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浜松市史 五
(遠鉄高架化事業)
遠鉄
高架化
事業 遠鉄
高架化
事業は、遠州助信駅から新設される新浜松駅までの二・六四キロメートルを高架橋,同事業は、東海道線
高架化
、浜松駅周辺整備事業と一体のものとして計画され、東海道線
高架化
が完成する昭和五十四年秋,【
高架化
工事完成 高架開通記念式典】 昭和六十年十一月、新浜松駅舎が完成、そして同月二十五日には、,当初予定より二年遅れ、着工から五年の歳月をかけて
高架化
工事が完成した。,東海道線の
高架化
、遠鉄
高架化
の完成により、鉄道線による浜松市街地の分断が解消した。 / 遠鉄
高架化
事業
浜松市史 五
([遠鉄高架化の進展])
[遠鉄
高架化
の進展] 【遠鉄
高架化
事業】 平成元年に助信駅から馬込川付近までの三・二キロメートル,(最終的に三・三キロメートル)にわたる第二期鉄道
高架化
事業(連続立体交差事業)が計画され、浜松市は同年,同
高架化
事業によって、助信、曳馬、上島の三駅が高架駅となり、二十一カ所の踏切が除去され、都市計画道路三路線,平成七年度予算案に助信町─有玉南町の
高架化
が新規事業として認められ、静岡県が事業主体となって第二期
高架化
事業,この間、上島駅周辺の
高架化
に伴う区画整理事業計画に対して、一部周辺住民の反対はあったが、平成十七年二月二日 / [遠鉄
高架化
の進展]
浜松市史 五
(遠州鉄道高架化事業)
遠州鉄道
高架化
事業 東海道線の
高架化
工事が進む中、遠州鉄道
高架化
事業連絡協議会が昭和五十二年十一月に,栗原市政下の昭和五十五年七月五日、浜松駅前整備と遠鉄
高架化
問題についての市政懇談会が開かれた。,これらの意見を調整し、
高架化
された国鉄浜松駅への乗り入れはやめて、現在の新浜松駅を起点とし、昭和五十五年十二月十一日,から
高架化
工事に着手した。,
高架化
の完成で新浜松駅―西鹿島駅間の所要時間はこれまでの四十分から三十六分に短縮された。 / 遠州鉄道
高架化
事業
浜松市史 五
(東海道線高架化事業)
東海道線
高架化
事業 東海道線の
高架化
工事はオイルショックによる事業の遅れはあったものの工事は進んだ。,この
高架化
工事で最大の難所となっていた成子町から森田町に至る浜松こ線橋の取り壊しが昭和五十三年一月十五日,総工費約二百五十七億円(国庫補助約百五十四億円、県約三十八億円、市三十八億円、国鉄約二十七億円)を投じた
高架化
事業 / 東海道線
高架化
事業
浜松市史 五
([東海道線高架化促進運動])
[東海道線
高架化
促進運動] 【
高架化
促進期成同盟会】 国鉄新幹線浜松駅設置期成同盟会は所期の目的,関係者らは、同日改めて、新幹線通過に伴う①現線の
高架化
、②客貨分離、③市街地整備の実現を期して、東海道線
高架化
促進期成同盟会,昭和三十八年十月には、市議会にも国鉄現線
高架化
促進特別委員会が設置され、運動が強化された。 ,しかし
高架化
は、浜松駅の客貨分離、浜松駅の同新幹線駅北側への移転、相生─森田間の
高架化
と三段構えになっており,同大会では
高架化
促進のための全市民の署名運動を展開しようという動議が採択された。 / [東海道線
高架化
促進運動]
浜松市史 五
(東海道本線高架化事業)
東海道本線
高架化
事業 【伊場遺跡】 昭和四十七年二月八日に市民の宿願であった東海道本線
高架化
事業,が、同年二月十日には
高架化
に伴う浜松駅周辺整備事業が決定した。,計画によれば、
高架化
工事は昭和五十三年三月までに完了し、同年四月から高架線による運転を開始する予定であった,、建設省、地元関係者約五百人が参加して、
高架化
事業の起工祝賀式が挙行された。,【
高架化
工事】 昭和五十一年に入って
高架化
工事はようやく進展し始めた。 / 東海道本線
高架化
事業
浜松市史 五
([東海道本線の高架化事業])
[東海道本線の
高架化
事業] 【
高架化
東海道線
高架化
促進期成同盟会 西浜松駅】 浜松の市街地は東海道本線,こうしたことから、鉄道の
高架化
による南北地域の交通阻害の除去は市民の願いでもあった。,昭和三十七年三月七日、国鉄新幹線浜松駅設置期成同盟会は目的達成のために解散、同日新たに東海道本線の
高架化
,、客貨分離、市街地整備の実現を期して東海道線
高架化
促進期成同盟会を結成、署名活動や関係機関への陳情などを,この運動の結果、昭和四十年の暮れまでに国鉄は浜松市の
高架化
事業を実施するという基本決定を行うに至った。 / [東海道本線の
高架化
事業]
浜松市史 五
([合理化・近代化と高架化計画])
[合理化・近代化と
高架化
計画] 【貨物営業の廃止】 国鉄貨物駅の西浜松駅の建設が具体化すると、二俣電車線,この間、国鉄
高架化
事業と同時に県の都市計画事業の一環として二俣電車線の新浜松─遠州助信間の
高架化
が計画 / [合理化・近代化と
高架化
計画]
浜松市史 五
([西浜松駅の誕生])
[西浜松駅の誕生] 【新貨物駅】 こうした市を挙げた運動の結果、昭和四十二年四月から
高架化
事業の,
高架化
は浜松駅周辺の都市改造と不可分であったため、市では昭和四十二年、同事業の影響範囲にある地域について,昭和四十五年度からの
高架化
事業の着手に向けて前年の七月には、高架推進課を企画調整部から都市計画部へ移動,また、市議会の国鉄現線
高架化
促進特別委員会は、昭和四十四年五月十五日にその名称を都市再開発
高架化
促進特別委員会,一方、昭和四十四年六月、県と市が協議した結果、東海道線の
高架化
事業は、県を事業主体とする都市計画事業として
浜松市史 五
([北線案実現に向けた交渉])
【
高架化
と客貨分離】 この三者会談の結果、国鉄側は、
高架化
の方針を打ち出すとともに、それまでの南北両線,新幹線特別委員会、全員協議会、そして本会議を開いて新幹線の市街地コース・高架案の早期決定と合わせて現東海道線の
高架化
浜松市史 四
([浜松駅移転構想と新駅舎])
となっていた高塚駅及び天竜川駅に向かって大きく曲線を描く路線の直線化と、それに伴う駅舎の南への移転・
高架化
,そして、計画を主に浜松駅の改築のみに限定して、浜松駅移転とそれに伴う路線変更・
高架化
を中止し、従来の路線,と駅前バスターミナル なお、昭和二十五年には、浜松市は都市計画事業と併行して浜松駅の移転及び
高架化
浜松市史 五
([高架線の開通])
【
高架化
完成記念式典】 開通式を前に午後二時から浜松市体育館で東海道本線浜松駅付近
高架化
完成記念式典,五期二十年にわたって
高架化
事業を推進した平山前市長は来賓としての挨拶で「きょうを迎えることができたのは
浜松市史 五
(市議会)
昭和三十八年 常任委員会 総務企業 文教厚生 産業経済 建設消防 特別委員会 国鉄現線
高架化
促進,常任委員会 総務交通 厚生水道 産業経済 建設 文教消防 特別委員会 都市再開発
高架化
促進,国鉄現線
高架化
事業で、国鉄は京都・静岡とともに浜松も実施計画に乗せていたが、鉄道利用債の地元消化対策が
浜松市史 五
([十分・十一分・十二分ダイヤと新型車両の導入])
また、後述する
高架化
工事中の昭和五十八年四月には、十二分ヘッドダイヤ、基本的には四十分運転にスピードアップ
浜松市史 五
([国鉄による最終案の提示])
それは、南北両線案は白紙に戻し、それに代わる案として現東海道線の
高架化
を考慮して最終コースを検討するというものであった,また、同案には現東海道線の
高架化
計画も織り込まれ、移転家屋数も三百戸前後と比較的少ない数に止められた。
浜松市史 五
([浜松駅前の複合高層施設の建設計画])
[浜松駅前の複合高層施設の建設計画] 【駅周辺整備計画】 東海道線の
高架化
が決まった後の昭和四十四年三月
浜松市史 四
([浜松の交通問題])
昭和三十一年十一月に拡幅されるものの渋滞は依然として解消せず、東海道本線の南北交通問題の解決は、東海道本線の
高架化
浜松市史 五
([鉄道線のスピードアップ])
[鉄道線のスピードアップ] 【スピードアップ】 昭和六十年に新浜松駅─助信駅間の
高架化
が実現すると
浜松市史 五
(駅前再開発)
駅前再開発 東海道線の
高架化
に伴って浜松駅周辺の再開発と大型店の進出計画が打ち出された。
浜松市史 五
([市の通過コース提案])
同時に、北線案の実現と駅および市街地の一部の
高架化
を国鉄側に強く要求することを決定した。
浜松市史 五
([中心商業地の商業診断])
[中心商業地の商業診断] 【商業診断】 浜松は東海道本線の
高架化
に伴う浜松駅周辺整備事業によって
浜松市史 五
(鉄道線)
この間、
高架化
事業や浜松駅周辺整備事業が進行する中、鉄道部門の近代化や業務の合理化が進められた。
浜松市史 五
([新幹線の開業])
新幹線浜松駅の設置に始まって、北線実現と
高架化
実現に向けて運動を重ねて来た浜松市民の喜びもひとしおであった
浜松市史 五
(駅前整備)
その後、東海道本線の
高架化
事業の決定により、新たに浜松駅周辺土地区画整理事業が実施されることになり、昭和四十六年
浜松市史 五
(目次)
の誕生 マンションの建設 駅前整備計画 東海道本線の
高架化
事業,進展 新幹線の試運転と浜松駅の落成 新幹線の開業 三 東海道線
高架化
,の運動と西浜松駅の誕生 二二八 東海道線
高架化
促進運動 西浜松駅,の完工 遠州鉄道線の
高架化
事業の完工 浜松駅周辺の整備 , 六三五
高架化
工事の開始 高架線の開通
浜松市史 五
(北口駅前広場)
浜松駅付近の
高架化
工事完成から約三年、北口広場の主要部分であるバスターミナルは昭和五十七年十一月一日に
浜松市史 五
([不発弾の処理])
このすぐ後の同年十一月十四日には国鉄浜松駅構内の
高架化
工事現場からまたも不発弾が見つかり、戦時中に米軍
浜松市史 五
([電線の地中化])
浜松市では国鉄東海道本線の
高架化
に伴う浜松駅周辺土地区画整理事業において駅北口広場を中心に約十三ヘクタール
浜松市史 五
([交通安全施設の整備])
ゾーンシステムは、昭和六十年十二月の遠鉄
高架化
完成(既述)に合わせて導入され、その後も段階的に内容の充実
浜松市史 五
([戦災と市民の木])
地下横断歩道工事のためにすぐ近くの新川公園(現浜松郵便局の西側)に移され、次いで昭和五十六年、今度は遠鉄
高架化
工事
浜松市史 四
([『伊場遺跡』の刊行])
この内、第二次(昭和四十三年)以降第七次(同四十八年・四十九年)までは、国鉄浜松駅
高架化
事業と深くかかわっており
浜松市史 五
([総合開発計画の策定])
【第二次浜松市総合計画基本構想】 その後、浜松市を取り巻く情勢は広域市町村圏の設定、東海道線の
高架化
事業
浜松市史 五
([浜松市博物館の開館])
國學院大學の調査隊によって発掘調査が行われ、昭和二十九年に静岡県指定史跡とされたが、東海道線
高架化
事業
浜松市史 五
([現代総説(下)])
合併促進、さらに公害と基地対策を推進するとともに、市街化・同調整区域の設定、駅前整備計画、東海道本線の
高架化
事業等,発足した年度に東海道本線の
高架化
が完工し、同六十一年度からは第三次浜松市総合計画がスタート、「産業と文化,なお、新幹線開通を機に東海道本線
高架化
事業の実施が決定され、その一環として貨物駅である西浜松駅が生まれた,こうしたなか、浜松市民の念願であった国道一号線のバイパスや東海道本線の
高架化
の完成が、当初計画よりも遅
浜松市史 五
(アクトシティ浜松)
日本生命・住友生命グループ案 第一生命グループ案 超高層都市研究株式会社案 展望回廊】 東海道本線の
高架化
工事
浜松市史 五
(大型店の進出)
その理由は、①地元の企業であるため商調協を通るに当たって有利であること、②遠鉄の
高架化
に伴って建設される
汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌
(浜松市立南部公民館『汽笛・ステンショ・まちこうば:わが町文化誌』 目次)
40 (八)新幹線時代 (思い出④) 【噴水プール 新幹線浜松駅】 41 (九)東海道線
高架化
学びの里祈りの丘:わが町文化誌
(浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)
140 【長島街道】 143 【市街地環状線】 144 (五)鉄道 【東海道本線の開通
高架化
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
東海道 番所 浜松まつり 凧じるし】 395 二十九 松江町 【八幡宮大祭の放生会 東海道本線の
高架化
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