まず狩猟生活を考えてみよう。これに関して蜆塚遺跡では大変珍しい資料が発見されている。それは長さ一三センチメートルのイノシシの腰骨で、これに石鏃(石製のやじり)が突きささったままになっているのである(第5図)。このイノシシは、矢を受けたまましばらく生きていたとみえて、石鏃を包もうとして骨が増殖しはじめている。これをみると、弓の威力は今日想像する以上に強いものであったことがわかる。これが心臓に命中していればこのイノシシは疑いなく即死したに違いない。矢のさきに取りつけた鏃としては、石製のもののほかに骨製のものと牙製のものが発見されている。石製のものは主として珪岩や粘板岩を利用し、まれに黒耀石を使って作られている。基部にえぐりを入れた三角形のものが主で、わずかに茎を有するものがある。骨製のものはシカの骨を研いでとがらせた長さ三、四センチメートルの棒状をしているが、一例だけ鎬作りのものが発見されている(第5図三段目右から二番目)。牙製のものは一例だけで、基部に近く小円孔を有する(第5図三段目右端)。
狩猟生活を知る手がかりとして蜆塚遺跡に残されていたものは、以上のものに限られるが、今日に伝わらなかった道具もあったはずである。鏃があるかぎり、弓は存在したに違いない。青森県の亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)では、長さ一・六メートルの朱塗りの丸木弓が発掘されている。弓矢以外の狩猟法としては、棍棒による撲殺・わな・落し穴といった方法も考えられるが、そうしたものは、証拠として今日まで残らないのが普通である。【家犬】また、貝塚から獣類の骨と一緒に、ニホンイヌの骨が発見されている。犬は家畜としてもっとも古い歴史をもつといわれているが、その飼養目的は狩猟に利用することであった。
第5図 蜆塚遺跡出土の狩の道具(矢じり)と石鏃の突きささった猪の骨(浜松市立郷土博物館蔵)