今切と弁天島

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 平安時代の東海道はこの砂州の上を通っていたので、浜名川には五十六丈(じょう)の長橋が架せられていた。鎌倉時代における橋本駅の繁栄は海道に並ぶものがないといわれていたが、室町時代以後に襲ったたびたびの津波、とくに明応七年(一四九八)のものは猛威をふるい、今切の口が決潰して湖海相通じた。また西端も切れて離れ島となった。これが弁天島である。浜名川も埋没し、現在の小川にその跡を示すに過ぎない。