このような砂堤列を載せている沿岸低地の地質をみると、三方原台地と密接なつながりをもっている。三方原台地の開析谷の延長部にあたる沖積平地では、上位に砂礫を主とした沖積層、その下位に泥を主とした沖積層があり、沖積層全体の厚さは三〇~三五メートルに達する。これに対して開析谷と台地南縁の海蝕崖にはさまれた部分では、沖積層は泥質部を欠き、その厚さも一〇~一五メートルである。このような沿岸低地における地質状態から、開析谷の延長部に現われる泥質層は開析谷を埋積した初期の堆積物であり、上位の砂礫層は台地南縁の海蝕崖の後退とともに形成された海蝕台上の堆積物および開析谷の口を閉塞した堆積物であろう。
なお、沿岸低地を特色づけている砂堤列の地質は、地下一〇メートル余りの砂層であるが、砂堤列間低地には数十メートル以下の低湿地堆積物が砂層上にあり、東方の天竜川寄りほど泥質であり、西方ほど有機物に富んでいる。これは出口をふさがれた開析谷内の入江とともに低位泥炭の形成を始めたが、東部のものは天竜川の運んだ土砂で埋められ、西部は砂堤列のあいだに残された潟湖となっていたため有機物に富んだ泥が堆積したからである。
以上をまとめて沿岸低地の生い立ちをみると、三方原台地が形成された後、台地内に開析谷が生じ、これらが海水準の上昇によって溺れ谷を生じ、これと同時に台地の南縁に海蝕崖が形成され、その後退とともに開析谷・海蝕台が埋積されて沿岸低地ができ、沖合には沿岸州が生長していたが、その後の地盤隆起にともない、この沿岸低地が陸上に現われ、沿岸州は数列の砂堤列となったのである。