明治十年(一八七七)九月、東京大学の動物学教授であったエドワード・S・モースによって、わが国最初の貝塚の発掘調査が行なわれた。東京都品川区大森貝塚の発掘であって、この調査は同時に、縄文文化遺跡の最初の科学的発掘調査として記念すべきものであった。モースは、明治十二年(一八七九)大森貝塚の調査報告書の中で、コード・マークト・ポタリー(Cord marked Pottery)という言葉を用いている。矢田部良方氏の日本語訳『大森介墟古物編』においては、これを索紋土器と訳されている。これが今日縄文土器と呼ばれている器に対しての最初の呼称であった。