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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 三 (女子青年団)

女子青年団 【処女会】女子青年の組織は、浜松の場合、大正十二年から十三年にかけて処女会(浜松市東校処女会,のち女子青年団と改称している。そして昭和に入ると小学校単位に増加していった。 / 女子青年団
浜松市史 三 (浜松市青年団総会)

浜松市青年団総会 昭和になるとようやく軍国化し、役員も団長は市助役、副団長に市の学務課長・市総代会副会長,【体育大会】毎年一回開催される連合青年団の体育大会は、トラック・フィールド・柔道・剣道・相撲に覇を争い,また昭和十二年十月十日の浜松市青年団総会は駅前広場において開催し、五社神社に皇軍の武運長久と聖寿万歳を / 浜松市青年団総会
浜松市史 三 (浜松青年同志会 青年会より青年団へ 浜松市連合青年団)

浜松青年同志会 青年会より青年団へ 浜松市連合青年団 浜松の青年運動も、上述と同じような経過をたどって,には馬込青年同志会(大字馬込の改良を目的として十七歳から四十歳までの男子を会員)が設立(大正四年馬込青年団,ついでこれらの市内各町の青年会の統一となって大正八年七月に浜松市青年団が結成された。,十二年十二月には規則を改正して浜松市連合青年団と称し部は廃した。 / 浜松青年同志会 青年会より青年団へ 浜松市連合青年団
浜松市史 四 ([青年団・青年会の運動の再出発])

[青年団・青年会の運動の再出発] 【浜松市援護会 在外父兄救恤学生同盟 市民生活擁護同盟 浜松市案内所, 浜松市連合青年会 農村演劇 都田村青年団 青年会 青年団 機関誌】  戦前、浜松地域の青年団・青年会,青年団の素人芝居は郊外の農村部では昭和二十年代の後半まで続いた。,活動が活発になると、多くの青年会・青年団は機関誌の発行に踏み切った。,東伊場町青年会は『まなび』、豊西村青年団は『大地』、長上村青年団は『萬年青』、都田村青年団は『青年団報 / [青年団・青年会の運動の再出発]
浜松市史 四 ([青年運動の展開と転機])

この青年学級の生徒は地元の青年団にも所属していたので、青年団と青年学級の活動が重複しつつも、役割を分担,『長上村青年団報』第1号が昭和二十七年に発刊され、そこには与進青年学園という青年学級での活動と青年団活動,  【演劇 長上村青年団 梨の会】  昭和二十年代前半、娯楽に乏しい農村部では青年団による,長上村青年団では梨の会という青年団員による演劇が昭和初期から続いていたが、一部の支部では参加しないところが,という考えであった(『長上村青年団報』№3)。
浜松市史 三 (若者組の復活 青年会運動 浜名郡青年同志会 浜名郡青年会)

三十四年、のち青年会)・市野青年会(三十四年)・小池青年会(三十五年)の発足となり、やや離れた吉野村青年団,浜名郡青年同志会が結成され、やがて政府の奨励・指導(明治三十八年十二月文部省通牒)もあって町村単位の青年団,さらに大正二年浜名郡青年団と発展した。,【青年雑誌の刊行】青年同志会の発刊した月刊の青年雑誌は青年団に受け継がれ浜名郡青年団雑誌部となり、青年
浜松市史 三 (統制会 在郷軍人会 大日本婦人会)

【青年団】その他の諸団体については帝国在郷軍人会は昭和十一年九月より軍の公的機関となり、大日本青少年団,は従来の大日本連合青年団(昭和十五年結成)を統合して十六年一月に結成され、大日本婦人会は十七年二月に、
浜松市史 五 ([青年婦人会館の開館と青年運動])

図3-48 浜松市青年婦人会館の利用者数の推移 【青年活動 青年団】  昭和五十三年に市内で青年,(男女)が活動していたサークルの数は、勤労青少年ホームに所属するものが十六、地域の青年団は三、青年学級,ここで紹介されていた青年団は庄内、湖東、入野地区であり、地域に根差した青年団の活動が低調になってきている,参加している人でも多くはスポーツや文化・芸術活動であり、青年団や青年学級への参加はそれぞれ三%と二%であった
浜松市史 三 (浜松市教育会)

青年団と女子青年団 浜松地方に青年運動が普及するのは明治四十年から四十三年にかけてであった。
浜松市史 三 (浜松町農会 浜名郡農会)

【青年団】なお、このころ各村に組織された青年団が農事改良と進歩に尽した功もみのがせない。
浜松市史 四 ([慰安演芸会や村祭り・年中行事の再開])

都田村青年団では二十二年に浜松から山田ヨシローとその楽団を招聘し、都田小学校で農繁休慰安会を盛大に催した,このように昭和二十年代、特にその前半は各地でレコードなどの鑑賞会や組合員や青年団の素人演劇が盛んであった,それぞれの地域の祭りも昭和二十一年ごろから町村の祭り組織や青年団などによって再開されていったようだ。
浜松市史 四 ([浜松市芸術祭])

まず、演劇部門について見ると、当時は市内における演劇活動が盛んで、新聞によると、演劇部門は、市内の青年団,青年団は出場数が多く、各地区ごとに予選を行った上で、十団体によりコンクールを行い(十一月二十日、誠心ホール
浜松市史 四 ([子ども会])

彼らの活動に婦人会や女子青年団、学校の教師も加わり、人形芝居、紙芝居、歌や幻灯、フォークダンスなどが活発,自治会長は戦前の二葉会の指導者で子どもたちのための文化活動をしていた飯尾哲爾、彼は町内の青年団、子供会
舞阪町史 中巻 (舞阪町史 中巻 目次)

祭祀組織 851 舞阪祭り 祭祀組織と年齢階梯の原理 伝統の維持と時代状況 第三節 やど(若者宿)と青年団,879 若者とやど(若者宿) 若者と青年団 やど(若者宿)の推移 第四節 イエとマチ 893 本家
浜松市史 四 ([講和成立後の婦人会])

浜松市婦人連盟理事で、浅間校区の婦人会初代会長の斉木ゑいは、真っ白い割ぽう着にもんぺのいでたちの女子青年団員二十名
浜松市史 四 ([見学者の急増])

見学者の半数は小学生で、婦人団体、青年団、中・高生がこれに続いた。
浜松市史 五 ([結婚式の簡素化と豪華化のせめぎあい])

【新生活運動 公民館 結婚式場】  高度経済成長に入っても、農村部では婦人会または農協婦人部や青年団
浜松市史 三 (町内会と隣組)

そして外郭団体の消防組(警防団)・壮年団・青年団・国防婦人会(昭和十二年結成)の役員があるのが普通であった
浜松市史 四 ([青年学級の開設])

昭和二十七年には都田青年学級は文部省の研究指定を受け、教科課程や青年団との関係などについてより良い方法,ろうしゅう)「を打破し、民主社会の建設に協力する、豊かな情操と教養を身に付けるなどで、教育委員会や中学校長、青年団,年間百二十時間の学習は夜間二割、昼間八割とし、六月と十一月の農繁期を避け、青年団の行事を考慮した日程を
ふる里ながかみ:わが町文化誌 (浜松市立長上公民館『ふる里ながかみ:わが町文化誌』 目次)

学校基本財産の造成 242 明治・大正・昭和の教育 243 戦後の教育と現在 244 第3節 青年団活動,の歩み 明治・大正にかけて 246 昭和に入って 246 戦後の青年団活動 247 鷹森裁縫女塾
浜松市史 五 ([市長と語る会])

この会は青年層に限定した会で、出席した若者は公民館運営委員会に青年団体の代表を入れてほしいなどと訴え、
浜松市史 四 ([素人劇団])

   こうした素人劇団による演劇活動は、青年団においても盛んで、村まつりの余興などで活躍した
浜松市史 五 ([新しいタウン誌の誕生と『浜松百撰』])

出席者は伊東政好(浜松青年団体協議会)、稲勝正弘(浜松ユネスコ協会)、斉藤和雄(谷島屋書店社長)、笹田康次
浜松市史 五 (平和運動)

「いかなる国の核実験にも反対する」という社会党・総評の考え方に全国地域婦人団体連絡協議会・日本青年団協議会
浜松市史 四 ([佐久間ダム見学と観光バス])

昭和三十年代前半から国鉄浜松工場、日本楽器、紡績や織物工場、航空自衛隊浜松基地などを見学する婦人会、青年団
浜松市史 四 ([地方議会議員選挙])

市の連合青年団は戦争放棄という世界に類例のない新憲法実施を記念し、神輿を担いで市内を練り歩き、五社神社
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

【消防組と火の見やぐら 第7分団 天神町】 132 【秋葉燈ろうの御利益】 134 【領家町の青年団,】 135 【青年団の活躍 向宿町】 136 【下町の病院 社会保険浜松病院】 137 【農家のおとむらい
三ヶ日町史 下巻 (三ヶ日町史 下巻 目次)

一、新しい教育 二四八 二、学校施設の充実 二五一 三、自彊学校と実科高等女学校 二五八 四、青年団
浜松市史 四 ([公民館の活動])

浜名郡中ノ町村では昭和二十二年以来、消防団・青年団・婦人会が公民館の建設を村当局に要望、ついに村民八百名
しいの森はぎの原:わが町文化誌 (浜松市立北部公民館『しいの森はぎの原:わが町文化誌』 目次)

92式超重爆】 205 お祭りのにぎわい 【泉町 和泉神社 乃木神社 山本金太郎 映画 浪花節 青年団,211 三方ケ原のくつわ淵 【花川 三方ケ原合戦】 212 浄水場のお花見 【住吉浄水場 青年団
引佐町史 下巻 (引佐町史 下巻 目次)

(三)米騒動と細民救済 497 1 米価暴騰 497 2 米廉売などの救済策 500 (四)青年団活動,)動員体制の強化 618 1 部落会・隣保班と常会 618 2 婦人会 623 3 青年教育と青年団,観音山少年自然の家とかわな野外活動センター 898 (二)社会教育の推進と生涯学習時代 899 1 青年団,のつきあい 1029 <香奠帳><葬儀の役割><日頃の付き合い> 第四節 若者と子供 1033 <青年団,ホッタゴ 食い始め 産毛剃り 初正月 初節句 初誕生 初参り・氏子入り 育児 七五三 子供の行事 青年団
浜松市史 四 ([健民運動と町を住みよくする運動])

つの運動は全市民相互の自覚と良識で強力に展開、実践しようと市、警察、保健所、市内の各自治会・婦人会・青年団
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌 (浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)

273 幼稚園 275 第三節 社会教育 277 婦人会・婦人学級 277 青年団
浜松市史 五 ([コンベンション都市へ])

平成元年九月にクリエート浜松や青年婦人会館などで全国から約百人の青年団体のリーダーを集めて日本都市青年会議
太陽と潮風五島遠州浜:わが町文化誌 (浜松市立五島公民館『太陽と潮風 五島遠州浜:わが町文化誌』 目次)

学園遠州浜幼稚園 243 二 社会教育 244 (一)青年学校のうつり変わり 244 (二)青年団
浜松市史 四 ([少年自治会と子ども会])

また、青年団の手で八幡町・中沢町・高林町などに少年会が出来た。
浜松市史 四 ([軍政部の指令と視察])

これらの検閲については昭和二十二年二月に各校の校長や青年団長に通知された。
浜松市史 四 ([アマチュア劇団])

日本が戦後の混乱から立ち直り、全国各地で青年団や労働組合による演劇活動が一斉に始まった時期である。
舞阪町史 下巻 (舞阪町史 下巻 目次)

第五節 社会教育 1160 昭和二十年以前の社会教育団体 昭和二十年以前の青年教育 新生舞阪町青年団
春野町史 通史編 下巻 (春野町史 通史編 下巻 目次)

周智農林高校犬居分校の発足と歩み 785 三 教育委員会の発足 797 四 青年学級 801 五 新制の青年団
浜松市史 五 (神前奉納)

神社には自治会や青年団、中老会の会員が集まり、神事と鏡開きの後、太鼓のたたき初めを行った。
都田風土記:わが町文化誌 (浜松市立都田公民館『都田風土記:わが町文化誌』 目次)

1)県立農業経営高等学校 198 (2)常葉学園浜松大学 199 五 社会教育 200 (1)青年団
(解説)中村與資平の建築 (中村與資平 作品年表)

中村邸増改築設計吉田●▲ 榎本邸設計川崎●▲ 昭和銀行恵比寿支店設計恵比寿●▲ 19S1560静岡県青年団佐野会館設計静岡
水窪町史 下 (水窪町史 下 目次)

四〇四 1 青年学級 四〇四 2 女子文化青年学級 四〇五 3 パイオニア大学 四〇六 4 青年団
浜松市史 四 (新生活運動)

新生活運動を本格化したが、静岡県では同三十一年五月に県婦人団体連絡会・静岡県郷土をよくする会・静岡県青年団連絡協議会
浜松が生んだ名建築家中村與資平展 ([中村與資平年表])

山根組 昭和銀行恵比寿支店設計 恵比寿 1940 S15 60 静岡県青年団佐野会館設計
浜松市史 四 ([現代総説(上)])

浜松の婦人会や青年団は、戦前の組織名を変えて再建され、このうち婦人会は冠婚葬祭の簡素化など、生活改善のための
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌 (浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)

373 十七 大工町 【職人町 若宮八幡宮】 375 十八 山下町 【終戦当時の思い出 青年団
浜松市史 四 (目次)

               三四二        農民運動の再生        様々な市民運動の展開        青年団
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