[蜆塚遺跡の実年代]

101 ~ 103 / 706ページ
 土器による年代の物差しは、以上のとおりであるが、これはあくまでも相対的なものに過ぎない。第四期は第五期よりも古いということはいえるが、それがいまから何年前であるかということはわからないわけである。したがって何年前であるかということを知るためには、別の方法が必要である。年代を知ろうとする方法には、いくつかあって、研究と改良がつづけられているが、絶対まちがいなしという方法はまだ知られていない。最近大いに利用されている放射性炭素による年代測定法についても、原理的な点についての疑問が投ぜられている。
 しかしながら、放射性炭素年代測定法によって得られた数値は、土器によって組みたてられた相対的年代観と、ほとんどの場合よく対応しているために、考古学者の多くは、その数値にかなりの信頼をおいているようである。いま参考までに蜆塚遺跡の年代に関連する測定値を示すと、まず、蜆塚第一期と第二期の間に入ると考えられる千葉県姥山貝塚出土の木炭から、三九三八年+-五〇〇年(この+-は測定誤差の範囲を示す)前という数値がでている。つぎに愛知県吉胡貝塚出土の木炭からは、二八七〇年+-二五〇年前と二八〇〇年+-六〇〇年前という二つの測定値が得られている。この木炭は、蜆塚第八期の土器と同じ型式のものに伴出したということである。この測定値を信頼するとすれば、蜆塚遺跡の実年代は、約四千年前から三千年前までの期間にわたっていたということになろう。

第4図 蜆塚遺跡出土の縄文土器(浜松市立郷土博物館蔵)
上段 第3期,中段左 第5期,中段右 第8期,下段左 第8期,下段右 第9期