東半部にみられる古い礫層は三方原礫層に不整合におおわれ、俗に死石といわれているように、元来硬い砂岩や花崗岩などの円礫が風化・分解してもろくなったものである。この礫層に随伴する泥層は台地の北端までよく連続し、不透水層をなしている。【百里園】三方原の中央部にある百里園は明治初年に帰農士族が入植して開発したところであるが、いまに残る士族屋敷の井戸は思ったほど深くなく、水量も相当多い。こういった不透水層がすぐ下にあるのであろう。また上位の三方原礫層中を透過する地下水は泥層の境界沿いに流動し、谷壁斜面に湧泉をつくっている。泥層をともなうこの古い礫層は台地の東南端に近い浜松市高町付近および台地の東北端では台地面より一段高い堆積面を残し、東鴨江累層と呼ばれている。
百里園旧士族屋敷の井戸(浜松市三方原町)
東鴨江累層(浜松市紺屋町)