三ケ日人は、引佐郡三ケ日町只木で発掘された七片の人骨から命名された。これらの骨は、前頭骨・頭頂骨・側頭骨・腸骨・大腿骨から成り、男性二体女性一体の計三体分の骨であるという。人類学的には、三ケ日人はホモ・サピエンス(現生人類)の仲間に入り、身長が一五〇センチメートルぐらいできわめて低いということである(鈴木尚・高井冬二他「三ケ日人と三ケ日只木石灰岩採石場の含化石層」『人類学雑誌』第七十巻第一号)。三ケ日人の生存していた年代は、一緒に発見された動物化石の中へ後に流入したとすれば、約二万年前ということになろうか。