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浜松市立中央図書館/浜松市文化遺産デジタルアーカイブ
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浜松市史 ニ
(地勢)
地勢 【作左谷
鹿谷
池川谷】さらにくわしく述べると、城地のすぐ北側は作左(さくざ)谷(作左深谷または,深谷ともいう)・
鹿谷
(しかたに)・池川谷(いけがわだに)にのぞむ。,いずれも天竜川の沖積平野が河岸段丘に湾入したもので、作左谷と
鹿谷
とをへだてるのが明光寺山(みょうこうじやま,)で、その北に明光寺山と亀井山とのあいだの谷が
鹿谷
、亀井山の北がわが池川谷である。
浜松市史 ニ
(九月)
粟飯祭り 十五日 三社神社(当市
鹿谷
町)。
浜松市史 ニ
(名残口)
組屋敷から成る名残から名残町(現在
鹿谷
町)を経て三方原(みかたがはら)方面への通路で、二重の木戸があり
浜松市史 ニ
(粟飯祭)
粟飯祭 三社神社(当市
鹿谷
町) 九月十五日。粟飯(あわめし)祭を行なう。
浜松市史 三
(神社の復活)
【三社神社 分器稲荷 金山神社】秋葉神社(三組町)に合祀された三社神社(
鹿谷
町)や分器稲荷(田町)、また
浜松市史 ニ
(名残地域)
城郭の西北部にあたる名残地域(現在の
鹿谷
町交番付近から松林寺付近までの地域)は三方原方面に対する自づと
浜松市史 ニ
(三方原の戦の意義)
祝田坂古戦場(引佐郡細江町) 三方原古戦場 三方原古戦場犀ヶ崖碑(浜松市
鹿谷
町
浜松市史 ニ
(塩硝庫)
城の北西にあたる名残(
鹿谷
町)にあった(松林寺の北方、小字名保六谷)。
浜松市史 三
(県立浜松病院)
その後大工町で医院を開業、明治四十五年七月没、六十九歳、墓所は浜松市
鹿谷
町の松林寺境内のキリスト教墓地
浜松市史 三
(行楽地)
・銭取) 桜花(五社公園・天守閣・八幡公園・岩水寺) 牡丹(ぼたん)(天林寺公園) 躑躅(つつじ)(
鹿谷
園
浜松市史 五
(遠州大念仏)
浜松市の無形文化財に指定されたのは、昭和四十七年三月一日のことで、この大念仏のメッカとも言うべきものが
鹿谷
町
浜松市史 三
(大念仏復興 遠州大念仏団)
その後大念仏は、各村が思い思いに行なっているにすぎなかったが、渡瀬茂三郎(名残町、現在
鹿谷
町)などの尽力
浜松市史 ニ
(家康の敗走)
三河大樹寺に葬られたが(『寛政重修諸家譜』)、その戦没地の碑は市内
鹿谷
町宗円堂にある。
浜松市史 三
(浜松の名所)
天林寺の花見・鴨江寺の池・西来院の藤・半僧坊の月見・天林寺の牡丹(ぼたん)・馬込の納涼・五社公園の桜・
鹿谷
園
浜松市史 三
(遊園地)
遊園地 遊園施設といったほどではないが天守閣跡には展望台(昭和八年入園料五銭)と茶屋があり、亀井山の
鹿谷
万象園
浜松市史 ニ
(渡辺崋山とその影響)
福田半香筆舘山寺の図(浜松市
鹿谷
町 野島新作氏蔵)
浜松市史 ニ
(侍屋敷)
御組町(おくみまち) 御組(組屋敷)のあったところ(現在の
鹿谷
町。
浜松市史 四
([国体秋季大会の開催])
鹿谷
公園の庭球場入口までは、姫街道と六間道路から新しく道路(国体道路)をつくり、六面のコートが整備されていた
浜松市史 三
(開拓反対 開拓の本格化)
声が満ちている、ついては一刻も猶予ができないので、すぐに再開の許可をしてもらいたい、なお名残村(当市
鹿谷
町
浜松市史 ニ
(柳塚連)
明治二十年七月三十日没し、松林寺(当市
鹿谷
町)に葬られた。
浜松市史 三
(被爆地域)
市北部の名残・追分・上池川方面(弾着北限は和合町銭取付近といわれた)に弾道音と弾着音が激しく、次第に
鹿谷
浜松市史 五
([『東海文化新聞』])
同紙の編集発行人は高橋国治で、
鹿谷
町において文房具店(戦前は軍需品店)を経営していた。
浜松市史 五
([浜松文芸館の開館])
浜松市立勤労青少年ホームの建物の一、二階を改装してオープンしたもので、十分なものとは言えなかったが、
鹿谷
町
浜松市史 五
([青少年の家と勤労青少年ホーム])
浜松市はこの構想に強い関心を寄せ、県と共に猛運動を展開、
鹿谷
公園内に用地を確保、昭和三十九年六月一日に
浜松市史 五
([駅前再開発と地価の高騰])
そのほか、入野町や
鹿谷
町も五~六%の上昇を示し、舞阪町の住宅地は県下トップの上昇率を示した。
浜松市史 五
([ゲートボール、スポーツクラブとバッティングセンター])
バッティングセンター】 バッティングセンターも昭和四十年代に市内に出来始め十カ所以上あったが、昭和五十年には
鹿谷
町
いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌
(浜松市立西部公民館『いろはの「イ」:城北地区わが町文化誌』 目次)
普済寺口駅 広沢駅 ラッキョウ軽便】 89 第四章 河の流れは絶えず(移りかわるわが町の風景) 一、
鹿谷
商店街
浜松市史 ニ
(払下)
鹿谷
西
浜松市史 五
([勤労青少年のための福利厚生施設])
中小企業で働く青少年の健全な育成と福祉の増進を目的に、市は産業界の協力を得て、昭和三十九年、亀山町の
鹿谷
公園内
浜松市史 ニ
(写真・図版目次)
三方原古戦場 三一 三方原古戦場犀ヶ崖碑(浜松市
鹿谷
町,伊藤煙坰筆山水の図 (浜松市鴨江 渥美静一氏蔵) 五七二 福田半香筆舘山寺の図 (浜松市
鹿谷
町
浜松市史 五
([勤労青少年ホームと勤労青少年の生活の変化])
を十分に用意できなかった中小企業で働く青年男女(十五歳から二十五歳)の交流の場として、昭和三十九年に
鹿谷
町
浜松市史 五
([住居表示の実施])
同四十三年に誕生した
鹿谷
町はこれまでの亀山町と名残町などを合わせてつくったため、これまた亀山・名残という
浜松市史 四
([国体誘致と施設の整備])
軟式庭球の会場は、昭和二十七年から建設を進めてきた
鹿谷
のテニスコート六面が完成し、昭和二十九年四月四日
浜松市史 四
(土地利用計画)
変更後 1 浜松城公園 松城町、元城町 ha 10.24 ha 8.39 普通公園 地区内 2
鹿谷
公園
浜松中心街の今昔:わがまち文化誌
(浜松市立中部公民館『浜松中心街の今昔:わが町文化誌』 目次)
センター(東田町) 279 (五)アイミティ浜松(船越町) 280 【浜松市立勤労青少年ホーム
鹿谷
町
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