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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌 (浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)

馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌 / 目次 『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』  浜松市曳馬公民館 1989年,河岸段丘 谷 かんがい用の池 一ツ池 四ツ池 樋池 低湿地】 2 【沖積平野 有玉伝説 坂上田村麻呂 馬込川,早出健康農園】 24 二 工 業 ・エ業のはじまりと立地条件 【日本形染 遠州鉄道 貨物輸送 馬込川,山五のたび 【助信町 袴田五平 袴田織物 浜松信愛女学校 浜松信行社】 29 ・染色工業 【馬込川,の思い出 【八幡瀬橋 テンモク】 120 いたずら坊主のさかな釣り 【タニシ 馬込川】 121 / 浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次
浜松市史 三 (馬込川大水)

馬込川大水 昭和六年九月満州事変が始まると「非常時」という言葉が流行した。,翌七年九月十四日には豪雨のため馬込川が氾濫し諏訪橋は流失して浸水家屋六千戸に達し、十年九月四日には馬込川 / 馬込川大水
浜松市史 三 (馬込川出水)

馬込川出水 昭和七年九月十四日 馬込川が氾濫し諏訪橋が流失、浸水地域は船越・野口・浅田・寺島・砂山・ / 馬込川出水
浜松市史 ニ (馬込川流域)

馬込川流域 【船越一色村】馬込川水域では、安永六年(一七七七)に上之郷・西在所・西塚の各村の田が「水腐悪水,村々は謝礼を出すことを条件に船越一色村から水を引いているし、享和三年(一八〇三)には船越一色村地先の馬込川,また文政四年(一八二一)浜松藩では普請役をおき松嶋・西嶋・福嶋・江之嶋の四か村に夫役(ぶやく)を命じ馬込川,【彦助堤】これはかって「小天竜川」(馬込川)から水をひくために設けられていた早出村の井堰を「彦助堤御普請有之,【市野村】馬込川の支流でもしばしば水論があった。 / 馬込川流域
浜松市史 ニ (馬込川の禁猟)

馬込川の禁猟 ちなみに馬込川では殺生禁断であった。,馬込川の名称はその川にかかる馬込橋から生じたといわれ(「享保十四年七月馬込村庄屋口上覚」)、禁制が定まったのは / 馬込川の禁猟
浜松市史 三 (馬込川新川出水)

馬込川新川出水 【四十四年】四十四年八月は、四日の正午ごろ新川・馬込川の両川が氾濫し、「下町」方面は,このように馬込川・新川の出水は、東海道の神明坂下まで浸水するのを常とし、そのたびごとに町民を悩ませたが,ことに昭和十二年の改修で馬込川は川幅も拡がり水害もなくなった。  ,/s (明治38.9.28) 降水量 344mm (明治43.9.9)   (表)明治期における馬込川,全潰 32戸 半潰 19戸 大破 70戸 小破 160戸 43.8.7~10 日降水量 344mm 馬込川 / 馬込川新川出水
浜松市史 三 (馬込川東岸地帯)

馬込川東岸地帯 そして遠州木綿の新しい時代への動きは浜松に近いこの東南部地域に属する馬込川東岸地帯( / 馬込川東岸地帯
浜松市史 一 (天竜川と馬込川)

天竜川と馬込川 天竜川と馬込川は、ともに大きな河川である。    ,【河道の変遷】天竜川は、もといまの馬込川(奈良時代の「あらたま川」、平安時代は広瀬河、山科言継(やましなときつぐ,馬込川(浜松市松江町付近) 安間川(浜松市安間町付近)  【東に移る】いまの馬込川・安間川 / 天竜川と馬込川
浜松市史 ニ (馬込川の出水)

馬込川の出水 馬込川もまたしばしば出水している。 / 馬込川の出水
浜松市史 三 (馬込川新川出水)

馬込川新川出水 【四十三年】四十三年八月には四日間(七日~一〇日)で浜松の降水量六百四十三ミリメートル,に達し、馬込川・新川が氾濫し、いわゆる「下町(したまち)」方面全域(馬込・新・板屋・田・下垂・常盤・元目 / 馬込川新川出水
浜松市史 三 ([馬込川・新川の氾濫])

[馬込川・新川の氾濫] 西遠地方はしばしば台風が通過し被害がおきているが、なかでも天竜川の堤防の決壊,による損害はいつも甚大であり、市内ではしばしば新川・馬込川の氾濫があり、被害を出した。 / [馬込川・新川の氾濫]
浜松市史 三 (新川馬込川出水)

新川馬込川出水 昭和十年九月四日 降雨量二百四十七ミリ、浸水地域は砂山・寺島・龍禅寺・北寺島・海老塚 / 新川馬込川出水
浜松市史 五 (公害問題)

(1)メッキ工場からの廃液の流出   昭和三十五年十月二十四日、浜名郡浜北町小松地内の馬込川上流から,【馬込川の汚濁】 (4)馬込川の水質汚濁  浜松地方には多くの染色工場が存在し、そこから工場排水が,流され馬込川を中心に着色汚染や水質汚濁が起きた。,市の中央を流れる馬込川は、その沿岸の各種工場の排水や都市下水などによって汚染され、水質の汚濁が社会問題,馬込川の大浜橋付近ではCOD(化学的酸素要求量)値が十~七十PPMに達し、DO(溶存酸素)値は四・五~
浜松市史 五 ([各種公害規制の強化])

[各種公害規制の強化] 【公害対策審議会 馬込川】  昭和四十七年五月三十一日に施行された悪臭防止法,これを受けて浜松市公害対策審議会は同年十一月七日に悪臭防止法の規制基準と地域指定、馬込川水域の環境基準類型指定,一方、馬込川の水質基準は、利水状況や水質などを勘案して馬込川に架かる茄子橋より上流の類型基準はC基準(
浜松市史 三 ([浜松木綿商人の台頭])

それより顕著なことは、今述べてきたような馬込川東岸地帯の工場組織化による綿工業勃興の動きに応じ、これに,隣接する馬込川西岸の浜松宿において木綿商人の活動がようやく盛んになってきたことであった。
浜松市史 三 (耕地整理 浜名郡耕地整理組合)

【馬込川 安間川】そして翌四十五年より馬込川河口設備工事・安間川逆水門工事より着手することになったが、
浜松市史 三 (中ノ町線)

そして馬込川に鉄橋がかかり四十三年には次頁の表のように板屋町と馬込の両駅間も結ばれ、これによって鹿島線,中ノ町線試乗の案内状 中ノ町線馬込川鉄橋
浜松市史 四 ([永久橋の建設])

馬込川に架かる川田橋が鉄筋コンクリートの橋に変わったのは昭和三十年、続いて同じ馬込川に瓜内橋がコンクリート,中田島砂丘に通じる中田島橋は川幅の広い馬込川に架かるため、江之島橋と並んで百メートルを超える長い橋であった
浜松市史 三 (浜松の二大工業地帯 東部工業地帯 南部工業地帯)

東部工業地帯 南部工業地帯 ここで、今までみてきたところを総合してみると、明治末期から大正へかけて①馬込川,捺染業(日本形染株式会社)・鉄工業が勃興し、ここにいわゆる浜松東部工業地帯の形成をみることができ、②また馬込川西岸
浜松市史 ニ (小天竜と彦助堤)

【小天竜の西川と東川 馬込川 安間川】前図のごとく当時の小天竜は途中でさらに東西に分かれているが、これについては,西川が馬込川筋で東川が安間川筋であって、西川の土橋(馬込橋)が板橋に改築されたのは承応二年(一六五三)
浜松市史 ニ (新源太夫堀)

このとき五か村の悪水の原因となる馬込川の浚渫も行なわれたが、水野藩は馬込川と天竜川とを新源太夫堀によって
浜松市史 三 (浜名用排水組合 金原治山治水財団 金原用排水組合)

浜名用排水組合 金原治山治水財団 金原用排水組合 県営馬込川改修工事は昭和十年着工され、ついで県営浜名用排水幹線改良事業,治山治水のための造林と浜名平野の灌漑排水事業の促進とに改め、後者の目的を達成するために浜名用排水事業及び馬込川改修事業,これに基づいて浜名用排水の地元負担金の全額(五四万円)と馬込川改修の地元負担金の全額(九万円)は財団がこれを
浜松市史 三 (織機工場)

織機工場 終りに織機製造工場の分布をみると、馬込川東岸地帯に工場が密集し、鉄製織機製作のため鉄工業が
浜松市史 ニ (五嶋新田と源太夫堀)

により家臣小笠原源太夫基長に命じてこれを奉行させたので、村民がこれを徳として名づけたもので、その規模は馬込川,【新源太夫堀】しかしこの地方は馬込川と芳川の川口に接し流砂のため埋没するにいたったので、文政年間に新しい
浜松市史 ニ (放生会)

神輿は十四日馬込川に渡御し、放生会(ほうじょうえ)が行なわれる。
浜松市史 五 ([市の鳥・ツバメ])

制定委員たちは野鳥の宝庫といわれる佐鳴湖岸や馬込川の河口を視察、検討の結果平成三年三月十六日に市の鳥は,理由は①馬込川河口が全国有数のツバメのねぐらになっている、②姿、形が美しく市民に親しまれている、③えんび
浜松市史 ニ (奈川新田)

奈川新田 【川沿新田】奈川新田 浜松肴町御用達川上三郎兵衛が馬込川左岸(当市中島町)に開発した新田で
浜松市史 三 (三川排水改善期成同盟会 浜名用排水幹線改良事業)

では、農家経済不況の折柄、政府が「産業振興土木事業」の趣旨にもとずく河川(全国三九河川)改修計画の中に馬込川,豊富低廉な電力を供給され諸工業の躍進を見るべく、③さらに分水された天竜の浄水により汚水の停滞になやむ馬込川
浜松市史 三 (遠州織物時代)

【二大工業地帯】織物工業を先導工業として馬込川東岸の浜松東部工業・駅南に浜松南部工業の両地帯が勃興し、
浜松市史 三 (染色業者分布)

染色業者数八十九、そのうち馬込二十・船越十一・菅原十・田六・板屋五・佐藤一色四・天神町三・常盤三で、馬込川東岸地帯
浜松市史 三 (塵芥処理 塵芥焼却場問題)

【馬込川汚染問題 清掃問題】焼却場問題は昭和初期の本格的公害反対運動の始まりともいえる側面をもっていたが,、その他にも硫化染料使用増加による「染工の硫化に馬込川下流民騒ぎ出す―二十余戸の染色工場」(大正十五年六月二十六日
浜松市史 三 (白脇村)

浜松の発展により明治三十七年十二月十四日に馬込川の北部の大字浜松寺島(地積三五町歩、現在の寺島町)・浜松八幡地
浜松市史 三 (硫化染料の導入)

浜名郡天神町村馬込に設立)に研究を委嘱、その結果四十年十二月に西遠染色株式会社(社長安間与平治)を水洗の便のよい馬込川岸
浜松市史 三 (販売業)

【問屋街の形成】そしてこれも東部および南部工業地帯に近接する馬込川西岸の田町・板屋町に集中し、ここに問屋街
浜松市史 三 (菜種・ヘチマ・莞・葉煙草)

莞(ふとい)は馬込川流域の白脇地区に多く産する。
浜松市史 三 (専業化原因 織布業者の専業化)

専業化原因 織布業者の専業化 明治の初年に浜松東部の馬込川流域(天神町村が中心)に、家庭的な工場組織
浜松市史 三 (織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他)

織物関係 一般工業機械材料 特殊工業品生産品 日用品 運輸倉庫業 金融機関 その他 【馬込川流域】A,東伊場町)・大洋染色株式会社(四十四年、佐藤町)・本多織布合名会社(四十四年、菅原町)の七社があり、馬込川沿岸地域
浜松市史 五 (下水道)

この事業は昭和三十四年度から十カ年計画で始まり、区域は東は馬込川、西は名残町を起点に姫街道沿いの亀山町,この区域の南東部は特に排水の悪い低地帯であったため、馬込川や新川へ放水するポンプ場を二つ建設した。
浜松市史 三 (塵芥焼却場)

市会議長と南部地区選出市会議員の奔走により七月になって馬込川東岸の白脇村瓜内地先を予定地とするということになって,止むを得ず浅田町変電所付近を候補地に選ぶと、ここからも反対運動がおこり、市としても最初の方針の駅南部馬込川下流地域
浜松市史 四 ([掘り込み式の浜松港])

そのため、浜名港をはじめ、天竜川河口(掛塚港)、馬込川河口などにおける本格的な築港の可能性について様々
浜松市史 一 (自然環境編)

第四章 自然災害   第一節 風水害                  五五        天竜川と馬込川
浜松市史 ニ (水神)

水神 水神社 稲作地帯のいたるところにあったが、とりわけ天竜川をはじめ馬込川(まごめがわ)・芳川(ほうがわ
浜松市史 五 ([天竜川西縁水防組合の解散と浜松市水防団の誕生])

笠井・中ノ町・飯田・芳川・河輪の各分団は地区内の天竜川およびその支流、五島分団は地区内の天竜川・芳川・馬込川,とその支流および海岸、白脇分団は地区内の馬込川・芳川とその支流および海岸、都田分団は都田川とその支流がそれぞれの
浜松市史 五 ([東地区土地区画整理事業])

東第二土地区画整理事業は東側の部分で、東端は馬込川となる。,広大な野口公園のほか、馬込川公園は四季の花が楽しめるところとなった。
浜松市史 五 ([高度経済成長期の予算])

市民会館の建設 コンポストの建設 中小企業への金融措置 町を住みよくする会補助 新川の浄化・馬込川,の改修 馬込川河口の整備 土地改良事業の推進 PTA負担の軽減 児童会館の建設 川や悪水路の
浜松市史 五 ([都市型水害の予防と対策])

その原因は、地区内の東部・茄子などの排水路の幅が狭小なことと、その放流先の馬込川の水位が上昇した時、排水路,そこで、木戸にポンプ場をつくり、東部・茄子排水路の水を途中でカットしてポンプで馬込川に強制排水することにした
浜松市史 一 (自然環境編)

浜松市中郡町)         四八 浜松城跡からみた遠州灘上空の雲堤           四九 馬込川
浜松市史 一 ([自然環境])

したがって、遺跡からみると、西へ向かって低湿地がのびていて、そこへは古天竜川(いまの馬込川)の水がしばしば
浜松市史 三 (日本形染会社)

になる形付機(片面式中型糊付機)を使用し形染布を製造する目的で設立された会社であったが、水の便をはかって馬込川
浜松市史 ニ (式内社)

のような古い神社は長い年月のあいだに、祭神や社名にも変化があり、とくに天竜川水系(天竜川・安間川・芳川・馬込川
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