[大正時代]

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 明治二十年代から大正末年にかけては、いわゆる人種論争(縄文時代人を先住民族とみてそれがコロポックル人かアイヌ人かと争われた)が学界の主潮をなした時代であった。したがって、各地の貝塚に人骨を求める学者の姿が多かった。蜆塚からも人骨の出土することを、土屋氏や足立氏が注意したのも、この時期の学会の時潮にそうものであったかも知れない。