浜北人 動物と人類の渡来

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 浜北人は、浜北市根堅岩水寺にある根堅洞窟から発掘された少なくとも二体分の人骨群によって命名された。人骨群には脳頭骨・顔面頭骨・右下顎智歯・右鎖骨・上腕骨・右尺骨・骨盤から成り、二十歳台の女性と推定されるかなりまとまった一群と、性不明の右脛骨とが含まれている。浜北人も、人類学的には、ホモ・サピエンスに属し、身長が一四三センチメートルと推定されている(鈴木尚・遠藤万里他「浜北人と浜北根堅遺跡」『人類学雑誌』第七十四巻第三・四号)。また浜北人の生存年代については、約二万年前と推定されている。こうして、日本列島にも万をもって数えるほど遠い昔から、人類の生活が営まれていたことが知られたわけである。しかし、アフリカや中国大陸において知られているような古い人骨は、日本には発見されていない。とすると、三ケ日人やその祖先たちは、大陸から日本列島へわたってきたと考えるほかはない。この点で注目されるのは、三ケ日人や浜北人の骨と一緒に発掘された動物の骨である。おもなものに、ニホンジカ・オオツノジカ・イノシシ・ノウサギ・オオカミ・ヒョウ・アオモリゾウ・クズウアナグマ・サルがある。このうちニホンジカやイノシシはいまでも山奥に生棲しているが、ヒョウ・オオツノジカ・アオモリゾウ・クズウアナグマは、日本には野生していない。浜北市岩水寺ではトラの歯も発見されたという。三ケ日人や浜北人が活躍していたころには、こうした動物の群が、この付近をうろついていたのである。また、その多くは海をわたることができないから、彼らはいつのころか、陸づたいに日本列島へやってきたと考えなければならない。つまり、いまでは海でとり囲まれている日本列島も、かつて大陸と陸つづきだったことがあったのである。当然そのころには、人類も動物の群とともに日本列島へやってきたに違いない。