このため焼け残った電話分室に郵便、電信、貯金・保険等の業務を移して営業を続けた。,さらに一連の空襲によって電信・電話部門もほぼ壊滅状態であった。,また、電話業務については、十月九日から浜松駅構内に特設通話局を開設した。  ,また、二十一年十月一日には、浜松電話局が誕生して同郵便局から電話業務が独立した。 / [浜松郵便局・電話局・電報局]
浜松市史 四 ([有線放送電話の開始と農村])

[有線放送電話の開始と農村] 【有線放送電話】  有線放送は、ラジオの共同聴取あるいは農事放送のために,僻(へき)地の農山村に設置されたが、昭和二十五、六年から簡単な送受器を付けた電話の機能を有する設備が現,三十一年からは農業協同組合が経営する施設については補助金が交付されるようになり、三十二年六月には有線放送電話,当時、滝沢・鷲沢両町内には戸数が約二百五十あったが、電話が通じていたのは滝沢小学校のみであった。,都田農協建物の一部を改造した放送室から五十回線の電話線で加入者を結び、放送のほか各加入者が自由に通話できる / [有線放送電話の開始と農村]
浜松市史 四 ([新制度下での業務開始])

[新制度下での業務開始] 【浜松電話中継所 浜松電話協力会】  昭和二十三年十二月に逓信事業を郵政事業,これに伴い、電報・電話業務は、郵政事業から分離された。,同年十一月五日には遠距離電話の中継と音声電流の増幅のための施設として積志村有玉に浜松電話中継所(三十二年積志村,が浜松市に合併し、有玉電話中継所に改称)が建設された。,昭和二十四、二十五年ごろから電話増設の必要性が高まった。
浜松市史 四 ([共電式の限界と自動化])

[共電式の限界と自動化] 当時、浜松市をはじめ県内の主要各電話局はいずれも共電式であり、交換手によって,手動で電話交換が行われていた。,特に浜松市は、電話加入者数で県下第一位、手動式交換局としても全国有数の大局であった。,一方、昭和三十年八月二十九日には商工会議所が中心となって浜松電話自動化促進協議会を結成し、電話自動化実現,表3-31 浜松の電話加入者数 年度 用     途 公衆電話 事務用 住宅用 その他計 昭和29年
浜松市史 四 ([電電公社発足])

[電電公社発足] 【第二次五カ年計画 浜松電報局】  昭和二十七年七月三十一日、日本電信電話公社法,が成立、翌八月一日に電気通信省は廃止されて、電信や電話などの業務は日本電信電話公社に移行し、独立採算の,カ年計画(二十八年度~三十二年度)、続いて第二次五カ年計画(三十三年度~三十七年度)を立案し、電信・電話拡充計画,この五カ年計画の波に乗って浜松の電話増設・改式計画、電話局の新設等がようやく進められることになった。
浜松市史 五 ([ダイヤル即時化の進展])

それまでの両区間の市外電話取り扱いに際しての待ち時間は、名古屋でも特急で二十三分、至急で一時間三分、普通,【電話積滞解消】  電電公社は、地方都市および大都市周辺の電話積滞解消を目指したが、浜松市でも既述のような,急激な電話需要の増加のため、電話加入を申し込んだにもかかわらず待たされる状態が慢性化し、その解決が急がれた,特に住宅電話については深刻であった。,)、増楽電話交換局(局番四七局、二千百本)、同年五月、浜松局積志電話分室(局番三四局、収容可能設備三千五百本
浜松市史 四 ([利用者急増への応急策])

[利用者急増への応急策] 【交換機の切り替え 浜松電話局】  電話利用者の急増への対応策として、基本的,マルチプル・ジャック(回線を固定せず空いた回線を利用できるようにした交換機)への切り替えにより、市内電話,しかし、「浜松電話局への電話加入者は約四千、同局はさらに三千台を増加する余裕があるものの昨年一カ年間に,昭和二十七年四月十七日に浜松─磐田間でそれまでの待時通話方式から手動の準即時通話方式(交換手を呼び出し、相手先電話番号,これにより特急で七分、普通だと三十分もかかった両市間の市外電話回線が、混む時間帯でも待ち時間は一、二分
浜松市史 四 ([派出所の建設と新しい装備])

ところで、火災が発生した場合は電話による通報もあった。,昭和二十五年に浜松市消防本部などが出したお知らせには、火災が発生した場合は電話で「火事々々」と呼べば、,電話局は火災報知電話で消防署へつなぐことになっていて、消防署が出たら場所とそこへの目標を簡単にはっきり,でも深夜の場合は望楼による火災発見の方が電話による通報より多くなっていた。,同年十二月に市内中心部の電話がダイヤル式になると、一一九番による通報が多くなっていったが、電話の普及が
営業経歴 (〔中村工務所〕)

附隨スル一切ノ業務 事務所 東京市麴町區丸ノ內二丁目十番地 仲通十四號館十二號三階  設計部 電話長丸,ノ內(23)二七六一番           丸ノ內四〇七一番  工事部 電話長(35)四谷三五六五番
浜松市史 四 ([行政機関の復興])

市役所は浜松銀行集会所や中部配電の建物の一部を借り、郵便局は隣接の電話局に、裁判所は浜名郡小野口村の疎開先,このようななか、官公庁の電話は職務遂行上必須のものであり、復旧工事を急いだ結果、昭和二十年九月末日までに,浜松警察署、西遠地方事務所、浜松市役所、浜松駅、専売局浜松出張所、浜松勤労動員署、浜松測候所に電話が復旧,浜松電話局の調査によると昭和二十年八月に復旧した市内電話は三十、九月は四十四となっている。
浜松市史 四 ([浜松―東京間の手動即時通話])

[浜松―東京間の手動即時通話] 浜松電話局の自動化は実現したが、長距離電話の不便さは従来とあまり変わらなかった
浜松市史 三 (住居)

電灯や電話は便利ではあったが、電柱や電線をひくには費用を要したので、実際に電灯が浜松市内全域に普及するのは,明治の末期で、電話も官公署・学校・会社・病院などには設けられたが、個人では商店ぐらいのもので、まだまだ
中村與資平物語 ([奥付])

名建築家中村與資平物語 編集●浜松市東区役所    〒435-8686 浜松市東区流通元町20番3号    電話
浜松市史 五 ([電線の地中化])

国鉄東海道本線の高架化に伴う浜松駅周辺土地区画整理事業において駅北口広場を中心に約十三ヘクタールで電線、電話線,事業は浜松市、中部電力、NTT、県が共同して行うもので、中部電力とNTTが送電線と電話線をそれぞれ独自,CC(コミュニティ、コミュニケーンョン)ボックスと呼ばれる約三十~四十センチメートル四方の箱に電線、電話線
浜松市史 五 (規制緩和 民営化)

これにより、昭和六十年に日本電信電話公社は日本電信電話株式会社(NTT)へ、日本専売公社は日本たばこ産業株式会社
浜松市史 三 (浜松商工会議所)

その間、商工相談所を開設したり浜松電話交換局・浜松郵便局・国鉄浜松駅の増改築とか昇格、国鉄浜松南口駅の
浜松市史 五 ([悪質商法とその対策])

【悪質商法】  悪質商法とは法律の網の目をくぐって行われる詐欺まがいの悪質な商行為で、無店舗販売や電話,悪徳業者は郵便や電話で受講者を誘い、受講料を支払えば簡単な講習でいい加減な免状を与えた。
浜松市史 四 (緊急戦災復興対策懇談会)

当日決定した復興事業の具体的な内容は不明だが、これ以後の新聞などを見ると、戦災地の片付けや清掃、電灯・電話,理想)の建設、下水道の敷設、公園・緑地帯の設置、道路網の整備(屈曲及び丁字型道路の廃止など)、電灯線・電話線
浜松市史 三 (大正の商店街)

なお電話を所持する商店は総数百四十四戸の八十一%の百十七戸であった。  
浜松市史 三 (戦災と生活)

新聞をはじめラジオ・電話・郵便などが絶え、つんぼ桟敷(さじき)に置かれたも同様であった。
浜松市史 五 ([障害者の住みよい街づくり])

すると、横断歩道では、歩車道の間の十センチ近くの段差に輪を取られ、電話ボックスで電話をかけようとしたが
浜松市史 五 ([小児科医の趨勢])

また、子供の急病に対処する親に著しい傾向は、その性急さにあるが、早朝深夜を問わない電話による相談に対して
浜松市史 三 (防空監視隊)

一班を四十名とし五班より成り、一昼夜勤務で交代、情況は電話で中部軍司令部など各枢要方面へ報告するきまりであった
浜松市史 五 ([死亡事故の増加とその対策])

さらに平成十一年には、運転中の携帯電話の使用禁止、平成十二年四月には六歳未満の幼児に対するチャイルドシート
浜松市史 五 ([浜松中央警察署の移転と設備の近代化])

する)、静岡県西部(菊川・掛川・磐田・浜松東・浜松中央・細江・新居の各警察署管内全域)地区の一一〇番電話
浜松市史 五 (全日空機乗っ取り)

その間に事件は同基地から浜松中央警察署に緊急電話で知らされた。
浜松市史 五 ([不況と地域振興券])

振興券の使用条件として①有価証券、商品券、切手などの購入、②電話、電気、水道料金などの支払いには使用できないとした
浜松市史 五 (バブル)

このような株価の高騰は、日本電信電話公社の民営化に伴うNTT株の上場を契機に始まった。
浜松市史 三 (浜松郵便電信局 浜松郵便局)

この局舎は郵便電信電話の総合局舎として昭和二十年六月十八日の空襲で焼失するまで使用されていた。  
浜松市史 五 ([東海地震と防災対策])

昭和五十六年五月一日、県警本部と浜松中央警察署間にマイクロ波を利用した無線電話回線が開通した。
浜松市史 五 ([住民票と戸籍謄抄本などの模写電送])

)、東部公民館(相生町)、北部公民館(葵東一丁目)の三カ所のサービスコーナーに受信装置を設置し、専用電話回線
浜松市史 四 ([警察官への訓告])

への訓告] 昭和二十年八月十五日の玉音放送の後、午後四時三十分、静岡県警察部は県下各警察署に対し、電話
浜松市史 四 ([警察の防犯活動と防犯協会])

この連絡所は主として電話のある家や警ら立寄所に置かれており、連絡所に決められた家の主人が防犯連絡員となるのである
浜松市史 五 (目次)

とテレビ局の開局      二六七        電話の普及と即時通話化への対応        ダイヤル,即時化の進展        有線放送電話の普及と団地電話の開通        郵便番号導入と東郵便局,               六七一        郵便業務の増大と新局舎の建設        電話,一〇八七        郵便業務の合理化        郵便事業と規制緩和        固定電話,の減少と携帯電話の普及        多様なメディアの登場  第七節 社会   第一項 バブル崩壊
浜松市史 五 ([国鉄財政再建])

その結果、昭和六十年四月、日本電信電話公社と日本専売公社が民営化された。
浜松市史 五 ([猛威を振るった伊勢湾台風])

午後八時には市内全域が停電となったほか、通信、電話、交通も一時途絶した。
浜松市史 五 ([消防署の地震対策])

2は有線電話回線の断線が予測されるため、出動部隊の統制と現場状況の把握および今後予測される地震予知情報等
浜松市史 五 ([病棟内の薬剤師])

薬局窓口で薬剤師による説明が、医師の説明不足を補うものと期待されていることが、先の「くすり110番」の電話相談
浜松市史 五 ([救急業務の近代化])

後部開閉式で二つのベッドを備えるほか薬品戸棚、救命ブイ、救出用耐火服、無線電話、投光器、探照灯を装備したものだった
天竜市史 下巻 (天竜市史 下巻 目次)

郵便の発達 第二節 電信 八五二 電信のはじまり 二俣郵便局の電信業務 市域の電信の発達 第三節 電話,八五四 電話のはじまり 二俣電話所の開設 特設電話設置運動 市域の電話の普及    教育・文化編
浜松市史 五 ([外国人労働者の労働・労災問題と市民の支援活動])

相談の際の電話番号(六カ国語)を記したインフォメーションカードを浜松駅付近で配布し、それが新聞で報道されると
浜松市史 五 ([宿日直制度の廃止])

また、宿直時間中の緊急事務(文書・電話)はめったにないこと、火災・盗難などの事故も少ないことなどが分かったという
浜松市史 五 ([風俗事犯・売春事犯の検挙])

同三十五年頃まではステッキガール(電話一本で男性と同伴する女性、一般にはコールガールとも呼ばれた)の居
浜松市史 五 (主な参考文献)

都市計画決定のあゆみ』 静岡県 『JH浜松NEWS』 日本道路公団静岡建設局浜松工事事務所 『東海の電信電話,』 日本電信電話公社東海電気通信局 『浜松の電報と電話』 浜松電報電話局 『明日へ翔ぶ 静岡朝日テレビ
浜松市史 五 ([市民総合窓口センター])

本庁だけでなく、市内二十七カ所の市民サービスセンターをオンラインやテレビ電話で結び、従来の市民課業務だけでなく
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