〔第五期〕この時期には、いままでと違った変化が生じている。口が朝顔花形に大きく開く鉢形のものがなくなって、口縁部が内側に折れ曲がり、胴部でしまる形の深鉢形が大勢を占めている(第3図52・53)。注口土器は見つかっていないが、新しく椀形ともいうべき器形が登場した。文様としては、なお磨消縄文が多用されているが、文様の部分はずっと狭くなっている。そして文様帯は口縁部と胴部に分離しているものが目だつ。またこの時期に粘土紐を貼りつけてこれに刻みを加える手法(刻み目を施した凸帯文という)が、大変流行したらしい。この手法は蜆塚遺跡で確認された顕著な特徴であるために、この時期の土器を蜆塚式土器(Ⅰ式)と呼ぶことがある。(第3図51~54)。