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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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検索結果 : 104件
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浜松市史 ニ (高町口)

高町口 高町口(たかまち) 城の西南の高町へ通ずる。高町は侍屋敷町である。 / 高町口
浜松市史 ニ (高町地域)

高町地域 ④高町地域 八十軒。,城郭の西南部、高町方面からその南につらなる秋葉(町あきは)・半頭町(はんこう)(いずれも現在の三組町) / 高町地域
浜松市史 三 (高町火事)

高町火事 明治三十年以後にも大火が三回あった。,【三十四年】その一回目は三十四年五月二十日の高町の火災で、同町一〇四番から午後一時四十分に出火、西南の / 高町火事
浜松市史 三 (浜松人気質 浜松の活気 高町の講義所)

浜松人気質 浜松の活気 高町の講義所 つぎに明治後半期について述べよう。,かくて同派では四十三年九月浜松メソジスト教会の牧師ホルムズによって高町に講義所の造築が成り(木内三郎『,高町の教会とよばれ、日曜学校があり子供らにも親しまれた。 / 浜松人気質 浜松の活気 高町の講義所
浜松市史 ニ (曹洞宗)

として南能庵(板屋町、明治十六年大聖寺と改称、那賀山乙巳文『真道山大聖寺誌』)・大安寺(肴町)・宗安寺(高町,として西見寺(平田町)・万戒寺(平田町、西見寺の西、廃寺)・光珠院(塩町、廃寺)西来院末として万松院(高町,なお、曹洞宗の比丘尼寺として瑞泉庵(高町、秋葉社付近、廃寺)があった。
浜松市史 ニ (侍屋敷)

高町(たかまち) 紺屋町坂の上の高台にあって、東高町と西高町(北高町)とに分かれていた。
浜松市史 ニ (町筋の屈曲)

なお、高町の坂は家康が浜松在城当時めでた桜があったというので、賀茂真渕が「あか駒を引馬の坂のもと桜もとの,青山氏の高町の桜見物もこの桜であろう。
浜松市史 三 (浜松刑務所)

浜松刑務所 【浜松監嶽 五年】明治五年浜松県時代に浜松宿高町に囚獄が置かれたが、静岡県時代に入ると九年八月,長い間「高町の監獄」として市民に知られていたが、大正七年鴨江長者平へ移り、大正十二年に静岡刑務所浜松支所,高町のころの監房は二間に十間くらいの細長い建物が二棟、廊下には看守(かんしゅ)が往復して監視していた。
浜松市史 ニ (宗安寺と太田青山氏)

―浜松の高町という侍町の中に、浜松城主太田資次の時分に宗安寺という父太田資宗の「菩提所」があった。,ねんごろにしていた寺僧一人を頼み宗安寺につとめさせた―この日記によると、忠雄は貞享二年(浜松在城中)「高町
浜松市史 ニ (浄土宗)

菩提寺(高町、現在三組町)慶長五年桜井家広が祖先菩提のため創建したと伝えている。,廃寺)・寿徳院(田町、玄忠寺前、廃寺)・泰用院(田町、玄忠寺西、廃寺)・永林寺(田町、廃寺)・竜漢寺(高町
浜松市史 ニ (榎門口)

また紺屋町・高町方面へも通じている。,浜松市史史料編一』)に「塩市口ト申ヲ、所ノ者モ不存候、追手(大手)御門筋ヲ申ニ而可有之筋塩町ニ毎月御座候、塩町昔ハ高町
浜松市史 三 (廃寺と合併 上知令)

寺院名 所在地 廃寺年 天台宗  万戒寺 平田 明治以前 曹洞宗  宗安寺(天林寺末) 高町,天林寺末) 海老塚 〃 時宗  浄鏡院(教興寺末) 鍛冶町 〃 曹洞宗  万松院(西来院末) 高町,〃  瑞泉庵 高町 〃 浄土宗  蓮光院 元魚町 〃  宗安寺 元魚町 〃  龍漢寺 高町 〃
浜松市史 三 (石工)

高町半僧坊境内の梅村金八の碑は明治三十二年の作品である。
浜松市史 三 (浜松宿 三十二か町村独立)

上に「浜松」の二字を冠し浜松何町または浜松何村と称することになり、元城町・常盤町・元名残町の連合と、高町,町村時代戸長 (その他は不明) 浜松紺屋町 内田政治 浜松田町 小野江善八 〃利町 杉浦為次郎 〃高町
浜松市史 三 (常盤幼稚園 葵幼稚園)

また葵幼稚園は大正十二年三月に浜名郡教育会が高町に創立し奥田ひさが園長であった。,市立県居幼稚園 東伊場町 3 129 58 71 私立常盤幼稚園 元城町 2 54 30 24 私立葵幼稚園 高町
浜松市史 三 (筆工)

筆工 【川瀬為吉】筆工 山本伊吉(嘉永元年浜松池町生)・文明堂川瀬為吉・大明堂富次郎(浜松高町)などがあって
浜松市史 三 (市内道路の改良)

また距離の最長は高町から飛行隊に至る姫街道の四千メートルの改良工事で、曳馬(ひくま)坂と呼ばれた高町の,上島町間) 4,000  昭和4 1 鍛冶町線改良 576  21.6  2 静岡・気賀線改良 (高町
浜松市史 三 (浜松測候所)

翌十六年九月高町(敷知長上浜名郡役所に隣接、旧克明館長屋門の一部使用)に移した。,浜松測候所(高町所在当時)
浜松市史 ニ (神明社)

はじめ紺屋町北裏袋町から蜆塚村宮山の岡之社へ遷座、そののち、高町(三組町)へ移ったのだという。
浜松市史 三 (旧士族町)

旧士族町 旧侍屋敷町の高町(一二一戸のうち士族九四戸)にも傘職(四戸)居酒屋などが住み、秋葉(一四戸
浜松市史 三 (造園工)

碑高町半僧坊)。大江孝文の委嘱により浜松学校の庭園を作った。
浜松市史 三 (浜松郡政役所)

三年六月郡政役所は浜松高町の元藩校克明館跡に移った。
浜松市史 三 (無集配郵便局)

これは三十四年から三十五年へかけて田町・菅原・龍禅寺・天神町の四か所、その後高町・連尺などと浜松郵便局
浜松市史 三 (仏葬の復活 遠州大念仏)

【高町半僧坊】奥山方広寺が浜松高町に説教出張所(正福寺となる、半僧坊)を設け、浜松に進出したのも二十二年
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌 (浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)

スミス飛行機の思い出(中村岩雄さんの話) 【歩兵第六十七連隊 練兵場 アート・スミス】 25 七、高町,の洋裁学院 【サイトウ洋裁学院 ファッションショー コーラス】 26 八、昔の高町と子どもの頃の,79 五、亀山トンネル 【遠州鉄道奥山線 軽便鉄道 元城駅】 81 六、びっくり屋 【高町
浜松市史 三 (浜松と近郊間の馬車)

立場は笠井行は田町(現在の静岡銀行浜松支店付近)、二俣行は元目、気賀・金指行は高町、宇布見行は伊場にあった
浜松市史 三 (非政友会派内紛)

議長も小竹禄之助(高町、昭和二十一年二月没、八十五歳)へ移った。
浜松市史 三 (浜松県時代)

浜松県時代 【聴訟課】浜松県時代に入ると、県は県庁(浜松高町)内に聴訟課を設け、警察等の行政にあたらせた
浜松市史 三 (製糸)

太田勇次郎 手廻 40 17貫 〃 〃 〃 〃 20 9 〃 分器 中沢 勘 〃 40 11 明治12 高町
浜松市史 三 (展覧会)

郷土関係書籍の発刊には浜松の昭和堂(当市高町、白柳友治)・宝林堂(当市連尺町、近藤用一)などもあった。
浜松市史 ニ (藩校経誼館)

しているが、藩士やその子弟の教育にも心を用い、唐津時代の藩学校の名称をうけつぎ、天保十三年以前に経誼館を浜松高町
浜松市史 三 (民間航空会社案)

その後六年にはこの飛行場を利用して、浜松・飯田・名古屋を三角形に結ぶ旅客・貨物の航空輸送計画が高町の鈴木正
浜松市史 三 ([再建の槌音高く])

[再建の槌音高く] 高町の半僧坊から浜松駅の方を眺めると、見渡すかぎりの瓦礫の町であった。
浜松市史 ニ (武家屋敷の人口)

人馬割掛 清水 飯田又右衛門 早馬 桜井久右衛門 同所 小池曾平 下垂 飯島五左衛門 船蔵 森斧蔵 北高町,坂下文吾 同所 鈴木五三郎 半頭町 志宮佐五兵衛 文木 田中定蔵 文木西 松下理兵衛 宗旨奉行 高町
浜松市史 三 (大きな町)

また侍屋敷町では高町・早馬・御組(おくみ)町(名残)が百戸以上となっている。  ,19 19 19 4 袋町 5 1 6 5 5 1 1 5 高町
浜松市史 一 (海蝕崖)

この台地の南端に近い浜松市高町付近には、周囲の台地面より一段高い平坦面が局部的に認められ、東鴨江面と呼
浜松市史 ニ (作左曲輪)

しもだれぐち)、北に元目口(げんもくぐち)・明光寺口(みょうこうじぐち)、西に名残口(なぐりぐち)・高町口
浜松市史 三 (浜松の仮戸長と管轄地)

新町・早馬町・下垂町・池町    なお士族勤番組は別に定められ、その地域は城内・馬冷・作左・袋町・高町
浜松市史 三 (曳馬萩筆)

明治の初年には製造業者も数軒あった(高町大明堂、連尺町青巌堂、連尺町松柏堂など)。    
浜松市史 三 (浜松盲学校 浜松聾啞学校)

設立者はいずれも泉亀太郎、校長は小竹禄之助(浜松高町在住、市会議員、昭和二十一年二月没、八十五歳)で、
浜松市史 三 (綜合誌)

山本巴水(はすい)(喜雄、明治二十八年生、当市高町)の編集で、大正十三年六月創刊され、およそ十一年間刊行
浜松市史 三 (浜松八景)

野口八幡宮の桜・天林寺の牡丹(ぼたん)・西来院の藤・高町半僧坊の秋月・鴨江寺の池・平田(なめだ)の蓮・
浜松市史 四 ([諸寺の復興])

市の中心部という地の利を生かした臨済宗方広寺派正福寺(高町)は、利用頻度が高いことで知られ、市民は親しみを,込めて高町の半僧坊と呼ぶ。
浜松市史 ニ (雪荷派)

浄躬は浜松高町(現、三組町)秋葉社の別当で、雪荷派の伝統をうけつぎ、文政・天保年間にあたって浜松地方に
浜松市史 四 ([幼稚園])

太平洋戦争中の昭和十八年四月、市内にあった幼稚園は十二園、市立は元城と県居の二園、私立は常盤(元城町)・葵(高町
浜松市史 三 (雪腸の自由俳句運動)

加わるものに竹田磊石(らいせき)・口田朴也(静男、当市高町、大正六年浜松の清水吟社所属)・田中貫川(麻次郎
浜松市史 四 ([電灯の復旧と電灯引き込み料金])

しかし、工事が難しく資材難のために元浜、山下、尾張、常盤、元城、松城、三組、亀山、高町の九カ町はいましばらくの
浜松市史 三 (浜商の父)

【小原右馬允】校長小原右馬允(広島県出身、当市高町)は明治三十四年より大正九年まで二十年の長い間在勤し
浜松市史 三 (行楽地)

螢狩(浅田その他近郊) 船遊(中田島・浜名湖) 海水浴(弁天島・中田島)    秋 観月(天守閣・高町半僧坊
浜松市史 三 ([書籍の発刊と書籍店])

9.1 宮原廉著(浜松県官員 士族) 遠陽郡村便覧 9.12 奥山義篤著 遠江国全図 10.8 浜松東高町奥山義篤著,敷知郡沢村関川美健著(浜松市街図挿入) 百里園風光 14.3 青松館 遠江郡誌略 15.3 浜松紺屋町鈴木与平次 浜松高町鈴木公正著
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