中期の集落は、一般に規模が大きくなって、広い台地や丘陵上に営まれるようになったと説かれている。しかしそれは、中部地方の山岳寄りから以北の地域についてのことであって、そこには定着化した安定な生活を読み取ることができるかもしれない。これに反して、近畿以西の遺跡は依然として小規模であって、生活的にもあまり恵まれなかったように思われる。これはたんに社会的な諸条件の相異ばかりでなく、それぞれの地域における自然条件、とりわけ食糧源の多寡に応じた相違点であろう。したがって、食物採捕の生活を維持する限り、西日本の文化は、東日本のそれにとうていおよびもつかぬことであった。