第三次発掘調査は、昭和三十二年(一九五七)のやはり夏休み(八月二十一日~三十一日)に実施された。この調査は主として集落跡の究明に重点が置かれたが、第二次調査に際して住居跡付近から第一次調査の時とは違った土器が発掘されていたので、その土器の年代を確認するために、再度第一貝塚の発掘を行なった。その結果、貝塚では少なくとも七つの時期が確認され、それぞれの時期の道具類も明らかにされた。集落跡の調査では、一〇戸分以上の住居跡と、二〇体近い人骨埋葬の発見があった。中でも、男女合葬例と人骨に伴出した硬玉製大珠が、話題にのぼった。この第三次調査は、蜆塚遺跡の調査中最大の規模となり、地元の大学生・高校生・考古学同好者などの発掘参加、婦人会による調査団接待奉仕など発掘調査活動に対する協力体制も強化されていた。なお、一部未確認部分について、翌年の四月に補掘が行なわれた。(浜松市教育委員会『蜆塚遺跡』その第三次発掘調査)。