冬は天気が良くて空気が乾き、かつ西風が強いから火災が発生しやすく、この季節に大火が起こりやすい。とくに浜松市街地の西部に火元ができれば、強い西風のために、東方一帯が焼きつくされる恐れがある。旅籠町平右衛門記録(『浜松市史史料編一』)の中に浜松町在々出火之覚という項があり、寛文五年(一六六五)から享保十三年(一七二八)にいたる間に発生した主な火災十六件を挙げているが、そのほとんどが冬に起こっている。その中でもとくに大火となっているのは火元が西方にある場合である。つぎに二、三を示してみよう。
一、上新町七軒町火事、元禄七甲戌年(一六九四)十一月二十九日朝、火元は七軒町より出申候、此節両町不残類火仕候、
一、伝馬町火事、享保五庚子年(一七二〇)十一月十六日、此節肴町下の町焼、鍛冶町・後道・平田町も十軒余焼、
また糀屋記録(『浜松市史史料編一』)の浜松町在出火之覚も、やはり寛文五年以降の火事記録が記載されているが、この方は明和九年(一七七二)にまでにおよんでいる。これによると、
一、明和九辰年(一七七二)二月十二日昼九ツ時過より暮迄、紺屋町立町通、袋町入口の向土橋際南側より出火、立町不残、連尺町・神明町・田町・板屋町・新町木戸外不残、肴町板橋迄北の方橋より南残る、