浜松周辺の状態

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 この時期の資料も、浜松市内にはきわめて乏しい。中期前半の資料は浜北市の根堅付近から平口(ひらくち)にかけての地域と、磐田原南部の磐田市西貝塚(最下層)などに求めることができる。後半になると、磐田原の広い台地の上に遺跡が営まれるようになった。そして資料の示すところでは、中期は一般的にいって、中部山岳的な色彩が強いのであるが、その中に若干、はるばる瀬戸内地方につながる要素や、愛知県の海岸地帯に中心を置く要素が含まれている点が注目される。なお、まことにささやかな資料であるが、浜松市蜆塚遺跡の出土土器中に、中期のものを検出している。これは次章で述べることであるが、如上のこの地方の中期文化の大勢にそうものである。