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浜松市史 一
(領家氏)
領家
氏
領家
氏 村櫛荘の
領家
の代官の子孫であろうか(『大沢文書』『中村文書』)。 /
領家
氏
浜松市史 一
(村櫛荘)
村櫛荘 【
領家
氏 村櫛氏 今川領 大沢氏】村櫛荘 玉子郷と
領家
方がある。
領家
という豪族もいた。,室町時代のはじめに村櫛荘本家年貢を押領したのは、和地・伊左地を吉良氏の代官、西郷分を肥田兵庫允、
領家
方半済分,一五〇四)八月、今川氏の食客伊勢宗瑞(いせそうずい)は、守護代の命令をうけて、玉子郷に対し、年貢などを
領家
氏,六月一日(年号不詳)守護今川氏親は、
領家
氏が部下になることを約したので、
領家
方と尾奈郷を給与した。,天文四年五月、氏輝は村櫛荘
領家
方と尾奈郷の棟別銭を免除し、警戒をきびしくさせる。
浜松市史 一
(村櫛荘)
【
領家
徳大寺家 本家東寺】
領家
職は南北朝時代になって、貴族の徳大寺家がもつことになった。,しかも京都東寺に納まる本家米(ほんけまい)は、地頭天竜寺から四十石、
領家
徳大寺家から二十石をそれぞれ納,そして明徳元年(一三九〇)八月には、山崎弾正左衛門清懐が「村櫛庄
領家
方本家米御代官職」になっている。,
領家
が納める本家年貢でも、はじめ二十石であったが、明徳元年には五貫文で請け負われている。
浜松市史 三
(天神町村)
天神町村 天神町村は町村制施行によって上中島・馬込・福地・塚越・名切・馬
領家
・向宿・佐藤一色の八か村,一部が合併して新設された大字)・上中島・向宿・馬込の一部(俗称木戸)・福地・塚越・佐藤一色・名切・馬
領家
,なお木戸町・相生町・名塚町・
領家
町は大正十四年五月の地籍整理のさいにできた町名である。
浜松市史 一
(神社政策)
平安すえになると、これら神社、したがってその荘園も神主から皇室などに寄進されて、ここを本家(ほんけ)・
領家
,天皇は、一の宮・二の宮などについて本家・
領家
という関係をたちきり、国家の守護神として完全な領地を与えようとした,これらの神社は、この政策で独立し、本家職(ほんけしき)とか
領家
職として、納めていた年貢が不要になった。
浜松市史 一
(都田御厨)
延文(えんぶん)二年(一三五七)五月、
領家
職は、洞院(とういん)実夏に与えられるが(『雨森善四郎氏文書,応安七年には、
領家
の洞院公定(とういんきんさだ)が収入銭の減少したのを歎いている。,
領家
洞院氏の代官は守護代甲斐三河守、その代官池島(応島であろう)は上方の地頭、下方の地頭で代官は堀江城,洞院公定が
領家
職を東寺に寄進したのであろうか。
浜松市史 一
(村櫛荘)
村櫛荘が、東寺に寄進されるまでは、後宇多上皇などの本家と陸奥守重時などの
領家
があった(『東寺百合文書』,【
領家
氏】のちになると小土豪
領家
氏がいる(『大沢文書』)。
領家
方の代官の子孫であろうか。
浜松市史 一
(荘園の成立 在地領主 荘園領主)
荘園の成立 在地領主 荘園領主 【本家
領家
預所】荘園は、農村の有力な土豪が安全をもとめて、有力な,寄付をうけた側が、本家(ほんけ)とか
領家
(りょうけ)という荘園領主(りょうしゅ)であり、預所(あずかつしょ
浜松市史 一
(大河内氏)
貞綱は浜松荘
領家
吉良氏の代官であり、引馬城に住み、遠江守護斯波義達とともに今川氏親に抗戦して遂に敗死した
浜松市史 一
(飯田荘)
【宇間郷】浜松荘は、前右大臣西園寺公衡が
領家
で、遠繁が請所(うけしょ)か、代官であろう。,宇間郷は後堀河天皇法華堂が
領家
である。そのすべては後宇多上皇が本家であり管領(かんれい)する。
浜松市史 三
(馬込川東岸地帯)
馬込川東岸地帯 そして遠州木綿の新しい時代への動きは浜松に近いこの東南部地域に属する馬込川東岸地帯(中島・
領家
浜松市史 一
(吉良氏)
本家の権威によりしだいに勢力をえて、浜松荘の
領家
職を知行するようになった。
浜松市史 一
(建武の半済令)
建武の半済令 【
領家
職 地頭職】足利尊氏は、建武三年(一三三六)九月、東寺(とうじ)(教王護国寺)領,くもん)(管理人)の作田(さくた)(真板)大弐房が味方したので御家人(ごけにん)とし、東寺のもっている
領家
職
浜松市史 ニ
(往還掃除役)
たとえば馬込村の往還は上中嶋村・野口村・西塚村・馬
領家
村で受け持つという具合であった。
浜松市史 一
(都市の行政)
引馬宿は、中世では浜松荘の
領家
の代官が支配し、南北朝になると吉良氏の手に移った。
浜松市史 ニ
(中村家々訓)
「決而家中へは金銀取引申間敷事」、これはこれに懲りた同家の家訓であった(「
領家
中村家資料」『雄踏町誌資料編二
浜松市史 一
(蒲御厨)
東大寺は応永二十五年(一四一八)に直接管理するため使者(代官)を派遣し、用水管理権を回収するなどして、
領家
,すでに
領家
(本家)の皇大神宮の収得分のことはわからない。 ,【引馬大河内氏領】やがて浜松荘
領家
吉良氏の代官で、引馬の領主大河内備中守の勢力が蒲御厨にも入ってくる。
浜松市史 三
(大字制度 新町名)
木戸町(きどちょう)(大字馬込のうちの通称木戸)・相生町(あいおいちょう)(大字向宿のうちの通称相生)・
領家
町,(りょうけまち)(大字馬
領家
の改称)・名塚町(なづかちょう)(元の大字名切・塚越の合併)などのように昔,向宿・天神町の各一部 一部を佐藤・天神町の各町へ編入 向宿町 むこうじゅくまち 〃 向宿 上中島・馬
領家
,の各一部 一部を木戸・相生・福地・天神・
領家
の各町へ編入 中島町 なかじまちょう 改称 上中島 一部,を木戸・相生・向宿・
領家
の各町へ編入
領家
町 りょうけまち 〃 馬
領家
上中島・向宿の各一部 一部を向宿町
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
敷智郡の内 和地・西大山・東大山・須木沢・佐浜・宇布見・西鴨江・片草・富塚・入野・伊場・東鴨江・若林
領家
,増楽・小沢渡・堤・新橋・法枝・田尻・明神野・浅田・白羽・中田嶋・福塚・寺脇・瓜内・三嶋・三嶋新屋・馬
領家
浜松市史 一
(製塩業)
【宇布見の塩浜 新浜】天正十一年(一五八三)分の宇布見(雄踏町)の「地頭
領家
御年貢納下勘定事」(「中村文書
佐久間町史 上巻
(佐久間町史 上巻 目次)
佐久間町の地形概観 三 第二節 佐久間町の地質概要 六 (1)中央構造線と赤石裂線 六 (2)内帯(
領家
帯,一六 (イ)火成岩源圧砕岩(ポーフィロイド様岩) 一六 (ロ)細粒緻密珪質岩 一七 第五節
領家
変成帯,(内帯) 一九 (1)
領家
変成帯の研究史 一九 (2)
領家
帯の岩石 二二 (イ)黒雲母ホルンフェルス,天野氏の発展 二七二 (4)地頭天野氏の在地支配 二七五 第二節 下地中分と争論 二七九 (1)
領家
方
浜松市史 一
(蒲御厨)
内宮が
領家
(本家)である(『神鳳鈔』)。 ,【将監名】当市の将監町にあたる地域は、内宮袮宜の知行した将監名という名田の跡で、
領家
の直営地(佃)であろう,蒲氏は
領家
の伊勢内宮がわの荘官の立場では蒲検校職であり、地頭としては、一部の地頭代職をもっていた。,
領家
伊勢内宮の納米三十石の土地がきまっていたとみえる。
浜松市史 ニ
(遠州灘海岸)
『遠江国風土記伝』は「米津 漁猟場」とあり「自向宿・福地・上中嶋・馬
領家
・三嶋・楊子・瓜内・寺脇・白羽
浜松市史 三
(蒲村)
のうち 馬込(北馬込) 天神町村 天神町 上中島 向宿 馬込(木戸) 福地 塚越 佐藤一色 名切 馬
領家
浜松市史 一
(実朝の死)
(一二一九)正月、鶴岡(つるがおか)八幡宮で右大臣になった式をおえて、社前の石段をくだってきたとき、
領家
浜松市史 一
(義政の政治)
この情勢の中で、三管
領家
のうち畠山・細川が交代で管領になっていた。
浜松市史 一
(蒲御厨の徳政一揆)
【大河内氏】引馬の領主大河内氏(浜松荘
領家
吉良氏の代官)は、吉良氏を通じ遠江守護代甲斐氏に張本人の処断
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
青屋村 橋羽村 小松方村 名切村 西之郷村 庄屋村 西大塚村 上飯田村 三郎五郎新田 新貝村 薬師村
領家
村,富屋敷村 蒲島村 権右衛門新田 福島村 古川村 江川村 八反畑村 6小区(敷知郡) 海老塚村 福地村 馬
領家
村
浜松市史 三
(報徳家)
【中村陸平】そのほかに⑨富田林太郎は都田村谷上、⑩杉浦勘三郎は
領家
、⑪中村陸平は天神町、⑫杉浦藤一郎は
浜松市史 三
(耕地整理)
④22万円 ⑤274人 ⑥3か年 2 浜松東部耕地整理組合 ①大正12.6 ②相生・佐藤・天神・中島・
領家
浜松市史 三
(町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)
と改称) 中沢 三方原村 三方原 中沢 天神町村 天神町 上中島 向宿 福地 馬込 佐藤一色 馬
領家
,鶴見 上飯田 安富 庄屋 青屋 福増 小松方 渡瀬 別久 次広 西ノ郷 新貝 下飯田 北長十郎新田
領家
浜松市史 ニ
(浜松地方の天領)
つる)見・同所新田・東大塚・新貝(しんかい)・同所新田・西堀・敷地(しきじ)・同所新田・江口・内明・
領家
浜松市史 ニ
(天保八年の飢饉)
十三年十二月二十日には大雪が降り(『中村詠草』)、十五年には馬
領家
村の農民がうんかの害のため三嶋陣屋へ
浜松市史 四
([新宗教への反応一斑])
社会の中でどのような作用と反作用をもたらしたのか、次に浜松市域の青年会に属する仲群の新宗教認識(浜松市
領家
町青年会文化部
浜松市史 ニ
(禅宗)
教興寺 鍛冶町 三嶋 浄土宗 西伝寺 白羽 渡瀬 弥十 馬
領家
浜松市史 一
(今川氏の遠江侵入)
【引馬 大河内氏】また引馬には浜松荘の
領家
吉良氏の代官大河内氏が住んでいる。
浜松市史 一
(岡部郷)
【地頭職】岡部郷は本家職が皇室領、
領家
職は賀茂社神主経久、地頭職は賀茂社の片岡社、さらにその代官があるという
浜松市史 ニ
(馬込川流域)
船越一色村地先の馬込川に葭や芦が繁茂し流れが渋滞したため川下の寺脇・瓜内・福塚・大柳・八反田・三嶋・馬
領家
浜松市史 五
([郊外での保育園の急増])
なかよし第2保育園 初生保育園 わかくさ保育園 富塚町 入野町 住吉一丁目 上島町
領家
町
浜松市史 ニ
(新田開発者間の競望)
がつぎのとおり六つの「屋敷割」を定めた、すなわち一番権七郎(若林村)、二番五右衛門(四本松村)、三番権兵衛(若
領家
村
浜松市史 三
(浜松地方報徳社)
浜名郡元城町 36 18年1月 半田社 浜名郡積志村 16 18年2月 下石田社 浜名郡天王村 25 〃 馬
領家
社
浜松市史 一
(中央構造線とフォッサマグナの交り)
中央構造線に接する内帯では、古生層中に花崗岩が深部において迸入したため、両者が複雑に混在する地帯をなし、
領家
変成岩
浜松市史 ニ
(助郷の一本化)
429 11 高林村 M 246 6 浜辺組 向宿村 K 259 6 上中嶋村 HB 193 5 馬
領家
村
浜松市史 五
(防犯の町づくり)
昭和六十三年度は管内六カ所目となる
領家
町を指定し、同町自治会と連携して、「交番だより」で地区指定の広報
輝くいなほはたの音:わが町文化誌
(浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)
まこと天竜の川原にのぞめば-改元紀行-】 12 【相生の松 相生町】 15 【栄秀寺の大イチョウ
領家
町,130 【消防組と火の見やぐら 第7分団 天神町】 132 【秋葉燈ろうの御利益】 134 【
領家
町
浜松市史 三
(学区制)
鶴見村 安富村 庄屋村 小野江善八 32番 604 新貝村 西大塚村 東大塚村 三郎五郎新田
領家
村,寺脇村 海老塚村 51番 705 上中島村 向宿村 52番 706 天神町 福塚村 馬
領家
村
浜松市史 ニ
(巡礼)
竜島院 48 大柳村 普泉寺 5 中条村 安楽寺 49 内野村 弥陀堂 6 小池村 紺屋門 50 馬
領家
浜松市史 三
(浜松市役所 機構)
219 板屋町 488 木戸町 263 相生町 370 佐藤町 679 天神町 263 中島町 685
領家
町
浜松市史 五
([都市型水害の予防と対策])
【木戸ポンプ場】 この調査によれば、江東地区の木戸・佐藤・中島・向宿・
領家
の各町を中心とした約百十
水窪町史 下
(水窪町史 下 目次)
(一)檀家制度 四六〇 (二)寺社堂宇書上 四六一 1 寺社庵地供養塚等書上 四六一 2
領家
村寺社堂書上,四六四 3
領家
村神社書上帳控 四六七 四 明治維新から昭和二十年まで 四七一 (一)神仏判然令
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