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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ

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浜松市史 五 ([伝統行事の変貌])

[伝統行事の変貌] 【鴨江観音】  浜松地方で、浜松まつりに次いで多くの人出があった伝統行事は鴨江観音,また、伝馬町交差点から鴨江観音までの約五百メートルの沿道の両側と境内などには瀬戸物屋やおもちゃ屋、食べ,静岡鉄道管理局は鴨江観音の縁日で菊川と豊橋の間で臨時列車増発を行っていた。
浜松市史 ニ (開帳)

竜禅寺観音の開帳は慶長十五年(一六一〇)がはじまりで、天和二年・正徳三年とつづき、鴨江観音は天和元年・,天明元年(一七八一)の鴨江観音の秋彼岸の鴨江山伏持宝院の不動明王もその例であるが、延享二年・安永六年には,下表のように十七におよぶ浜松付近の寺院が鴨江観音で出開帳をしている(『鴨江寺誌』)。  
浜松市史 ニ (見世物)

見世物 鴨江観音堂の春秋の彼岸会は、鴨江寺の記録によれば享保以後のことだという。,鴨江観音の彼岸会は庶民の娯楽の場でもあったのである(『鴨江寺誌』)。
浜松市史 三 (年中行事)

二十八日(秋葉神社大祭と秋葉市(いち)、三組)   【春彼岸】三月 十日(陸軍記念日) 春彼岸(鴨江観音,  【秋彼岸 秋祭】九月 十日(賀茂神社大祭、伊場) 十五日(須佐之男神社大祭、鴨江) 秋彼岸(鴨江観音
浜松市史 ニ (三月)

鴨江観音の彼岸会が賑わう。
浜松市史 ニ (管粥神事)

この秋葉の祭と鴨江観音の彼岸・竜禅寺観音の祭礼は、浜松に育った人々にとってもっとも親しみの深い祭であった
浜松市史 三 (ロケーション)

鳥人といわれた映画俳優高木新平が鴨江観音堂の屋根で演ずる活劇に驚き、昭和三年には栗島すみ子主演「愛のゆくすえ
浜松市史 四 ([慰安演芸会や村祭り・年中行事の再開])

] 【戦災市民慰安無料公演 復興祭 農繁休慰安会 演劇クラブ(部) レコードコンサート 素人演劇 鴨江観音,年中行事の復活で興味深い事例は鴨江観音の彼岸会である。,それから三年後の二十三年秋の彼岸会、その中日には金詰まりにもかかわらず伝馬町四つ辻から鴨江観音までの沿道
浜松市史 三 (公衆便所)

名残町宗円堂地域内西北端、下池川町市役所水道課敷地東南端、元城校前、海老塚町南校の敷地外北角、鴨江町鴨江観音境内東側
浜松市史 四 ([鴨江寺の復興])

その費用は鴨江観音百万人勧縁帳による浄財である。,他方、同二十年九月二十三日付の『静岡新聞』には「賑ふ鴨江観音」として鴨江寺の秋季彼岸会復活が報道された
浜松市史 三 (浜松の祭)

八月の八幡宮(浜松野口)の放生会(ほうじょうえ)、法雲寺(浜松板屋)の酉(とり)の市と数多いが、ことに鴨江観音堂
浜松市史 ニ (家臣団の配置)

下り谷(近藤谷ともいう)には近藤石見守(康用)、秋葉権現(当市三組町秋葉神社)の社地には山家三方衆、鴨江観音堂
浜松市史 ニ (町民の生活)

【鴨江観音】春夏秋冬、そのときどき楽しみもあった。,【秋葉祭】享保年間の鴨江観音堂や普済寺の釈迦堂立替の地築には町々ではいろいろの趣向をこらして参加しているし
浜松市史 ニ (鴨江彼岸会)

鴨江彼岸会 鴨江観音堂の彼岸会はお彼岸といえばすぐに鴨江の彼岸会を意味するほど、浜松をはじめ近郷の人
浜松市史 三 (神社仏閣)

五社神社(浜松市利町) 鴨江観音(浜松市鴨江4丁目)
浜松市史 三 (商肆)

鴨江観音の南弐町ほどの海眞寺(快真寺)にある忘帰楼は「南に海上の遠帆、また街道の行人、松間の田園村落一眸
浜松市史 四 ([春闘と統一メーデー])

三十二年も前年同様の統一メーデーとなり、五十八単産、約二万人の労働者が鴨江観音境内に集い、労働者の基本的権利
浜松市史 四 ([自然の遊び場の減少])

学校帰りの子どもたちが鴨江観音の境内で相撲をとっていたのを記事と写真で報道したのである(『静岡新聞』昭和三十二年二月七日付
浜松市史 ニ ([弓術])

#160;   1 1 蒲神明宮 4   1 5 竜禅寺   1 1 2 鴨江観音,8 1 1 10   28 15 10 53 寺社名 賀久留神社 大歳神社 白華寺 鴨江観音
浜松市史 四 ([戦争終熄奉告臨時奉幣祭])

浜松市長藤岡兵一は通牒を発し、同月二十一日に浜松市と浜松市仏教会との合同主催で、浜松市戦災殉難者追悼大法会を鴨江観音仮本堂
浜松市史 四 ([廃墟と化した中心商業地とやみ市の発生])

浜松の復興が進んでくると、街の体裁や交通の邪魔になるという意見が出始め、中心部からやや離れた五社通りや鴨江観音付近
浜松市史 三 (爆弾事件)

被告岡島千里(二十二歳)は、争議団としては解決の曙光が見出されないので遂に七月十六日、決死隊を募り一隊は鴨江観音
浜松市史 五 ([石油危機・物不足と「消費は美徳」時代からの決別])

また、浜松勤労市民生協に加盟している主婦たち千人が、鴨江観音境内で集会を行い、灯油・チリ紙などの品不足解消
馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌 (浜松市立曳馬公民館『馬込川が流れるまち:曳馬地区わが町文化誌』 目次)

い、万人初春を迎える 139 無我の境地で 141 わが心のふるさと 【富永忠男 飯尾哲爾 鴨江観音数
浜松市史 ニ (鴨江寺算額)

鴨江寺算額 この鴨江観音の額は鶴見(当市鶴見町)の斎藤重基が奉納したもので、初めに「奉納御宝前 算法三術
浜松市史 三 (罹災学校)

広沢校焼跡残存建物使用),11.1広沢校に合併し廃校となる ×● 西校 6.18全焼,7.1鴨江観音境内
浜松市史 三 (六月十八日の大被害 全市火の海 見渡すかぎりの焦土 公式発表 米軍記録)

危く生きのびた人のなかには新川とか馬込川とか鴨江観音の池とか名も知らぬ溝川とか鉄橋や橋の下に飛びこんで
浜松市史 三 (活動写真)

活動写真 映画は活動写真と呼ばれ、明治の末ごろから小屋掛け(鴨江観音の彼岸興行)とか劇場を借りその舞台
浜松市史 四 ([遠州大念仏の復活])

黄檗宗妙見山大雄庵の寺施餓鬼に奏せられる「チンチンドンドン」の音と露店のにぎわい、蒲神明宮の秋祭り(ごしんさま)、鴨江観音
浜松市史 四 ([学校給食体制の整備])

は鴨江観音に隣接している地の利を生かし、春秋彼岸会に父兄が無料奉仕の出店を開き、「廿六年一月に当時にして
浜松市史 五 ([人権問題と労働運動])

昭和三十一年の遠労を中心としたメーデー(鴨江観音境内)には全繊同盟傘下の労組も参加、多くの女子工員の参加
浜松市史 三 (写真・図版目次)

浜松市高林町 飯尾哲爾氏蔵) 一二八 五社神社(浜松市利町)                   一三一 鴨江観音
学びの里祈りの丘:わが町文化誌 (浜松市立県居公民館『学びの里祈りの丘:わが町文化誌』 目次)

【鴨江一丁目】 244 (四)三組地蔵 【道祖神大神 六地蔵 三組町】 245 (五)鴨江観音水向地蔵
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