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浜松市史 一
(頭陀寺)
頭陀寺
神社の方は幸いに『延喜式』によって、かなりの数の古社を知ることができるが、寺院については文献,現浜松市の区域内の寺院で、平安時代にすでに存在した証跡のあるものはただ一つ、都盛の
頭陀寺
(いまは当市
頭陀寺
町 /
頭陀寺
浜松市史 一
(頭陀寺荘)
頭陀寺
荘
頭陀寺
荘(ずだじのしょう) 市内
頭陀寺
町にあたる。,
頭陀寺
は、京都仁和(にんな)寺観音院末寺(『松尾神社文書』)であった。,そのうちの遠江
頭陀寺
荘は、高野山金剛寿院領でもあった(『仁和寺文書』)。,
頭陀寺
荘は、河勾荘とか池田荘と隣接している。 /
頭陀寺
荘
浜松市史 一
(頭陀寺領川勾庄)
頭陀寺
領川勾庄 【牓示の争】去年、すなわち嘉応二年七月五日に宣旨が下り、それに基づいて国司の庁宣(ちょうせん,ところが三方までは標識を立てたが、西南の標識を立てようとしたところ、仁和寺観音院末寺の
頭陀寺
(ずだじ),ここに出て来る
頭陀寺
は現に市内
頭陀寺
町にあり、古く貞観五年(八六三)に定額(じょうがく)寺(すなわち官寺 /
頭陀寺
領川勾庄
浜松市史 一
(写経 頭陀寺十一面神咒経 仏画)
写経
頭陀寺
十一面神咒経 仏画 なお、平安時代にも写経は盛んに功徳の大きなものとして行なわれ、とくに,浜松市周辺では、湖西町鷲津の本興寺・吉美の妙立寺などに、紺紙金泥の法華経十巻の逸品が存するが、市内では例の
頭陀寺
,紺紙金泥十一面神咒心経 部分(
頭陀寺
旧蔵) 絹本着色普賢十羅刹女像(大福寺蔵) / 写経
頭陀寺
十一面神咒経 仏画
浜松市史 一
(頭陀寺薬師如来像 竜禅寺千手観音像)
頭陀寺
薬師如来像 竜禅寺千手観音像 この二点のほか、『静岡県史』第三巻には都盛(現
頭陀寺
町)の
頭陀寺
本堂 /
頭陀寺
薬師如来像 竜禅寺千手観音像
浜松市史 一
(松下氏)
松下氏 【
頭陀寺
城】松下氏
頭陀寺
城(当市
頭陀寺
町に松下氏屋敷跡がある)による松下氏。
浜松市史 一
(河勾荘)
かわわ)荘 京都松尾神社では、承安元年(一一七一)に社領の池田荘に境界の杭を打とうとしたところ、隣接地の
頭陀寺
領川勾荘,【本郷
頭陀寺
之土倉】『親元日記別録』には、文明八年(一四七六)四月、幕府の評定で、本郷(当市本郷町),の僧が「遠州河曲庄(かわわのしょう)
頭陀寺
之土倉」のことを訴えた裁決のことを書いている。,その平間には、
頭陀寺
の敷地料田があった(「
頭陀寺
文書」『県史料』五所収)。,・門前廻市場二百石」(『
頭陀寺
文書』)を保証している。
浜松市史 五
([戦後復興の終盤])
【
頭陀寺
鈴木幸治】 ・
頭陀寺
都市計画の区画整理(昭和四十五年)の結果、古刹、
頭陀寺
(高野山真言宗,・
頭陀寺
(ずだじ)町)の寺域は公道によって境内側と墓地側とに二分されてしまった。
浜松市史 一
(鋳物業)
【
頭陀寺
鰐口】文永五年(一二六八)十月に敬意は
頭陀寺
町の
頭陀寺
に鰐口を寄進した。,その銘文は「
頭陀寺
奉鋳金口一口大勧進僧敬意・文永五年辰戊十二月十五日寺家同心」とあり、『静岡県史料』には,(次頁写真)
頭陀寺
鰐口(浜松市立郷土博物館蔵) 【鴨江寺洪鐘】正応(しょうおう)三年(
浜松市史 ニ
(如璋)
頭陀寺
(ずだじ)(当市
頭陀寺
町)に葬られた(『駿遠書画名鑑』『浜松著名録』)。
浜松市史 一
(海上輸送)
海上輸送 【
頭陀寺
荘の年貢米】平安時代に官米は、海路で京都に運ばれた。,建仁三年(一二〇三)十月、高野山(こうやさん)(和歌山県)の金剛寿院の年貢米を遠江
頭陀寺
荘から、持明院
浜松市史 ニ
(引馬城主飯尾連竜の離反)
【
頭陀寺
城 氏真引馬城を攻撃】氏真はふたたび引馬坡を攻撃し、
頭陀寺
(ずだじ)城(当市
頭陀寺
町)は戦火にかかった,(『
頭陀寺
文書』『東漸寺文書』)。
浜松市史 一
(定額寺)
この定額寺は諸国にあっては大体一国一寺が標準であったようで、遠江ではこの
頭陀寺
のほかには所見なく、駿河,ではこの
頭陀寺
とほぼ同じころ、富士郡法照寺が定額寺と定められた。
浜松市史 一
(国家の法会)
頭陀寺
が定額寺に列せられた以後の二、三の例としては、貞観(じょうがん)十七年(八七五)・寛平(かんぴょう,
頭陀寺
においても、この命を受けて転読が行なわれたことであろう。
浜松市史 一
(官寺の没落 仁和寺末寺 木船廃寺址)
にあった遠江国分寺もその例に洩れず、この後ほとんど文献に姿をあらわすことなく、寺址を留めるに過ぎないが、
頭陀寺
,浜松市域内の平安時代の仏寺として知り得るのは、この
頭陀寺
一つに過ぎないけれども、それが一国一寺の定額寺,つもあったはずであって、和田町永田では現に白鳳期と思われる寺院址が発見され、礎石一個と古瓦多数が出土しているが、その地は
頭陀寺
浜松市史 一
(連歌と俳諧)
【紹巴と
頭陀寺
】里村紹巴(一五二七-一六〇二)は永禄十年(一五六七)十月、駿河からの帰途、引間の
頭陀寺
,そのころ十年近く在洛していた旧友の為雲は、嫡子で都築宗左衛門の弟
頭陀寺
千手院某のところに滞在しており、
浜松市史 一
(白山信仰)
白山信仰 【二諦坊 鴨江寺】大永五年(一五二五)八月に今川氏親は、当市内
頭陀寺
千手院に対し遠江国中での,白山先達職(せんだつしき)を保証し、市内元魚町に所在した二諦坊には、浜松荘のうち川西の分の先達とした(『
頭陀寺
文書
浜松市史 ニ
(巡礼)
第一番三ヶ日金剛寺にはじまり第二十八番が庄内竜泉寺、
頭陀寺
は第五十七番、第八十八番の大福寺(引佐郡三ヶ,正徳元年
頭陀寺
道しるべ(浜松市
頭陀寺
町) (表)新四国八十八か所札所 1 小池村 北堂 45,瑞松寺 12 本郷村 能光寺 56 小松村 上竜寺 13 中沢村 常楽寺 57 末嶋村 弥陀堂 14
頭陀寺
浜松市史 ニ
(湖西の守備)
飯尾連竜判物(浜松市向宿町 寿量院蔵) 今川氏真判物(浜松市
頭陀寺
町
頭陀寺
旧蔵)
浜松市史 ニ
(家康の進路)
軍隊は
頭陀寺
(ずだじ)(当市
頭陀寺
町)に到着した。
浜松市史 一
(熊野信仰)
頭陀寺
(大正時代)(浜松市
頭陀寺
町) 蒲神明宮(大正時代)(浜松市神立町) 鴨江寺
浜松市史 一
(浜松荘 入野木寺宮領)
【松下氏】市内
頭陀寺
町に松下氏屋敷跡(次頁写真参照)というのがある。このあたりが因幡郷であろうか。,室町・戦国時代要地図 松下氏屋敷跡(浜松市
頭陀寺
町)
浜松市史 ニ
(遠江国侍の来降)
遠江国侍の来降 鍋掛の松井氏・浜名の後藤氏(引佐郡三ケ日町日比沢・本坂)・
頭陀寺
の松下氏・匂坂氏(さぎさか
浜松市史 一
(中世編)
四〇八 鋳物師の作業場 歓喜天霊験記 部分(兵庫 武藤治太氏蔵) 四一五
頭陀寺
鰐口,浜松市中野町) 四三八 熊野神社 (浜名郡可美村) 四三八
頭陀寺
, (浜松市
頭陀寺
町) 四三八 鴨江寺 (浜松市鴨江町) ,東大寺蔵) 五四七 室町・戦国時代要地図 五四八‐五四九 松下氏屋敷跡(浜松市
頭陀寺
町
浜松市史 一
(遠江初期の地頭)
文献にみえるのは、蒲御厨(かばのみくりや)北条時政、雙(質(し))侶(どろ)荘板垣三郎兼信、浅羽荘・
頭陀寺
荘惣検校安田義定
浜松市史 一
(遠江の真言宗寺院)
遠江の真言宗寺院 【鴨江寺
頭陀寺
竜禅寺】奈良時代の創建と伝えられる秋葉(しゅうよう)寺(周智郡春野町
浜松市史 三
(小村の合併)
古人見村合併)・和合村(馬生・馬船・寸田ケ谷・富新屋・不遣村合併)・両追分村(西追分・東追分村合併)・都盛村(
頭陀寺
,富塚村 小薮村 富塚村 西追分村 東追分村 両追分村 長上郡 宮竹村 宮竹新屋村 宮竹村
頭陀寺
村
浜松市史 ニ
(主要寺院)
真言宗 鴨江寺(馬渕紫陽『鴨江寺蔵古文書解説』) 竜禅寺
頭陀寺
常楽寺 岩水寺 浄土宗 西伝寺
浜松市史 ニ
(禁制の下付)
若於違犯之輩者、忽可被処罪科者也、 天正十八年正月 日 ○(豊臣秀吉朱印) 」 (「
頭陀寺
文書
浜松市史 一
(義定の乱妨)
したり(『吾妻鏡』寿永元年五月十六日条)、同国小杉御厨を乱妨し(『吾妻鏡』文治元年十月十四日条)、同国
頭陀寺
荘惣検校
浜松市史 四
([諸寺の復興])
鴨江寺(鴨江町)・法林寺(成子町)・光雲寺(東伊場町)、同二十六年には陽報寺(入野町)、同二十九年には
頭陀寺
,(
頭陀寺
町)・常楽寺(中沢町)等が挙げられる。
浜松市史 五
(組合施行の土地区画整理事業)
、袖紫ヶ森、大蒲)は昭和三十年代から四十年代半ばにかけて、また、芳川地区でも四つの組合(本郷、安松、
頭陀寺
浜松市史 ニ
([弓術])
浜松地方では利町の諏訪社・鴨江寺・竜禅寺・
頭陀寺
・賀久留神社・蒲神明宮・末嶋の御嶽神社・笠井の若倭神社,普通は板に墨書したものが多く(第二図)、
頭陀寺
には浜松藩の家老が奉納した金色に輝く豪華なものもあった。, 1 若倭神社 1 1 大歳神社 4 3 7
頭陀寺
浜松市史 一
(私営田方式)
この後、寺領荘園については、長承のころ(一一三二ころ)に
頭陀寺
(ずだじ)領川勾(かわわ)庄があったことが
浜松市史 一
(古代編)
木造不動明王立像(引佐郡三ケ日町 摩訶耶寺蔵) 三五〇 紺紙金泥十一面神咒心経 部分(浜松市
頭陀寺
町,
頭陀寺
旧蔵) 三五一 絹本着色普賢十羅刹女像(引佐郡三ヶ日町 大福寺蔵) 三五二
浜松市史 ニ
(寺社領の村)
浜名郡湖西町新所 法泉寺) 村名 海老塚 将監名 神立 西塚 下池川 大蒲 八幡 東鴨江 竜禅寺
頭陀寺
,100 100
頭陀寺
浜松市史 三
(仏葬の復活 遠州大念仏)
また
頭陀寺
・西伝寺の再建、光雲寺・瑞生寺・南能庵(明治十八年大聖寺となる)が法地に昇格している。
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
飯尾連竜判物 (浜松市向宿町 寿量院蔵) 八 今川氏真判物 (浜松市
頭陀寺
町,
頭陀寺
旧蔵) 八 飯尾連竜墓(浜松市成子町 東漸寺) 九 徳川家康起請文,地蔵院蔵) 四五五 鴨 江 寺(浜松市鴨江) 四六一 正徳元年
頭陀寺
道,しるべ(浜松市
頭陀寺
町) 四六五 秋 葉 神 社(浜松市三組町)
浜松市史 ニ
(藩の武芸者)
【峠一虎】また権左衛門の養子峠一虎(天明六年
頭陀寺
村に生まれる)も、方集流剣術をよくし、その武技は権左衛門以上
浜松市史 ニ
(禅宗)
#160; 西伝寺 白羽 渡瀬 弥十 馬領家 笠井 成子坂町 本魚町 真言宗
頭陀寺
浜松市史 ニ
(浜松領の成立期)
宮竹・植松・永田・原嶋・笹瀬・喜多嶋・薬師・橋羽・竜光・長鶴・青屋・次広・下・渡瀬・別久・名切・塚越・
頭陀寺
浜松市史 ニ
(旅行記に現われた宿の繁昌)
又
頭陀寺
の薬師に行く道あり。
浜松市史 ニ
(流行の仏たち)
薬師如来
頭陀寺
・早出の薬師堂。また笹ヶ瀬村の隕石は玉薬師としてまつられていた。
浜松市史 三
(廃寺と合併 上知令)
天台・真宗・臨済・時宗・浄土宗といわれ、浜松付近でも真言宗の鴨江寺・龍禅寺・常楽寺はまだよかったが、
頭陀寺
浜松市史 ニ
(助郷の一本化)
本郷惣名 1519 上瀬村 343 (3石減) 有新村 8.57 本郷村 421 松木嶋村 92
頭陀寺
村
浜松市史 ニ
(海防案)
その候補地は中平松村、岡村と西平松村の村境、西村または向金折村、石原村または
頭陀寺
(ずだじ)村、福嶋村
浜松市史 一
(実暁記)
白菅 浜名橋あと 今切の渡り 引間 天竜川 見付の里 掛川の里 日坂 小夜の長山 菊川 金谷 大井川
頭陀寺
浜松市史 ニ
(浜松地方の寺社領)
【百石以上】しかし百石以上の朱印高を持つのは寺院では
頭陀寺
・鴨江寺・竜禅寺の真言宗の古刹と、神社では蒲神明宮
水と光と緑のデルタ:わが町文化誌
(浜松市立南陽公民館『水と光と緑のデルタ:わが町文化誌』 目次)
河輪地区寺院 五寺 210 第三節 特色ある神社と寺 211 津毛利神社 211
頭陀寺
浜松市史 ニ
(検地の実施)
#160; 5 4 3 10 皆畑の村 寛文7 福嶋村 7 6 7 6 5 9 新田 〃
頭陀寺
村
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