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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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井伊家伝記 上
(井伊直平が飯尾豊前守妻に毒殺される 翻刻)
井伊直平が
飯尾豊前守
妻に毒殺される 翻刻 (井伊家伝記 上 画像23 右側七行目) 井伊直平公最後之事并八城山出陣之事,遠州八城山城主天野左衛門尉氏真ニ不随候 直平ニ可相攻旨被申候故不遁請負被申候間出陣之支度 被成候所ニ直平公之家老
飯尾豊前守
妻天野左衛門,遠州国領蔵中瀬迄参候所ニ直平公有玉 旗屋之宿にて惣身すくミ落馬毒死被成候惣人数引 馬江引退候所に
飯尾豊前守
一味同心之輩 / 井伊直平が
飯尾豊前守
妻に毒殺される 翻刻
浜松市史 ニ
(日蓮宗)
東漸寺(成子坂町)天文十二年
飯尾豊前守
が鷲津本興寺より日礼を招いて建立。
浜松市史 ニ
(起源)
江戸時代に書かれたという酒井真邑の『浜松城記』(大正十五年発行『浜松市史』)によると、永禄年間引馬城主
飯尾豊前守
浜松市史 ニ
(本陣)
その先祖助右衛門が十王町(のちの伝馬町)の名主で、天文二十二年(一五五三)引馬城主
飯尾豊前守
の命をうけて
浜松市史 三
(浜松総社の決定 凧揚げ由来の普及)
浜松の凧揚げは「
飯尾豊前守
殿御居城 義広(豊前守殿長子)殿誕生の時佐橋甚五郎(入野の者)凧の大なるものに
浜松市史 ニ
(家臣団の配置)
ちなみに引馬城主
飯尾豊前守
の重臣江馬加賀守の屋敷は江馬殿小路(当市連尺町と肴町を通ずる小路、沼殿小路ともいったという
浜松市史 ニ
(引馬城の築城)
飯尾豊前守
被居候引間城モ、今ノ古城ナルヘシ」とあるように、古城とは引馬城の跡をさしていったのだろう。
浜松市史 ニ
(魚と肴町)
これによると、 「遠江国浜松之城主永禄年中始之頃ハ
飯尾豊前守
様と奉申候所、其節ハ浜松町も家居不定
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
徳川家康 三方ケ原合戦 大久保忠世 岡部政定】 195 ○ 椿姫観音(元浜町) 196 【引馬城
飯尾豊前守
乗龍
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