位置は自然環境の原初的なものであり、動かすことのできないものである。そういったことから浜松の位置は宿命的なものとも考えられる。過去の浜松の歴史も文化も、その特異な位置を措いて説明することはできない。現代の浜松人の生活の上にも、浜松の置かれている位置の力が強く働きかけている。将来の浜松の発展も、この浜松の占める位置の作用が原動力となるであろう。それでは浜松の自然環境としての位置づけは、どのようなものであろうか。一言でいうならば、わが国の中央に位するということである。
これを距離の上からみると、浜松から東海道新幹線を利用し、山陽本線に乗り継ぎ鹿児島本線を経由して鹿児島までが一二三九・七キロ、また浜松から東へ向かい、同じく東海道新幹線・東北本線・青函連絡・函館本線によって札幌へ一三九六・八キロ、距離的にみても浜松は日本の中央である。
中央的位置というすぐれた位置を、浜松は過去において一度も利用したことがない。家康にしても三河から出て、せっかく浜松へ居城したかと思うと、すぐ駿府へ、また江戸へと去っている。現在は、といえば、楽器とオートバイがこの中央的位置をたくみに利用して販路を全国にひろげている。しかし真にこの中央的位置が活かされるのは将来のことであろう。
北東から南西へと細長く伸びているわが国において、その中央的位置ということは、見方をかえて考えるならば、東日本と西日本との接触地帯にあるという意味である。文化面からみるならば東日本を代表する関東文化と西日本を代表する関西文化とが、浜松で接触し、あるいは漸移地帯となる。経済面からいえば東西両商圏の結節点ということになる。こうした人文上の接触地帯の底辺には、浜松がよってたつ土地それ自体の接触地帯的性格が横たわっている。浜松の自然環境は東西日本の接触地帯上に形成されている。このことを地形と地質の双方から眺めてみよう。