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浜松市史 三
(高塚駅)
高塚
駅 【信号所】浜松と舞坂の両駅の間隔は六・五マイルもあったので、明治四十四年以後
高塚
に信号所が設,しかし今度はその位置について両村の対立となり、ようやく昭和四年七月一日に
高塚
信号所を駅に昇格することに /
高塚
駅
浜松市史 三
(高塚信号所)
高塚
信号所 浜松とつぎの駅の舞坂駅との間は、その距離も十・五キロメートルと長く列車の操作にも不便であったところから,、
高塚
(浜名郡可美村)へ信号所が設けられたのは明治四十四年四月であった。,これが地元の要望によって
高塚
駅となったのは昭和四年七月一日であった。 /
高塚
信号所
浜松市史 ニ
(高塚川の川論)
高塚
川の川論 川論については、元禄四年(一六九一)十一月に起こった
高塚
村と小沢渡・新橋・増楽・若林の,四か村との
高塚
川をめぐる川論は水産資源争奪の問題として興味がふかい。,
高塚
村の言分は、
高塚
川は従前から同村の支配するところで川年貢も納めているというのに対し、四か村側の言分,は、この川は古くから田地境を川境に用い、小沢渡・新橋の両村は
高塚
村と川の中央をもって限り漁猟を一同で行,これに反して
高塚
村は川運上の証文を所持している。 /
高塚
川の川論
浜松市史 ニ
(高塚地蔵院)
高塚
地蔵院 白隠は駿東郡原の臨済宗松蔭寺の住職。,七十四歳の宝暦八年(一七五八)に高弟遂翁・東嶺・悟庵をしたがえ、桑名からの帰途
高塚
村(浜名郡可美村)の /
高塚
地蔵院
浜松市史 ニ
(高塚四娘孝記)
高塚
四娘孝記 この上巻の巻尾には『
高塚
四娘孝記』と題した一文がついているが、これにはつぎのような話が /
高塚
四娘孝記
浜松市史 四
([郊外に営業所を開設])
昭和三十三年九月には、浜名郡可美村村長、同村
高塚
にある鈴木自動車工業、遠州織機両社社長の連名で、「随時交通,村民及東西の来訪者に不便を与へ、当村の発展を阻害」(『新編史料編五』 六交通 史料60)しているとして、
高塚
駅及
浜松市史 ニ
(東明守誓)
東明守誓 東明守哲は
高塚
村高蔵寺の啓岩や奥山蔵書院の竜水に学び、奥山方広寺北西の富幕山や秋葉山に禅を
浜松市史 ニ
(白隠の影響)
白隠著八重葎(浜名郡可美村
高塚
地蔵院蔵)
浜松市史 四
([浜松─豊橋間の電車運転])
表3-25 天竜川・浜松・
高塚
・舞阪各駅の乗車人員数の推移 単位(人) 年度 天竜川駅 ,浜松駅
高塚
駅 舞阪駅 25年 876,889 7,321,531 1,062,398 844,499
浜松市史 三
(佐鳴湖)
また
高塚
の蓮池(はすいけ)も漁場であった(『入野村誌』)。
浜松市史 ニ
(浜名湖畔)
川猟場として都田川・佐鳴池(佐鳴湖)・
高塚
川(前述)などがあった。
浜松市史 四
([賠償指定工場の指定とその解除])
なお、静岡県から鈴木式織機
高塚
工場長への通知は次のようなものであった(『新編史料編五』 五産業史料41,昭和廿一年八月廿六日 静岡県 経済部長 ○印 静岡県 警察部長 ○印 (社) 鈴木式織機株式会長
高塚
工場長殿
浜松市史 一
(砂堤列)
高塚
の蓮池(浜名郡可美村)
美しかる可き里:わが町文化誌
(浜松市立可美公民館『美しかる可き里:わが町文化誌』 目次)
のすがた 2 (一)東若林町 2 (二)若林町 8 (三)増楽町 14 (四)
高塚
町,(五)植物 77 (六)町名・小字の由来 81 第三章 豊かな産業 一
高塚
駅
浜松市史 三
(太藺莚 蓮根 注連作 花売)
特異なものに、十軒新田・中田島・福塚・白羽の太藺(ふとい)栽培による太藺莚(むしろ)(前述、第三項)、
高塚
浜松市史 一
(自然環境編)
) 二六 三方原の林と原野(浜松市三方原町) 二六
高塚
浜松市史 五
([高架線の開通])
十月十五日午前十時から六時間二十分にわたって天竜川・
高塚
間の東海道本線を全面ストップして、在来線から高架線,この間、東海道線は天竜川駅と
高塚
駅で折り返し運転となり、両駅間はバス連絡された。
浜松市史 三
(小学区 小学校数)
浜松 5 2 早出 2 3 下堀 7 4 安間 6 5 富屋敷 3 6 龍禅寺 1 7 新橋 2 8
高塚
浜松市史 三
(浜松まつり 中田島砂丘 町ぐるみの祭典)
祭典ということで女児も加わるようになりいよいよ華やかに、それにつぎつぎ建造される屋台(大工頭梁に伊場の
高塚
房太郎
浜松市史 三
(七月の空襲 艦砲射撃)
三方原飛行基地を、二十四日は早朝から艦載機約七十機が、高射砲隊(天竜川右岸中ノ町方面に布陣)の弾幕を通りぬけて
高塚
駅
浜松市史 ニ
(旗本領)
寛永二年十二月十一日付の朱印状により服部権太夫(政信)は敷智(ふち)郡のうちで四千石(山崎・小人見・
高塚
浜松市史 ニ
(浜松の主要交通路)
道法九里三拾四丁 【横須賀道】一浜松より横須賀町まで、中泉より入参候道筋にて七里七丁 【藩の境】一浜松より
高塚
村御知行境江壱里拾三丁五十壱間七尺,なお浜松領の西境
高塚
村から東境安間村までは二里三十丁余となっているのも注目しなければならない。
浜松市史 三
(学校工場 勤労令 授業停止)
浜松西 浜松二中 5 陸軍航空分廠 〃三方原町 死亡7 5.4 鈴木織機KK 浜名郡可美村
高塚
,10(内挺身隊2), 東洋木工にて職員2死亡 60 昭20.3卒(4年制)挺身隊 浜名郡可美村
高塚
浜松市史 四
([浜松駅移転構想と新駅舎])
新駅舎の落成】 応急的なバラック駅舎の改築が急がれはしたが、この問題は長年にわたって懸案となっていた
高塚
駅及
浜松市史 三
(浜松学校)
105 龍禅寺学校 龍禅寺村 寺院 男 1 男 281 6円余 40円 近藤政敏 3 女 0 女 70
高塚
学校,
高塚
村 寺院 男 2 男 311 2円余 40円 竹山又一郎 3 女 0 女 37 舞坂学校 舞坂村
浜松市史 ニ
(柳也と月並句会)
近郷の船越・金洗・篠原・
高塚
・宇布見・掛塚とつづき、中泉・横須賀(磐田郡)・上州館林(第六章第六節参照
浜松市史 五
([国鉄財政再建])
この結果、舞阪駅は昭和四十九年、浜松駅は五十一年、
高塚
駅は五十八年、天竜川駅は五十七年(専用線発着を除
浜松市史 三
(二月の空襲 三月の空襲)
【浜松基地】つづく十六日、十七日には艦載小型機の編隊が八十機、浜松の飛行基地・鈴木織機
高塚
工場等を襲撃
浜松市史 五
([西浜松駅の誕生])
また、天竜川駅、
高塚
駅、舞阪駅など周辺各駅の貨物の取扱いはその後西浜松駅に集約されることになった。
浜松市史 ニ
(巡礼)
青観寺 78 内野村 良泉寺 35 有新村 大日堂 79 中野町 観音堂 36 天神町 大雄庵 80
高塚
村
浜松市史 五
([放置自転車への対応])
昭和六十二年七月、浜名郡可美村の
高塚
駅前には百台ぐらいの自転車やオートバイが放置され、住民の苦情が絶えなかった
浜松市史 五
([経年老朽化寺院の再建])
平成九年二月十九日付と同十年十二月一日付記事では、高蔵寺(臨済宗方広寺派・
高塚
町)は昭和十九年の地震で
浜松市史 五
(各種学校)
松城町 ○高橋文化服装学院 北田町 企業内 一般教養 ○遠州製作技能学校 可美村
高塚
,東伊場二丁目 ○白百合洋裁学院 助信町 錦松学園 宮竹町 ○浜松高等技芸学校 可美村
高塚
浜松市史 四
(舞阪地方連絡事務所)
この第一回の講習期間中には浜名湖食品会社や舞阪駅・鉄道保線区部員五十名(
高塚
駅~新所原駅)を対象とした
浜松市史 四
(病院・診療所の再開)
また、同二十年十月十七日付では東田町佐藤病院前院長の佐藤一雄が鈴木式織機工場内の
高塚
診療所として開業したことをいう
潮かおる浜の里:わが町文化誌
(浜松市立新津公民館『潮かおる浜の里:わが町文化誌』 目次)
)秋葉燈籠 282 (二)その他の石造仏 283 二 土地のいわれ 284 (一)
高塚
池
浜松市史 三
(敷知長上浜名郡役所 郡域変更)
向宿村 三島村 中田島村 田尻村 上中島村 楊子村 瓜内村 寺脇村 7小区(敷知郡) 東若林村
高塚
村
浜松市史 四
([空襲被害者の治療])
誠心高等女学校(松城町)では昭和十九年十二月七日に発生した東南海地震の時、学徒動員先の鈴木式織機株式会社
高塚
工場
浜松市史 三
(目次)
浜松駅の開業 浜松停車場周辺の発展 天竜川停車場と
高塚
信号所,の発達 第一項 浜松駅 四八八 南口駅と
高塚
駅
浜松市史 三
(機関庫 列車運転回数)
仮駅として開設、5月1日より11月30日まで、大正5年9月1日より常設 新居 大正4.1.10
高塚
浜松市史 四
([神武景気と雇用、集団就職])
中卒者には「明るい就職の春」と言われたが、東洋紡浜松、遠鉄、日清紡浜松、大東紡
高塚
、富士紡鷲津などといった
浜松市史 四
([国家地方警察浜名地区警察署])
村櫛村、和地村、吉野村、伊佐見村、 篠原村馬郡、神久呂村田原(神田原カ)、入野村、 可美村、可美村
高塚
浜松市史 三
(町制施行 敷知郡浜松町 大字制度)
大久保 神ヶ谷 大久保 伊佐見村 古人見 大人見 伊左地 佐浜 伊左地 入野村 入野 西鴨江
高塚
浜松市史 四
([配給・買い出し・家庭菜園])
彼らは東海道本線の
高塚
駅を根城に付近の農村から農作物を買い出していたが、後には地元の悪質ブローカーを手先
浜松市史 四
([競馬場の設置と反対運動])
その後
高塚
駅南の小沢渡町、上島町の市営グランド周辺などが候補地として浮上した。
浜松市史 三
(遠州灘海岸平野 天竜川平野 三方原台地)
鈴木織機会社
高塚
工場へ出動中の誠心高等女学校の生徒三名もこのとき圧死している。
浜松市史 三
(学区制)
62番 557 伊場村 63番 680 東若林村 若林村 64番 854 増楽村
高塚
村
浜松市史 四
([町村合併])
しかし、可美村側では
高塚
・増楽・若林・東若林の四地区がそれぞれ大会を開き、両明神野の浜松市編入に賛成する
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
浜松市天神町 大雄寺) 四五三 白隠著八重葎 (浜名郡可美村
高塚
浜松市史 ニ
(交錯する諸領)
天 664 旗A 232 寺 38 橋本 385 天 358 寺 27
高塚
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