また、この地震によって、今切渡舟杜絶し、東海道が困難となり、旅人は本坂越をするようになり、浜松宿の休泊者激減して、宿場町は一層困窮におちいった。
この地震が東海道筋一帯に大きな被害をもたらしたことは、糀屋記録中のつぎの記事からその大よそを知ることができる。
一、宝永四己亥年十月四日昼八ッ時頃大地震御座候て、道中筋所々家 潰半潰大破損家小破損家、其節御料所宿々へ御大名様方御手伝御付 被成候て、宿々へ金子被下御取立遊候、
一、勢州四日市宿より遠州見付宿迄、本多吉十郎様御手伝御代官外細 田伊左衛門様、
一、遠州袋井宿より駿州由比宿迄酒井左衛門尉様御手伝、
一、由比宿より相州小田原迄真田伊豆守様御手伝、
右宝永五子年正月より同三月時分迄、
とあるように、この地震は東は小田原、西は四日市間の東海道筋に震災をおよぼした外側地震帯の活動であったことが明白である。
こういった大地震も、遠州灘の沿岸からやや隔たった山地には、あまり多くの被害をおよぼさなかったようである。
都田村年代手鑑には、
大地震、十月四日九ツ時ゆる、
と、きわめて簡単に記されているだけで、大きい被害があった様子はみられない。
(表)第11表 宝永地震による浜松宿の被害家屋に対する救米・拝借米
救米 | ||||
被害家屋 | 軒数 | 救米 | ||
俵数 | 1軒当り | |||
伝馬町杉浦本陣 | 1軒 | 30俵 | 30俵 | |
潰家 | 往還通 | 20 | 300 | 15 |
裏町 | 51 | 510 | 10 | |
半潰家 | 往還通 | 23 | 230 | 10 |
裏町 | 6 | 30 | 5 | |
大破損家 | 往還通 | 30 | 150 | 5 |
裏町 | 22 | 44 | 2 | |
小破損家 | 往還通 | 32 | 64 | 2 |
裏町 | 16 | 16 | 1 | |
計 | 200(+1) | 1,374 | ― | |
拝借米 | ||||
御役町 | 拝借米 | |||
杉浦本陣 | 20俵・斗升合勺 | |||
伝馬町 | 139・3427 | |||
塩町 | 46・2492 | |||
田町 | 139・3427 | |||
肴町 | 139・3427 | |||
旅篭町 | 139・3427 | |||
計 | 626・ |