第二期から第七期のころ

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 その後海面はしだいに低下しはじめたが、同時におそらく、入江の入口には砂嘴(海に長く砂浜が突き出たもの)が形成されつつあった。そしてそれがさらに進行すると入口の閉ざされた湖になるわけであって、大体今日の浜名湖のような状態になりつつあったものと考えられる。海水が若干加わるような条件の下で、ヤマトシジミやハマグリ、それにアサリなどが育ちやすいのであるから、蜆塚遺跡に貝塚が形成されつつあった時期は、ちょうど上述したような過程で佐鳴湖ができ、さらにそれが淡水化する時期にあたっていたものといえよう。それは蜆塚第二期から第七期にかけてのころであった。