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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 ([高柳記念館の誕生])

[高柳記念館の誕生] 【高柳記念館】  浜松市の施設ではないが、市と関係の深い名誉市民の一人髙栁健次郎,昭和三十四年十二月一日)に際して、市長や市議会・商工会議所・NHKとラジオ静岡関係者の間で、テレビの先駆者髙栁健次郎顕彰,なお、静岡大学では、髙栁が浜松高等工業学校(静大工学部の前身)で、大正十五年に世界初のブラウン管による,受像に成功してから、平成十八年に八十周年を迎えるのを記念する事業を計画し、その中心事業として高柳記念館,の改築が行われ、平成十九年十一月、同館は静岡大学高柳記念未来技術創造館となった。 / [高柳記念館の誕生]
浜松市史 三 (高柳健次郎のテレビ研究)

高柳健次郎のテレビ研究 また同校はテレビジョンの研究をはじめた高柳健次郎(浜名郡和田村安間新田生、東京高等工業学校教員養成所卒 / 高柳健次郎のテレビ研究
浜松市史 三 (後任市長問題 七代市長 第七回 市議選)

【高柳覚太郎】しかし再出馬を要請された中村陸平は立たず、宮本甚七(前商工会議所会頭)・長延連(浜松中学第三回卒,、元兵庫県知事)も固辞して受けず、結局政友倶楽部の支持する高柳覚太郎と、昭和会と清交会の推薦する鈴木幸作,(貴族院議員)の決戦投票となり、その結果十六票対十四票で高柳覚太郎が昭和八年三月十九日七代目の市長と決定,しかし市会は翌九年五月高柳市長の不信任案を議決、高柳市長もこれに対抗して県参事会にこれの取消を求め八月末,高柳覚太郎(浜名郡北庄内村生、浜松元城町住、弁護士、衆議院議員当選四回、昭和十二年没、七十一歳)は犬養毅
浜松市史 一 ([発見と調査])

によってあけられたいくつかの炸裂孔の周囲に、土器破片が散乱するのを、中学生が見つけて、当時浜松市立西部中学校に教鞭をとっていた高柳智氏,その土器が弥生式土器であることを認めて、高柳氏はその出身であった国学院大学の考古学資料室へ報告した。,【試掘】高柳氏は、伊場遺跡の内容を明らかにするための手はじめとして、昭和二十四年四月十六日・十七日の二日
浜松市史 三 (非政友会派内紛)

となり、市会には非政友会派時代が到来と世評が高かったのに、こんどは同派内の憲政会首領井上剛一と革新派首領高柳覚太郎,との意見があわず、大正十五年二月の通常市会における沢田議長辞職問題を契機として、高柳覚太郎は同志とともに
浜松市史 四 (電子機械工業)

電子機械工業 【高栁健次郎 堀内平八郎 浜松テレビ 安藤電気 富士電気化学】  産業都市浜松の今後,同校の高栁健次郎がブラウン管によるテレビ受像器を開発したことはあまりにも有名な話である。  ,高栁健次郎の門下生であった堀内平八郎は、昭和二十三年に東海電子研究所を海老塚町に設立し、グローランプや
浜松市史 三 (政友会派と反政友会派との抗争 政友会の勝利)

【高柳覚太郎 井上剛一】なかでも同派の田中五郎七(浜松田町、嘉永五年十一月生、町会議員、昭和三年七月没,、七十七歳)らは、反政友会系の高柳覚太郎・井上剛一とひそかに欵を通じ機を伺ううちに突発したのが明治四十年,この決議に賛成するものに井上剛一・高柳覚太郎をはじめ磯部勝次(菅原、明治十年四月生、昭和二十一年五月没
浜松市史 三 (町民大会)

された反対の「国民大会」には、浜松からも西遠同志会の代表として井上剛一が出席したが、地元でも沢田寧・高柳覚太郎,、沢田寧「涙を揮って国民に訴ふ」小竹禄之助「屈辱内閣打破すべし」佐藤章次「第一に国民新聞の首を刎よ」高柳覚太郎
浜松市史 三 (永久印)

永久印 【高柳信蔵】それには同業者が団結して製品検査を励行し、信用保持に努めることがもっとも肝要であり,、そのためには同業者が協同して同一商標を使用し海外貿易業者との直接取引するに外なし、と考えていた高柳信蔵
浜松市史 四 (伊場遺跡)

伊場遺跡 【高柳智】  伊場遺跡が、一世紀後半から二世紀代の弥生時代集落の在り方を伝える遺跡として,その土器片が、当時の西部中学校の高柳智教諭のもとにもたらされ、さらに國學院大學考古学資料室に届けられて
浜松市史 五 ([名誉市民の制度])

【髙栁健次郎】 ・髙栁健次郎=昭和六十二年七月一日推挙。
浜松市史 三 (真宗謝恩会)

『東西本願寺御歴代記全』(編集和地 中村作太郎・堀江 高柳和三郎)は明治四十三年七月同会によって発刊され
浜松市史 三 (市会)

もっとも井上剛一・高柳覚太郎といった市会の長老たちの間には渡辺市長と政策協定を結びその留任を認めるという
浜松市史 ニ (家康の浜松移城)

には倉橋宗三郎とあり、『寛政重修諸家譜』は木原吉次が惣奉行だったともいい、小川家次とも伝えられている(高柳光寿
浜松市史 五 ([静岡大学工学部の発展])

【静岡大学工学部附置電子工学研究所 高柳記念館】  静岡大学工学部附属電子工学研究施設は戦前の建物で,その他、広大な工学部の構内には髙栁健次郎の功績をたたえ、関連する機械・機器を展示する高柳記念館が昭和三十六年十月
浜松市史 ニ (火の神)

火の神 火の神 【秋葉信仰】火伏の神とし犬居秋葉山が信仰された (高柳光寿「秋葉山神仏分離事件調書」
浜松市史 三 (第二回)

非政友会派の領袖である高柳覚太郎(国民党)は入選したが井上剛一(同志会)は落選した。
浜松市史 五 ([村越一哲の劇作活動])

【浜松放送劇団】 図2-64 「高柳健次郎伝」の台本  まず、昭和三十~四十年代を見る。,平成二年、村越の作・演出による高柳健次郎伝「無線遠視法事始め」が上演され、翌年には続高柳健次郎伝「幻の
浜松市史 四 ([『伊場遺跡』の刊行])

    【伊場遺跡 高柳智 樋口淸之 國學院大學伊場遺跡調査隊 伊場遺跡保存会,発掘は、発見者である西部中学校の高柳智教諭の努力により、國學院大學考古学資料室主任樋口淸之教授を隊長とする,この報告書の第一章「調査経過とその成果」(高柳智執筆)によれば、調査は試掘と第一期(昭和二十四年五月一日
浜松市史 ニ (犀ケ崖の夜戦)

はこれを夜襲させたが、それほどの効果はなかったと思われる(三方原の戦については『大日本史料』第十編之十一・高柳光寿
浜松市史 ニ (式内社)

天竜川水系(天竜川・安間川・芳川・馬込川・新川)の氾濫による遷座右あって、所在も不明となったためであろう(高柳光寿
浜松市史 三 (営業税問題)

大正三年二月八日で、座長には中村藤吉が推され国民党出身の代議士高柳覚太郎が廃税演説をなし、翌日は井上剛一
浜松市史 三 (博覧会の成功 市民の協力 元浜町発展)

よりの観覧者もきらず、経済不況の際にもかかわらず期間中の入場者延数は六十八万人を数え収益も十五万円(高柳市政時代
浜松市史 三 (総選挙)

、日清紡績会社々長で木俣千代八・佐藤章次らが支持したが新人のため落選)・県忍(あがたしのぶ)(中立、高柳覚太郎
浜松市史 三 (町政研究会)

【国民党】なお町政研究会の委員の中には国民党の党員の井上剛一・高柳覚太郎の名が見えており、この事件は同派
浜松市史 三 (調停の動き)

また普済寺住職柴田得雲・光雲寺住職や高柳覚太郎らは、仏教積善会・中村四郎兵衛・倉元要一代議士に仲裁を依頼
浜松市史 ニ (大沢氏降伏)

高柳光寿『三方原之戦』)。
浜松市史 三 (力織機の普及)

20円 豊田式 木製 45  池谷式 木製 30  池谷式 甲鉄製 85  池谷式 丙鉄製 65  高柳式
浜松市史 三 (永久社創立)

の支援を得て同業者に呼びかけ、十二年八月、産業組合法による有限責任輸出織物販売利用組合永久社(理事長高柳信蔵
浜松市史 三 (市会選挙 第一回 師範学校敷地問題)

この選挙で、中立の色彩の濃かった田中五郎七らが非政友会派に廻り高柳覚太郎(国民党)・井上剛一らと手を組
浜松市史 三 (後任市長紛争 六代市長)

推薦して譲らず、また別に中村陸平(明治七年八月生、天神町住、酒造業、昭和十一年六月没、六十三歳)とか高柳覚太郎
浜松市史 三 (第六回 昭和最初の市議選)

長い間市政に顔馴じみであった井上剛一(民政会)・高柳覚太郎(政友会系木堂会)の落選は「浜松の大なる損失
浜松市史 三 (人力より動力へ 力織機製造業の勃興)

力織機製造業の勃興 また、今村幸太郎(浜松菅原)・水野久平(浜名郡北浜村寺島、大正六年没、七十歳)・高柳遠市
浜松市史 五 (光産業)

光産業 【浜松テレビ 光電子増倍管】  浜松の光産業のルーツは、テレビの生みの親、髙栁健次郎の愛弟子
浜松市史 三 ([市政を荷なった人々])

[市政を荷なった人々] 大正から昭和へかけて市政を荷なった重な人々には、高柳覚太郎(当選五回)・井上剛一
浜松市史 三 (政党分野)

中村陸平・倉元要一・大野木代次郎など)、憲政会派九名(井上剛一・津倉亀作・岩崎豊など)、中正会派八名(高柳覚太郎
浜松市史 四 ([新制高校の発展])

見出しが各所に見られ、昭和二十五年の「市内高校水泳界展望」の記事では、「西高の独壇場」として「倉橋・高柳
浜松市史 四 (『浜松文化新聞』)

するもので、土器の破片を見つけた中学生の報告をきっかけとして、遺跡の存在を発見した浜松市立西部中学校の高柳智教諭
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌 (浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)

いろはの「イ」 (学校・子ども) 11 一、二つの「イ」の字 【NHK浜松放送局 西部公民館 高柳健次郎
浜松市史 三 (物品販売業)

連尺町 洋服 松田卯之助 伝馬 〃 袴田洋服店 栄 〃 中村佐平 連尺町 〃 鈴木久四郎 鍛冶 〃 高柳洋服店
浜松市史 四 ([空襲被害者の治療])

佐藤国民学校では高柳春吉校長が奉安殿前に落ちた爆弾の破片を被弾して谷口病院(板屋町)へ運ばれたが絶命した
浜松市史 五 ([児童会館の閉館と浜松科学館、天文台の開館])

この日、落成・開館記念式典が行われ、浜松市名誉市民の髙栁健次郎ほかが参列している。
天竜川と東海道:わがまち文化誌 (浜松市立天竜公民館『天竜川と東海道:わが町文化誌』 目次)

郷土の歴史に残る人々 271 安間了願 小枝粂次郎 金原明善 大𣘺島太郎 石山脩平 高栁健次郎
浜松市史 三 (罹災学校)

4.30被弾,5.18以降北寺島公会堂にて二部授業し,12.21復旧した 佐藤校 4.30被弾し,校長高柳春吉
東方見聞録:東区の文化誌 (東区役所まちづくり推進課東方見聞録編集委員会『東方見聞録:東区の文化誌』 目次)

松島十湖 123 第37話 海を渡った建築家 中村與資平 125 第38話 テレビジョンの生みの親 高栁健次郎
浜松市史 三 (会社の内紛)

労農同志会,争議解決促進連盟を糾弾 26 争議解決促進連盟,非難に対し声明書発表 27 市長・高柳
輝くいなほはたの音:わが町文化誌 (浜松市立東部公民館『輝くいなほはたの音:わが町文化誌』 目次)

 佐藤の子に願うもの】 209 【閉校のころ 国民学校当時の学芸会】 212 【校長先生の殉職 高柳春吉
解説「徳川家康と三方原の合戦」 (解説「徳川家康と三方原の合戦」)

なお、三方原合戦について詳細に論述した文献としては、高柳光寿『三方原之戦』、小和田哲男『三方ケ原の戦い
浜松市史 五 (図・表一覧)

 昭和38年8月発行 2-63 『無明長夜』 株式会社 新潮社 昭和45年9月発行 2-64 「高柳健次郎伝,」の台本 浜松放送劇団「高柳健次郎伝 無線遠視法事始め」 平成2年7月 2-65 『浜松文化モニター
浜松市史 五 (目次)

       浜松市指定文化財        浜松市民会館と浜松市児童会館の落成        高柳記念館
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