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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 ニ (鴨江寺庭園)

鴨江寺庭園 庭園に関する史料がほとんどないので、くわしく記すことは出来ないが、安政六年に発行された『,築山庭造伝』に鴨江寺(当市鴨江)の庭園が図入りでとりあげられているところから相当の名園であったと思われる / 鴨江寺庭園
浜松市史 四 ([鴨江寺の罹災])

[鴨江寺の罹災] 【鴨江寺 建部快運】  太平洋戦争の最終期、昭和二十年(一九四五)六月十八日の空襲,春秋彼岸会の時、浜松近在からの人々の参詣でにぎわう鴨江寺は、本堂・客殿・庫裏等の伽藍が「敵米ノ焼夷爆弾,鴨江寺の復興計画は早くに着手された。,その当初の決意を、「尚本尊仮奉安所ト事務所ハ九月中ニ建設ノ予定ナリ」と記し、鴨江寺が直面している困難な,地上物件全焼セルヲ以テ収入皆無ナリ」(昭和二十年七月二十三日付、真言宗々務長あて「戦災寺院災害届」、『鴨江寺復興史 / [鴨江寺の罹災]
浜松市史 ニ (鴨江寺の絵馬)

鴨江寺の絵馬 鴨江寺(当市鴨江)の本堂欄間にも慶長年間に奉納された絵馬をはじめ、大小二百余面の額が掲,その図柄は鴨江寺の鳥瞰図、観音像など宗教的なもののほか、馬・武者絵などが主であった。,(表)鴨江寺絵馬一覧表 番号 画題 奉掛年月 色 筆者 奉納者 分類 1 下人の口取る馬之図 慶長,; 18 算法三術 〃 18年 9月         19 鴨江寺全図 / 鴨江寺の絵馬
浜松市史 四 ([鴨江寺の復興])

[鴨江寺の復興] 【鴨江洋裁学園】  戦後になって建部快運の活躍は目覚ましい。,その著『鴨江寺復興史』(『新編史料編五』 四宗教 史料24)には詳細な記事があるが、疎開先の気賀長楽寺,のように昭和二十年九月二十一日、浜松市と浜松市仏教会との合同主催で、「浜松市戦災殉難者追悼大法会」を鴨江寺仮本堂,他方、同二十年九月二十三日付の『静岡新聞』には「賑ふ鴨江観音」として鴨江寺の秋季彼岸会復活が報道された / [鴨江寺の復興]
浜松市史 ニ (鴨江寺算額)

鴨江寺算額 この鴨江観音の額は鶴見(当市鶴見町)の斎藤重基が奉納したもので、初めに「奉納御宝前 算法三術 / 鴨江寺算額
浜松市史 ニ (藤原姓を称す)

【鴨江寺】つぎは天正十四年九月七日遠江鴨江寺(当市鴨江)に対し諸役を免除した判物で(『鴨江寺文書』)「, 普済寺蔵) 徳川家康判物(浜松市倉松町 寿福寺蔵) 徳川家康判物(浜松市鴨江 鴨江寺蔵
浜松市史 一 (白山信仰)

白山信仰 【二諦坊 鴨江寺】大永五年(一五二五)八月に今川氏親は、当市内頭陀寺千手院に対し遠江国中での,「奉掛神前□(鰐)口一打、遠江国敷知郡浜松庄鴨江寺白山之宮別当二諦坊法印一笑  慶長十一年丙午三月吉日, 江戸御大工椎名兵庫助吉次」    これによると二諦坊は、鴨江寺のおそらくは鎮守の白山宮の別当寺であろう
浜松市史 ニ (見世物)

見世物 鴨江観音堂の春秋の彼岸会は、鴨江寺の記録によれば享保以後のことだという。,文政ころから嘉永年間の鴨江寺の記録によると、見世物は反魂丹(はんごんたん)売薬を主とし、これに付随して,鴨江観音の彼岸会は庶民の娯楽の場でもあったのである(『鴨江寺誌』)。
浜松市史 ニ (主要寺院)

真言宗  鴨江寺(馬渕紫陽『鴨江寺蔵古文書解説』) 竜禅寺 頭陀寺 常楽寺 岩水寺  浄土宗  西伝寺
浜松市史 ニ (巴静笠塚の建立)

巴静笠塚の建立 【立季】巴静の十三回忌にあたる宝暦六年(一七五六)二月、門人たちは師の残した笠を鴨江寺,巴静笠塚の句碑(浜松市鴨江 鴨江寺)
浜松市史 五 ([国際交流の試み])

ぜられたように、四月六日セイロン・インド・中国・マラヤ・ラオスの国々の代表者十四人からなる国際仏教使節団が鴨江寺,【鴨江寺】 ・鴨江寺  鴨江寺本堂での平和祈願祭(昭和三十四年四月六日)では般若経が誦経され、曹洞宗大厳寺住職木全大孝師,鴨江寺は昭和二十年六月十八日の空襲で灰燼(かいじん)に帰した。,昭和五十三年十月七日には、仏教徒の立場から世界平和を祈念する世界仏教徒大会が東京に続いて鴨江寺でも開かれた,来日したインド・チベット・ビルマなどの僧侶を鴨江寺に招き、十一日まで記念法要とシンポジウムを開いている
浜松市史 三 (廃寺と合併 上知令)

大山寺 大通院】その打撃の大きかったのは、天台・真宗・臨済・時宗・浄土宗といわれ、浜松付近でも真言宗の鴨江寺,元魚町 〃  龍漢寺 高町 〃 真言宗  愛宕寺(愛宕神社別当) 成子町 明治7年  蓮養院(鴨江寺塔頭,) 鴨江 明治初年  光明院(鴨江寺塔頭) 鴨江 〃  西宝院(鴨江寺塔頭) 鴨江 〃 曹洞宗  
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

【七反田沼地 ヤマヤ醸造所 鈴木孫右衛門商店 釣堀 菅原町】 129 【根上り松・十九番の川 鴨江寺,天満宮のお祭り 松尾神社 元魚町 菅原町】 149 【浜松まつり】 151 【お彼岸祭り 彼岸会 鴨江寺,(四)金山神社 【鍛冶師 鋳物師 五社神社 松下常慶】 204 (五)須佐之男神社 【鴨江寺,】 248 【栩木兄山 鴨江旅館街】 249 【力士 角見山 鴨江寺 鶴見町 栄泉寺】 250,(二)歌碑 【鴨江寺】 251 【法林寺 縣居神社 賀茂神社 平手神社 賀茂真淵翁誕生の地公園】
浜松市史 ニ (白山宮)

鴨江寺の鎮守であろうという。
浜松市史 一 (鋳物業)

(次頁写真) 頭陀寺鰐口(浜松市立郷土博物館蔵)  【鴨江寺洪鐘】正応(しょうおう)三年(,一二九〇)十月、勧進僧永威は、本市鴨江寺に洪鐘一口を鋳造して寄進した。,明治二十一年(一八八八)三月には、現存したと同寺住職の報告書がある(『鴨江寺文書』)。    
浜松市史 四 ([各種学校の盛衰])

鴨江寺が経営する鴨江洋裁学園は昭和十九年四月に閉鎖、その建物は戦災で焼失したが、戦後一年もたたない昭和二十一年六月一日,鴨江寺の建部快運はその著『鴨江寺復興史』の中で、「終戦を迎えて工場等に徴傭されていた若い女性、女学生などが
浜松市史 一 (守護不入権の否定)

【除外例 鴨江寺】しかし、たとえば鴨江寺のように氏真は除外例を認めている。
浜松市史 ニ (開帳)

であるが、延享二年・安永六年には下表のように十七におよぶ浜松付近の寺院が鴨江観音で出開帳をしている(『鴨江寺誌,(表)鴨江寺開帳寺院一覧表 所在地 寺院名 開帳本尊名 肴町 大安寺 観世音菩薩 鴨江 快真寺 地蔵尊
浜松市史 ニ (真言宗)

二諦坊は鴨江寺の鎮守、白山宮の別当寺であろうという。両部修験道場として知られていた。
浜松市史 ニ (縁日)

西鴨江花学院の馬頭観音(三月最初の午の日)・竜禅寺の観音(八月九日)・田町玄忠寺の地蔵会(八月十四日)・鴨江寺観音
浜松市史 ニ (算法の伝来)

い算法がいつどんな経路で遠江へはいってきたかは正確に知ることが出来ないが、享保十八年(一七三三)九月鴨江寺
浜松市史 三 (陶工)

という陶工があり、大堀(浜松栄町)で茶器を焼いたが販売いずれも発展にはいたらず、明治五、六年のころには鴨江寺
浜松市史 一 (遠江の真言宗寺院)

遠江の真言宗寺院 【鴨江寺 頭陀寺 竜禅寺】奈良時代の創建と伝えられる秋葉(しゅうよう)寺(周智郡春野町
浜松市史 ニ (流行の仏たち)

観音菩薩 鴨江寺・竜禅寺・福来寺(当市笠井町)。馬頭観音では西鴨江村の花学院。  ,地蔵菩薩 鴨江寺の水向地蔵。岩水寺・寿量院(当市向宿町)の子安地蔵。七軒町の子育地蔵。
浜松市史 三 (献納運動の強化)

に、これと前後して高山仰止元城小学校校長・大賀辰太郎西小学校校長・宮本甚七(天林寺境内)・松島十湖(鴨江寺境内
浜松市史 三 (浜松八景)

野口八幡宮の桜・天林寺の牡丹(ぼたん)・西来院の藤・高町半僧坊の秋月・鴨江寺の池・平田(なめだ)の蓮・
浜松市史 三 (浜松中学歴史参考館)

目録によると、鴨江寺文書十一通、飯田龍泉寺文書二通、法華寺文書二通、玖延寺文書一通、正大寺文書二通、堀江大沢家文書三通
浜松市史 三 (石川雅長 林鋼三郎)

をした花井凖(『亀山町史』)、弘化二年に江戸に生まれ三方原へ移住し浜松で琴の師匠をした朝岡福重(ひさ子、鴨江寺
浜松市史 三 (高林兵衛 内田六郎 平松実)

昭和四年ガラス絵展、六年泥絵展、同年九月と七年六月の二回にわたり浜松鴨江寺で催された現代民芸展覧会、六年十月誠心高等女学校
浜松市史 一 (遠江守護)

その活動は、元弘三年(一三三三)九月九日からはじまる(『鴨江寺文書』『古証文』)。    
浜松市史 一 (熊野信仰)

頭陀寺(大正時代)(浜松市頭陀寺町) 蒲神明宮(大正時代)(浜松市神立町) 鴨江寺
浜松市史 四 ([浜松市仏教会の活動])

浜松市仏教会の活動] 【浜松市仏教会】  昭和二十九年十月十六日付の『浜松民報』で、浜松市仏教会長鴨江寺住職建部快運
浜松市史 四 ([罹災した寺院])

龍禅寺(龍禅寺町)、鴨江寺(鴨江町)、法林寺(成子町)、西導寺(成子町)、東漸寺(成子町)、明寿院(塩町
浜松市史 ニ (鴨江彼岸会)

鴨江寺(明治時代)(浜松市鴨江) 月日 町名 出し物 2.29 上新 屋台木遣 晦 七軒 屋台木遣
浜松市史 三 (神社仏閣)

【鴨江寺】鴨江観世音は鴨江村にあり春秋の彼岸には参詣人がおびただしい。
浜松市史 三 (浜松の名所)

浜松の名所 【梅 花見 藤 牡丹 桃 夜見世】浜松の名所には天林寺の花見・鴨江寺の池・西来院の藤・半僧坊
浜松市史 一 (浜松荘)

吉良氏は、のち代官をおいた(『鴨江寺文書』『寿量院文書』)。
浜松市史 ニ (侍屋敷)

半頭町(はんこうまち) 秋葉町から鴨江寺へいく道筋で中間屋敷(ちゅうげんやしき)があった。
浜松市史 三 (藩領引渡)

この月天王新田村では村の差出帳などを(『中村家文書』)、服部中領の伊左地村では鴨江寺塔頭正法院におかれた
浜松市史 ニ (城下のにぎわい)

鴨江寺観音道などもあり、石碑の上に二の手もて指さす形を彫りて右のかたに「江戸道」左のかたに「犬居秋葉道
浜松市史 ニ ([弓術])

浜松地方では利町の諏訪社・鴨江寺・竜禅寺・頭陀寺・賀久留神社・蒲神明宮・末嶋の御嶽神社・笠井の若倭神社,以上のほかに調査もれの分もかなりあると推察されるが、賀久留神社では延享三年(一七四六)以前、鴨江寺・諏訪社
浜松市史 四 ([軍人遺族・傷痍軍人への援護])

浜松身体障害者竹芸工職業補導所 傷痍軍人】  浜松市と浜松市仏教会主催の戦災殉難者追悼大法会は昭和二十年九月二十一日に鴨江寺
浜松市史 ニ (禅宗)

渡瀬 弥十 馬領家 笠井 成子坂町 本魚町 真言宗     頭陀寺 参野 喜多嶋 鴨江寺
浜松市史 三 (会場)

げ期間は、開館を待ちわびる人の列で身動きもできぬほどで、しばしば入場の制限を行ない、西会場は彼岸中の鴨江寺
浜松市史 四 ([諸寺の復興])

・宗源院(蜆塚町)・興福寺(浜名郡篠原村)・本光寺(浜名郡河輪村)・玉伝寺(早出町)、同二十五年には鴨江寺
浜松市史 ニ (巡礼)

薬師堂 58 石原村 新福寺 15   竜禅寺 59 金折村 普門寺 16   鴨江寺
浜松市史 四 ([慰安演芸会や村祭り・年中行事の再開])

鴨江寺は昭和二十年六月十八日の空襲により全寺域のほとんどが焦土と化した。
浜松市史 ニ (浜松地方の寺社領)

【百石以上】しかし百石以上の朱印高を持つのは寺院では頭陀寺・鴨江寺・竜禅寺の真言宗の古刹と、神社では蒲神明宮
浜松市史 一 (中世編)

浜名郡可美村)            四三八 頭陀寺   (浜松市頭陀寺町)           四三八 鴨江寺
浜松市史 五 ([教化活動の現れ])

【天林寺】  寺院側の積極的な教化活動の例のうち、鴨江寺(高野山真言宗・鴨江四丁目)の春秋彼岸会や蔵興寺
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