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浜松市史 四
([うなぎ養殖])
は
鰻
の養殖で全国的に有名であるが、その養
鰻
業の創始者は服部倉治郎で、東京の魚問屋で淡水魚養殖などを手掛,の中村源左衛門正輔(大門正輔日本水産会水産伝習所を卒業し、養
鰻
に深い造詣を持っていた。),と共同で七ヘクタールの養
鰻
場を造ったことに始まった。,大正に入ると開墾助成法や公有水面埋立法の公布により、
鰻
の養殖業は一層盛んになった。,昭和の初期には、浜名湖湖岸の養殖池は六百ヘクタールに及び、
鰻
養殖の全盛時代を迎えた。
浜松市史 五
(ウナギ養殖)
ウナギ養殖 【浜名湖養魚漁業協同組合 スッポン養殖】 全国的に有名な養
鰻
事業は、明治中頃に始まって,約七百五十ヘクタールの養
鰻
池で、年間約四千トンのウナギを水揚げし、生産額も二十四億円に上っていた。,昭和四十年代前半には水田の養
鰻
池転換が起きてきた。,地域的には篠原・村櫛・庄内地区など浜名湖沿岸に集中したが、これまで養
鰻
と縁のなかった天竜川西岸沿いの河輪,・五島地区でも養
鰻
池が造成され、一種の造池ブームが起きた。
浜松市史 五
([ウナギ養殖の浮沈])
[ウナギ養殖の浮沈] 【ウナギ養殖】 浜名湖周辺部での養
鰻
業は昭和四十三年頃が最盛期で、約六千七百七十八,そのため、養
鰻
池の半分近くが開店休業状態で、組合員の多くが転廃業していった。,養
鰻
業の再生を図ろうとするものであった。,しかし、昭和六十三年、県と西部振興センターが実施した調査によると、浜名湖周辺の養
鰻
池のうち遊休池面積は,浜名湖の養
鰻
池は沿岸七市町全てに存在し、二十地区に分かれている。
浜松市史 四
([うなぎ養殖の発展])
[うなぎ養殖の発展] 【養
鰻
業】 昭和二十七年ごろになると食糧難も緩和し始め、それとともに浜名湖湖岸,の養
鰻
業も軌道に乗り始めたものの、戦前の最盛期に比べるといまだその域には達していなかった。,戦前の浜名湖
鰻
復興の一歩手前まで来た養
鰻
業は壊滅的打撃を受けることになった。
浜松市史 ニ
(都田川の鮎漁)
【佐鳴湖の鮒】佐鳴池では鮒(ふな)・
鰻
(うなぎ)・白魚(しらうお)・蜆(しじみ)を産し、入野村に生簀(,鮒は入野鮒といって浜松城主太田備中守の献上品となり、
鰻
は遠州白と称し江戸で賞美された。
浜松市史 三
(篠原村)
【養
鰻
業】なお鯉(こい)・
鰻
(うなぎ)・鯔(ぼら)の養殖も行なわれている。,魚市場は西茶屋と馬郡にあり、馬郡は養殖
鰻
の先覚地であった。
浜松市史 三
(食物店)
食物店 旨いものに、鳥善・鳥利(いずれも鍛冶)の鳥、池川(田)菊屋(肴)の
鰻
(うなぎ)、柳川(鍛冶)
浜松市史 三
(漁業組合 養魚場)
鶴見信平によって養魚場のできたのは三十八年四月で、その後面積を増し、明治末期には十三町五段に達し鯉・
鰻
の
浜松市史 三
(浜名湖岸)
浜名湖岸 浜名湖岸 藻草(もぐさ)・
鰻
(うなぎ)・鯔(ぼら)・鯉(こい)・蝦(えび)などを産し、そのうち
浜松市史 三
(浜名郡漁業)
明治四十年浜名郡で漁民六千二百九十九人、漁船二千三百八十四艘、漁獲量では鰯、価格では鰹で、養殖場数五十四か所で
鰻
、
浜松市史 五
([減少してきたウナギ養殖])
浜名湖沿岸の養
鰻
業は、長い歴史を持ち、より生産性の高い技術進歩を積み重ねてきた。,ハウス養殖では、養
鰻
池をビニールハウスで覆い、水温や水質を一年中最適に管理することによってウナギの生存率
浜松市史 四
([湖面漁業(浜名湖・佐鳴湖)])
佐鳴湖にはぼら、
鰻
、鯉、鮒などが生息していたため、昭和二十四年に入野漁業協同組合が組織化され、組合員は,また、竹筒による
鰻
漁も行われていた。,竹の節を抜いて約一尺八寸に切り、それをとっくり縛りに縛り、竹筒に入る
鰻
を捕るという漁法である。
浜松市史 三
(佐鳴湖)
鯔・
鰻
・鮒(ふな)・公魚(わかさぎ)・蜆貝(しじみがい)などを産する。
浜松市史 三
(浜名湖巡幸)
浜名湖巡幸 翌六月一日は浜名湖の風光をめでられつつ養
鰻
場を見学、官幣(かんぺい)中社井伊谷宮(祭神
浜松市史 一
(浜名湖)
浅い湖のため昔は採藻が中心であったが、いまはノリやカキの養殖が行なわれ、養
鰻
池が湖辺をとりまいている。
浜松市史 ニ
(七月)
この日
鰻
を食べる。
舞阪町史 中巻
(舞阪町史 中巻 目次)
水産業の発展 108 明治期の水産業 カツオ釣漁業の発達と大正期の漁業 明治・大正期の養殖業 養
鰻
業,問題 地曳網漁業と底曳網シラス漁業との紛争 舞阪漁港改修と浜名湖内魚道浚渫 カキ養殖業の発展 種
鰻
輸入
浜松市史 一
(水産生物)
【ウナギ】浜名湖といえばウナギが連想されるほど有名なウナギ養殖は湖周辺の養
鰻
池が主体であって、湖内においては
浜松市史 三
(浜松の名所)
礫島松風 本坂紅葉 高師晴嵐 鷲津桜花 【越冬燕】また越冬つばめが浜名郡篠原村馬郡(現在当市)の養
鰻
池
浜松市史 五
([漁協の合併と構造改善])
浜名漁業協同組合】 この時期の漁業は、浜名湖における湖面漁業・採貝漁業・浅海養殖漁業と湖岸沿いの養
鰻
事業
浜風と街道:わがまち文化誌
(浜松市立篠原公民館『浜風と街道:わがまち文化誌』 目次)
、明治大正時代の産業 107 2、篠原特産たまねぎ 113 3、浜名湖うなぎを支えた篠原地区の養
鰻
業
浜松市史 四
([湖面(浜名湖)漁業の実態])
許可漁業としては、囲目網漁業、小型まき網漁業、めっこ網漁業があり、さらに、特別許可漁業としてシラス
鰻
漁業
浜松市史 五
(佐鳴湖の浄化)
ヘドロは公園造成や遊休養
鰻
池の埋立や肥料などに活用できるとし、県は湖自体も浄化能力があり、ヘドロを除けば,平成五年になってヘドロは庄内半島の中開地区の遊休養
鰻
池の埋め立てに使うことが決まったものの、平成六年度末
浜松市史 三
(主要商店)
淡泉舎(板屋) 煙草 家田商店(連尺) 田中商店(田) 牛乳 興農舎・白山舎・養牛舎の同盟販売所(田)
鰻
蒲焼
太陽と潮風五島遠州浜:わが町文化誌
(浜松市立五島公民館『太陽と潮風 五島遠州浜:わが町文化誌』 目次)
89 二 漁業 90 (一)移り変わり 90 (二)地引網 91 (三)養
鰻
業
浜松市史 五
([中小企業の工場団地と工場アパートの立地])
馬郡町内の遊休養
鰻
池の跡地、約四万三千平方メートルを取得し工場団地を造成、同六十一年十月に竣工した。
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